魔法陣<隠匿<魔法陣
隠匿は、魔法陣から目を逸らさずぶつぶつ言っている少女を視界の端に映しながら、アーヴィンの行動の意味を考えていた。
マウンズでリネッタがアーヴィンと再会したというのは、聖王国に雇われた連合王国の傭兵たちに追われている最中……いや、アーヴィンは森の奥へと逃げていたはずなので、逃げ切ったあとの可能性が高い。
アーヴィンはマウンズでリネッタと再会した時点では気づかなかったものの、あとからリネッタが成長していないことに気がついて魔人だと疑い、ヒュランドルの町で自分からリネッタに声をかけた、というところだろうか。
さすがに呼び捨てを許すほどの仲になっていることには驚いたが。
――隠匿はもともと、裏社会と繋がる伯爵の執事として、そして戦闘家令として、人の顔や特徴、しぐさ、歩き方などをことこまかに記憶するよう、訓練されている。
貴族の社会では、数年に1度しか会わない知り合いなど山ほどいる。相手が子どもならば、数年越しに顔を合わせるなら、今は何歳でどれくらい成長していてどれくらい顔が変わっていて婚約者は……といったことを事前に調べるし、顔くらいはある程度予想できる。
リネッタとは4年以上前に1度会っただけだが、……目の前でうんうん唸っている少女は全く変わっていなかった。隠匿の記憶力が確かならば、間違いなくリネッタは王都ゼスタークで見たままの状態で“保たれて”いる。
アーヴィンだって、子どもだったとはいえ元は貴族。将来伯爵家を継ぐために、顔を覚えることは幼い頃から徹底して教え込まれていたし、わりと得意としていたはずだ。アーヴィンがリネッタのことを覚えていたのならば、自分から接触してもおかしくはない。あの面倒くさがりの主が、とは思わなくもないが。
問題はセシアルがリネッタを魔人だと思っているかどうかだろう。茶菓子を出したり、隷属の魔装具をつけているところを見ると、リネッタをただの獣人の少女だと思っている可能性が高いように見える。
隷属の魔装具はもちろん魔人にも有効だが、その効果は人や獣人ほどではない。魔人は、魔人化の試練に打ち勝っているのだ。多少の傷み程度では、音を上げたりはしない。
セシアルがリネッタをただの獣人だと思っているうちに、リネッタにセシアルの危険性を教えておかなければならない、かもしれない。隠匿はそう思って、口を開いた。
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魔人を封じる魔法陣のカラクリを解いたというか何というか。残念な結果だった天井の魔法陣から視線を外し、私は鉄格子からも離れて、茶菓子のあるテーブルへと戻った。よいしょと座り、残っていた茶菓子のひとつをぱくり、さくさくと食べる。甘いが、上に乗っている生花はちょっと酸っぱい。花は飾りで食べるものではなかったのかもしれない。
さて、この後どうしよう。
アーヴィンが隠匿を逃してほしいと思っているのなら、それについてはやぶさかではない。アーヴィンは魔法陣の改変もさせてくれたし、そのお礼としてはちょうどよいかもしれない。……隠匿の魔法陣もじっくり見てみたいし。
でも私は、紫のヴェは――まあ絶対に許さないのでそれは置いておくとして、セシアルの魔法陣も気になっていた。あのときセシアルは、片方の目の中にアーヴィンの魔法陣によく似た魔法陣が浮かび、もう片方の目には初めて見る魔法陣が浮かんでいた。
さすがにどちらもちらりとしか見えなかったので細かいところまでは覚えていないが、あれはどういうことだったのだろうか。
考えてみれば、王女とのお茶会のときから、私の魔法抵抗がたびたび発動していた。あれは魔人の刻印の力なのか、もうひとつの魔法陣の力なのか、どっちだったのだろう。気になる。
「リネッタ。ちょっと、お時間をいただいても?」
「……何かしら。」
まだ何か話すことがあるらしい。私は隠匿の方を見る。
「リネッタは、セシアルのことをどのように考えておりますかな?」
「どのように?……うーん、アーヴィンは魔人の派閥かなにかのまとめ役、とかなんとか言っていた気がするけれど、いまいちピンとこないの。私が言えたことではないけれど、セシアルは見た目がああだし……セシアルが、というよりも、私、魔人のこと自体よくわかっていないのよ。」
「魔人、自体?」
「そう。魔人は、体内に魔核と心臓をどちらも有している、魔法陣によって人が進化した姿。刻印という人にはない力を持っていて、ほかの魔人が刻印を使うと、それを感知することができるのでしょう?
