セシアルという魔人
リネッタがセシアルをどう口説こうか考えているとき、セシアルはリネッタにどの程度自分の力を使ってもよいのかを考えていた。
刻印どころか精霊の祝福すら効かない未知の精霊の祝福持ちなので、よっぽどのことがない限りは大丈夫だろうが――なにせ他の派閥の魔人にとっての天敵になり得る、大切な仲間になるかもしれないのだ。うっかり壊すなどということがないよう、慎重になるのは仕方のないことだろう。まあ、一度わりと強めに力を使っていたし、なんならヴェスティの御薬まで食べさせているので、今更ではあるのだが。
魔人が刻印を使うために魔法陣を発動させているなんて、魔人を作り出した奴ですら知らない情報である。
リネッタの妄言という可能性もあるが、隷属の魔装具が反応していないので嘘をついているわけではない。つまりリネッタは大真面目に、心から、魔人の魔法陣が見えると言っているのだ。もしそれが魔人の魔法陣でなかったとしても、そこに見えている何かには何かしらの価値がある。
セシアルは、にこにことセシアルを見つめるリネッタから視線を外し、手に持ったカップの中身に映る自分の目を見た。
セシアルの刻印は、“覚醒”だ。
覚醒は汎用性の高い刻印である。セシアルが他の魔人に好んで使っている“種”も覚醒を促すものだし、自らの肉体を覚醒させればアヴィエントのような魔装化ほどではないにしろ戦闘にも転用することができる。
カップの中身からリネッタに視線を戻すと、ただただ純粋に興味を追い求めているだけの何も考えていなさそうな顔の少女が見えて、思わず苦笑いが漏れた。
あのぶっきらぼうなアヴィエントが、見た目も性格も言動もちぐはぐなこの少女に振り回されたのだろうことが容易に想像できる。
周りすべてが敵であるはずのこの聖王国の王城にいるにも関わらず警戒心が全くなく、かといって無知どころか大人顔負けの知識を持ち、不思議とこちらにも警戒心を抱かせない、精霊の祝福を授かった、稀有な獣人の子ども。
その祝福された能力がどれほどのものなのか、見せてもらおうか……。
「わかった。……じゃあ、僕の目をよく見ていてね。」
セシアルがそう言うと、リネッタは目を輝かせて視線を外さないままこくこくと頷いた。瞬きすら惜しいとでも思っているのだろうか。
小さく息を吐き、両目を閉じる。それから、右の瞳に集中する。そこに魔人の刻印の力を流し込むイメージだ。何百年と生きてきて、何千回も使った、丁寧に力を扱うときには必ず行うルーティン。
目を開けば、そこには先程と同じ表情でこちらを見つめるリネッタがいた。
「どう?魔法陣は見える?」
「見えます、えっと……こっちは……小さくてよく見えませんが、まあ、潰れているので魔人のですね、あとは、えーと……うーん?」
「どうしたの?」
「セシアル様の両目に、それぞれひとつずつ魔法陣が見えるんです。……右、じゃなくて左か、左目のは魔人のだと思うんですけど、……右のほうの目なんですが、かたちに見覚えが無くて……太月と星……ということは、精神に、なにか……影響を与えるような効果がありそうです。」
「……もうひとつ。」
「右目の方は一層なので、そこまで難解では……でも、発動の順番からみて魔人の魔法陣ではない?ので、えーと。」
「そっちも魔人の魔法陣という可能性はないの?」
「ないですね、それぞれの魔法陣の発動タイミングは、右目のほうが、左目の魔人の魔法陣の1層目と同じかそれより早いくらいで……スムーズというか。」
セシアルは、己の目を凝視するリネッタを見ながら、その底知れなさにぞわぞわした感覚を覚えていた。
魔人が刻印を使うときに、魔法陣を発動させていること。そして、精霊の祝福も同じように、魔法陣の力である、と……?
