セシアルとリネッタ 2
隠匿を説得しろと言われた、その夜。隠匿の部屋に迎えに来たセシアルは、私を自らの執務室につれていき、さも当然であるかのように来客用だというソファに座らせた。そうして、セシアルが手ずからお茶を淹れてくれる。まるで私がお客様のようである。
「隠匿の説得はうまくいきそう?」
自らのお茶も入れ、対面のソファに座って一息ついたセシアルがそう切り出した。
「今のところはどうとも言えません。隠匿と話していて思ったのですが、一概に協力といってもいろいろあるので……隠匿はどのようなことを“協力”すればいいのか私は知りませんし、なぜ隠匿が貴方がたを拒んでいるのかもわからないので、そのあたりを教えてもらえたらもう少し話せるかなと思うのですが。」
何をどう協力するのかもわからないのだから、説得のしようがないのも仕方のないことだろう。そもそもセシアルは、何にもわからない私がどう説得するのだと思っていたのだろうか……?
「たしかに……そう、だけど。いや、そうだよね。なんか君と話してると、うっかりね、君が、どう言えばいいのか、力業でなんでもできてしまえるように見えるんだ。不思議だね、見た目に反して肝が座っていて大人びているからかな?
隠匿のことだって1回しか会ったことがないってちゃんと言っていたのに、本当にうっかりしてたよ。」
「わりと苦手なことも多いですよ。」
人の名前を覚えるとか。
それを聞いたセシアルは、くすくすと笑った。
「ごめんごめん。えっとね、隠匿が持つ刻印は、姿を変えて見せるだけでなく、完全に姿や気配を消すことができるんだ。彼は魔人だから、魔人を見抜く特別な魔法陣の範囲に入るとバレてしまうけど、それ以外の場所では完全に隠れることができる。しかも、隠匿だけでなく、隠匿が指定した人や物を隠すことも可能だ。」
「では、隠匿に協力させたいことというのは、どこかに忍び込むようなことですか?」
「ううん、僕たちが必要としているのは、どちらかというと物を隠すほうの力かな。詳しく話すことは出来ないけど、簡単に言うとね、あるものを運ぶときに、それを別のものに見せてほしいんだ。」
「別のものに見せたい、ですか。」
隠匿の刻印はそういう使い方もできるのか……、と、私は中身を見えなくするために魔素がもっこもっこに詰め込まれた木箱を想像しながら甘めのお茶に口をつけた。
非合法の何かや盗難品なんかを密輸したいとかならたしかに隠匿の刻印は便利だろうが、そういうのって、お金儲けのためにするものではないのだろうか?この聖王国を乗っ取ってまでするような……まるで人のような金儲けのしかたをしなくても、乱暴な話だが、魔人なのだから力尽くで奪ったほうが楽なのでは?
それ以外で中身を隠してどこかに運びたい、というと……武器とか?どこかの国に武器を横流しして勝たせて、自分たちも利を得たい、みたいな。いやでも結局これもお金儲けの一種である。
魔人にお金が必要なのだろうか。魔人にとっての利とは一体何なのだろう。
「少しは、説得するヒントになった?」
「あ、はい。でも、物を隠すくらいなら、どうして隠匿は協力を拒んでいるのですか?」
私がそう聞くと、セシアルはやや渋い顔をした。
「彼は……というか、隠匿、アヴィエント、あと他にも何人かいて、それをまとめてるのがギギアードという魔人なんだけど、知ってる?」
「……名前だけは。」
ギギアード。アーヴィンの真名にも刻まれていた、アーヴィンの魔人化に関わった人物の名前だったはずだ。
「そのギギアードの一派はちょっと他の魔人と毛色が違っていてね、異端、というか。彼らは、一定以上の殺生を好まないんだよ。」
「一定以上の、殺生……?」
「そう、例えばアヴィエントと隠匿は、2人の復讐が果たされた時点で“一定の殺生”が終わったらしいよ。だから、それ以降はほとんど誰も手にかけていないはずだ。まあ、そんなことをしても過去は変えられないし、今でもアヴィエントと隠匿は危険度ランクSSの天災級魔人だけどね。」
「それはそうでしょうね。」
「……だからさ、僕たちに協力するということは、自分のせいで誰かが不幸になること……とでも考えてるんじゃないのかな、隠匿は。今まで何千人と不幸にしてきたっていうのに、おかしいよね。」
呆れたように、セシアルが肩を竦めてみせた。
「魔人として生きる覚悟がないなら、復讐が終わった時点で死を選ぶべきだよね。」
ぼそ、とセシアルが小さな小さな声で付け足したようにつぶやく。
そのかすかなつぶやきをしっかりと聞き取れてしまった私は、セシアルとアーヴィンたちとでは、魔人という存在の捉え方や、魔人としての在り方が違うのだろうなと思った。いわゆる十人十色というやつである。
「隠匿が協力を拒んでいる理由は理解しました。……あとは、そうですね、私が来る前、隠匿に提示していた協力に対する報酬のようなものとかはなかったんですか?」
「もちろん、糧……いや、リネッタはそもそも魔人の枷について知らないんだっけ?