貴方とアーヴィンが繋がっているのは、魔核がそうなっていたのだからまだ理解ができるのだけれど、他の魔人たちは、魔素が見えないのにどうして他の魔人が刻印を使ったことに気付けるのかしら?」
私の言葉に対して、隠匿は少し考えた素振りを見せ、何かを窺うような視線をこちらに向けた。
「……リネッタは、わからないのですかな?……刻印が、使われたことを。」
「わかるわ。でも、私がわかるのは、刻印の発動だけではないの。……そうね、たとえば今この部屋で、私から見えない位置にある灯りの魔法陣が発動したとするでしょう?すると私は、“何かしらの魔法陣が発動したこと”はわかるの。そして振り返って目で見ることで、“あそこの灯りの魔法陣が発動した”のだと理解する。だから、刻印の発動に限定して気づくなんて器用なこと出来ないのよ。」
「魔法陣が発動しても……感知できると?」
隠匿がかすれた声でつぶやいて、まじまじと私を見る。
まあ、魔素が視えないどころかその動きすらわからないこちらの世界の人々にとっては、見えない位置で発動する魔法陣を感知するなんて、理解しがたいことだろう。
実際は魔法陣が発動したことを感知しているわけではなく、魔素の動きやゆらぎを感じられるし視ることができるので魔法陣が発動する前に私は気づくけれども、まあ、説明としてはこんな感じのほうが理解しやすいはずだ。たぶん。
「リネッタ、貴女の精霊の祝福というのは……」
隠匿が、何やら深刻そうな顔をしている。
私の精霊の祝福かあ、と、私は少し考えた。
私の設定上の精霊の祝福は、もうなにか一つの分野に絞ることすらできなくなっている。色々と盛りすぎたのだ。
魔法陣を使わず火を出すことができる、から始まり、魔素の動きを感知できる、認識阻害がある魔法陣を読み取れる、魔法陣を創作・改変できる、精霊の存在を感知・召喚・使役できる……その上で、獣人として霊獣化もできるし、人として魔素クリスタルなしに魔法陣を発動することもでき、魔素クリスタルを生成することまでできる……さらには、今後も何かしらの力が随時追加されていくだろう。
それら全てをどうにかするためには、もう、ステライト先生の存在やごくごく普通の精霊の祝福だけではどうしようもできない。レフタルにおいての私は中級魔法使いに届くかどうかレベルのただの魔法オタクだったけれど、シルビアと融合して魔核を得た現在、魔法抵抗の存在しないこの世界では戦略級魔法使いよりも遥かに上の存在になってしまった。天災レベルとでもいうのか。
そんな恐ろしい力をどうやって得たのかという説明をするにあたって、隣世界が~とか詠唱魔法が~とか言っても、きっと受け入れてもらえない。まあ、1から10まで全てを説明する必要なんて、どこにもないのだけれども。
どうしようかなと悩む私を鉄格子越しに見ていた隠匿をふと見ると、なにか納得したような顔で頷いていた。
「貴女のその変わらぬ姿は、精霊の祝福によるもの、ですな。」
「あ、そうね。」
そういえばそうだった。隠匿と出会ったのは私が孤児院にいたころなのだから、もうだいぶ経つ。
……魔人以外はみんな育っていくのだから、今の私を見れば、孤児院のみんなはきっと驚くだろう。私はヨルモあたりの驚いた顔を想像し、思わず、ふふ、と笑ってしまった。
「ごめんなさい、私、自分の精霊の祝福をうまく言い表すことができそうにないわ。」
「いえ、じゅうぶん伝わりましたとも。」
よくわからないが、隠匿には伝わったらしいのでよしとしよう。