この少女はそれがあまりにも偉大な発見だと知らないまま、気付かないまま、なんてことのないような理由で世界の誰もが知らないことを解き明かそうとしている。
「そっか、……本当に見えるんだねえ、すごいや。」
「見えるだけでは何も解決しませんけどね。」
「でも、すごい発見なんだよ。」
「誰もが見えて……覚えていられたら、魔法陣だってもうちょっとまともだったはずなんですよ。」
「まとも……?」
「そうです、何もかも見えていたら、こんな、……はあ……。」
セシアルとの会話は、リネッタにとってはもしかしたら寝言に返事をされたようなものだったのかもしれない。リネッタは一方的にぼんやりとしたため息で会話を終わらせてしまった。
リネッタには、一体何が見えているのだろうか。まともな魔法陣というのが想像もつかず、セシアルは苦笑いするしかない。
そういえば、自分をはじめとした原初の魔人を作り出した奴も、リネッタのように、理解の及ばない話をして一人でため息を吐いて完結するような奴だった、と、セシアルは自分が魔人になる少し前のことをぼんやりと思い起こした。
強ければ強いほど失敗しづらくなるから強い魔獣の核が欲しい、と、そいつは言った。
しかし、セシアルの核に使う予定だというその魔獣の名前が出たとき、セシアルは口には出さなかったが「こいつは頭がおかしいのか」と思ったし、それを聞いていた周りの奴らも「こいつは頭がおかしいのでは?」というような表情をしていたように思う。
セシアルの核に使ったのは、当時【白地の王】という異名をもっていたドラゴンの姿をした大型のネームド魔獣……が、他のネームド魔獣との縄張り争いに負けた末アンデット化した、当時では最高難度ランクの魔獣【終焉の腐臭】だった。
陶器のような滑らかで美しい輝かんばかりの白鱗で覆われていた体は、アンデット化の影響でところどころ剥がれて輝きも失われ、半開きの口からは長い舌が半ばから裂けて垂れ下がり、眼窩には収まっているはずのものが何もない代わりに淡く赤い輝きが灯っていた。体に残っていた骨が覗く腐肉は強烈な死臭を放ち、吐かれるブレスは金属や魔獣素材で作られた武器や防具をたやすく腐蝕させた。
白地の王だった頃に縄張り争いで負けた相手の魔獣すら喰らい、足は七本に増え、尾は途中から枝分かれし禍々しさと強さを上乗せしたそれは、精霊王によって世界を終わらせに来た何かだと言われても誰もが信じてしまうような、立ち向かう気すら起こさせない、終焉という言葉そのもののような魔獣だった。
アンデット化している上にどうやら意思とは関係なく動くらしい余計な足が三本も追加されたせいで移動が遅く、なおかつ翼が朽ちて空を飛べなくなっていたことだけが人々にとっては救いだっただろう。あんなものが空を飛んで移動すれば、本当に世界の終焉である。
まあ……そのまさに天災のような魔獣を倒せたのはひとえに討伐隊に当時の歴王が加わっていたからで、ただの人である兵士たちだけでは太刀打ちどころか近寄ることすらできなかっただろうが。
そして大変な目に遭いながらもなんとか魔人化して力を得た結果、セシアルは自分の持つもうひとつの力も“覚醒”させたのだ。
セシアルは――生まれながらに、精霊の祝福をも授かっていた。その精霊の祝福が、彼が魔人化させられた原因のひとつでもある、“魅了”である。
相手と目を合わせて見つめ合うことで発動する魅了の精霊の祝福は、人であったころのセシアルにとっては祝福などではないただの呪いだった。どんな相手でも大抵はセシアルがもつ魅了のことを知ると、たとえセシアルが祝福の右目を眼帯で隠していたとしても、セシアルへの情が作られたものではないかと疑うし、立場上道具のような扱いをされたことはなかったが、親しくなろうとしてくる者は皆セシアルのことを危険な道具か便利な道具としか見ていなかった。
しかし、魔人となって覚醒という刻印を手に入れたセシアルにとって、魅了という精霊の祝福は祝福以外の何物でもなくなった。なにせ精霊の祝福である魅了は、刻印のときのように他の魔人に使用を気づかれることがないのだ。対人や対獣人、対魔人でも、魅了は大いに役に立った。
当然だが、強すぎる魅了には弊害もある。覚醒した魅了は、以前の調子で使うと相手の思考を完全に上書きして人格を破壊してしまうのだ。人格を破壊されるということは、複雑な思考ができないということだ。つまり、ちぐはぐになった言動は周囲からは浮くし、難しい命令はこなすことが出来ない。ほとんど役に立たなくなる。
そうした多くの“失敗”を経て、セシアルは相手によって魅了の強度を変えたり弱い魅了を重ね掛けすることで、魅了が聞きづらい相手ですら自我を保たせたまま意のままに動かせるようになったのだ。
「効果、効果……は、あー、うーん……詠唱に直す?まさか魔法抵抗が……邪魔になる、なんて……あ、あーそうか、治せば……いいんだから、……いいのか。」
ふと、不穏な言葉が聞こえた気がして、セシアルは我に返った。
リネッタは相変わらずセシアルの目を凝視しながらぶつぶつと呟いているが……何とは無しに嫌な予感がした気がして、セシアルはリネッタに声をかけようとした……ところで、セシアルの意識はふいにぼんやりと霞がかったようになり、何を言いかけたかすらも分からなくなってしまった。
大変遅くなりました、すみません。
僕は元気です。