魔人はね、人から魔人に成ったときに、それぞれ精神的な枷をはめられるんだ。その枷が、魔人を魔人たらしめている、と言われてる。例えば君の“友だち”のアヴィエント。彼は生きものを燃やせば、限度はあるけど、魔人としての能力が上がる。それは、彼の枷が炎だからだ。」
「魔人は……枷で指定された行動?を取ると、魔人としての能力が上がる……。」
アーヴィンにも聞いた話だが、やはりいまいちピンとこない。魔人としての能力が上がる代償として破壊活動をするのは、本当に意味不明だ。
刻印を使えば使うほど上達するのなら分かるが……実際のところも、刻印をたくさん使ったからその能力が上達しているだけという可能性もあるかもしれないし、そちらの方がまだ現実味がある。
「その枷で指定された行動を取ると、魔人として生きるための糧を得ることができる。魔人が糧を得ることは、人や獣人、動物たちが食事をするのと似てるんだ。」
「だから、“糧”というんですね。それで……隠匿への報酬も、糧だった?」
「うん、その予定だったんだけど、隠匿の枷が何なのかわからなかったから、糧を用意するのもなかなか難しくてね。幼い少女が鍵だというのはみんな知ってるんだけど、具体的な内容は誰も知らなくて。」
そう、困ったように笑うセシアル。あの子ども部屋の少女たちは、隠匿を釣る餌だったらしい。
というか、幼い少女が鍵となる枷ってなんだ……?アーヴィンの枷と違いすぎるし、その幼い少女が鍵となる枷でどうやって糧を得て?……糧を得るということは、隠匿が強くなるということのはずなのだが、……それ、どういう状況???
私の頭の中がはてなで埋め尽くされても、セシアルの言葉は続く。
「魔人にとって、糧は嗜好品のようなものでもあって、それを得るというのは本来ならば抗いがたい衝動で、目の前にあると思わず手に取ってしまうような、甘美なごちそうなんだ。だから、隠匿の枷がわかれば協力させやすかったんだけど、まーあ、強情でね。
それでもここ最近、あの4人に世話を任せてから精神的に不安定になりはじめたから、今いる4人の少女のうちのどれか、もしくは全部いっぺんに糧としての素質があるんじゃないかなって思ってるんだけど、そこからもなかなか進まなくて。」
「……アーヴィンにとっては、燃やすことが、“甘美なごちそう”なんですか?」
「うん?うん、そうだよ。でも彼は、それをよしとしないみたいでね。ずっと我慢してるみたい。」
「そうなんですね。」
普段のアーヴィンを見るにそうとは思えないが、実際は痩せ我慢をしているということだろうか。考えてみれば、魔法陣を改変したときも彼はわりと我慢強かったので、そうなのかもしれない。アーヴィンは頑張っているのだろう。
「……リネッタ、今度は僕からの質問だ。嘘はだめだよ。」
「はい。」
セシアルがソファの背にもたれて、こちらを見ている。私はカラになったカップに自分でお茶を足して、ひとくち飲んだ。ミルク入りのお茶は甘くて美味しいし、寝る前にぴったりだ。
「お前さ、自由だよね。怖いもの知らずっていうか。……まあいいけど。
リネッタ、君の精霊の祝福について、聞かせて?……君は精霊の祝福で、どんなことができるの?今まで、魔人を見抜いたり、隠匿の刻印を見破ったりしてきたみたいだけど、他にできることは?」
「わかりません。」
精霊の祝福でできることなんて、私は何もわからない。当然だ。そもそも私はそんなもの持っていないのだから。
「わからない?」
「わからないです。私は、精霊の祝福を使っているという意識がないので。」
「……意識が、ない。それって、精霊の祝福を使おうと思って発動させているわけではなくて、自動的に発動しているってこと?」
「そもそも、精霊の祝福がどういったものかも知りません。昔から“できるからしている”。それだけなんです。精霊の祝福を使っているという自覚はないです。」
「子どものうちは、精霊の祝福が無意識に発動してしまうことはわりとよくあることだけど……。」
うーん、とセシアルが考え込むその目の前で、私は、精霊の祝福って使おうとして使うのが普通なんだなあ、などと思っていた。魔人の枷や糧と同じように、精霊の祝福にも謎が多い。というか、私はまだ精霊の祝福を持っている人に出会ったことがないのだ。
カトリーヌによれば、実際に使えるようになるまでには年齢の開きはあるものの、精霊の祝福は生まれながらに持っているもの、らしい。認識阻害がある魔法陣を写すことができるのは、それ専用の精霊の祝福を持った職人だけ……とかいうのは聞いたことがあるが、それ以外でどういった精霊の祝福があるのか、私は知らない。
魔法陣の職人が持っているくらいなのだから魔人よりかは数は多いだろうが、精霊の祝福に関しては接点がまったくないので、いつか実物を見てみたいなと思っている。
「それじゃあ、どうやって僕を魔人だと見破ったの?」
お茶のカップを口元に運びながら、セシアルは首を傾げた。
「すべての魔人がそうかは分からないんですが、魔人は刻印を使うときに魔法陣が浮かび上がることがあるみたいで。お屋敷でセシアル様の目を覗き込んだとき、瞳にアーヴィンに似た魔法陣が浮かんだのがちらりと見えたので、魔人かなと思っただけです。ですからあのとき、見破ったわけではないんですよ。魔人だと知ったのは、そのあとにアーヴィンが教えてくれたからです。」
「……魔法陣が浮かび上がった?」
「そうです、目の中に魔法陣が見えました。」
「僕の目の中に、魔法陣が?……気づかなかった。」
セシアルは、自らの右目のまぶたに触れて、不思議そうにしている。
「アーヴィンは魔装化中、ずーっとでかでかと背中に魔法陣が浮かんでましたけど、本人も気づいていなかったので、魔人の魔法陣は私にだけしか見えないのかもしれませんね。」
まあ、ほとんど魔素に近い淡い光だったので、カトリーヌの兄であるクロードならばかろうじて見えることがあるかも、くらいだろうか。
「つまり、それが君の精霊の祝福の力……かもしれないと。」
「……。」
私は曖昧に微笑んだ。精霊の祝福の力ではないことは確かなのだから、ここで同意はできない。
……あれ?今、チャンスなのでは?
ふと妙案を思いついた私は、「そうだ。」とぱちりと両手を合わせた。
「あのときセシアル様がしようとしていたことを、もう一度してもらえませんか?そしたら、私ができることが、もうちょっとよくわかるかもしれません。試してみませんか?」
「は?」
「あのとき、セシアル様、私に刻印を使おうとされてましたよね?」
「え、あ、うん。そう、だけど……。」
「セシアル様の目に浮かんでいた魔法陣、気になりませんか?」
「……うーん。」
セシアルは迷っているようだった。もうちょっと押せば、見せてくれるかもしれない。




