セシアルとリネッタ
「さあ、リネッタ、そろそろ行こうか。」
子供部屋でのんべんだらりと過ごしていると、手になにかの包みを持ったセシアルが現れた。
「いってらっしゃい、リネッタ。」
「おじいちゃんは、見た目は怖いけど、いいひとだよ!」
「とっても優しいから。」
「頑張ってね。」
仲良くなった彼女たちから声援を送られながら、子供部屋を後にする。少女らの話によれば、隠匿の心を癒やす仕事というのは、“隠匿の部屋で静かに過ごすこと”らしい。本を読んでもいいし、編み物をしてもいい。叫んだりはしゃいだりしなければ、それでいいそうだ。それを隠匿が眺めて癒やされるので、仕事になるのだという。もちろん隠匿と話をすることもあるらしいが、触れ合うことは許されていないそうだ。それを聞いた正直な感想としては、「なんだそれ。」である。
ちなみに、最近の隠匿はうなされてたり、ぼーっとしたりすることが多くなってきていて、心配だということも聞いた。狭い部屋に閉じ込められて毎日毎日少女ばかり眺めさせられているのだから、隠匿はさぞ心労が溜まっているのではないだろうか。
そんな事を考えながら、私は普通に身を隠すこともなくセシアルについて廊下を歩いていた。
誰かに見つかったらどうするのだろうと思っていたのだが、廊下には誰もいなかった。箱の中でうとうとしている間に空間把握の魔法は解けてしまっているので、いくつかある扉の奥に人がいるかはよくわからないが、廊下は静まり返っている。
「わかってると思うけれど、御老体っていうのは、隠匿のことだよ、リネッタ。」
「はい。」
廊下を歩きながら、セシアルが声をかけてきたので、大人しく返事をする。
「呪いっていうのは、隠匿を癒やしている仕事をしている彼女たちを安心させる方便で、本当は魔法陣で魔人の力を封じて部屋に閉じ込めている状態なんだ。」
「はい。」
「魔人のことはどれくらい知ってる?」
「……人が、大きな魔法陣と、魔獣の核を使って変化する、新しい種族、でしょうか。」
「うん、そうだね、それ以外には?」
「魔人化に失敗すると、魔獣になる。魔獣になる前に、死んでしまうものもいる。魔人化に成功するほうが珍しい、と聞いています。」
でっかい豚になったダスなんとか坊っちゃんと、それを説明してくれたティガロを思い出しながら私は続けた。
「あとは、えーと、体内に魔核があるとか、刻印という、魔人だけが使える力があって、魔人ごとに違うとか……くらいですね。」
改めて、私は、アーヴィンの魔法陣に関してはわかることは多いが、魔人に関してはこれくらいしか知らないのだな、と思った。咎や枷だって、魔人が全員持っているのか、アーヴィンだけにあるのかもわからない。真名に関しても、全くの無関係な仲介者の名前が入っている時点で、その仲介者の自己主張で入れられている可能性もなくはないのだし。
「隠匿に関して、知っていることは?」
「アーヴィンと同じ魔獣から産出した魔核を使って魔人になった人で、アーヴィンと繋がっている魔人ですね。」
「それ以外には?」
「刻印も、名前と同じ隠匿と呼ばれていることくらいしか。一度しか会ったことがないのでわからないです。」
「ふうん?……じゃあ、アヴィエントに関して知っていることは?」
「刻印は、身体強化の域を脱しているので、どう言えばいいんでしょうか……骨格強化?」
「僕たちは、魔装化と呼んでいるよ。たぶん本人もそう呼んでると思う。」
「魔装化。」
「ほかにアヴィエントについて知ってることはある?結構親しいみたいだったけど。」
「そうですね……わりと面倒見がいいこととか、火鬼猿って呼ぶと怒るけど、大抵のことは許してくれるとか?」
「あはは、ほんと、変な子だね、お前。アヴィエントは魔人だよ?怖くないの?」
セシアルが笑いながら聞いてくるが、私は首を傾げるしかない。
「怖くはないですね、そういえば本人からも、俺が怖くないのか的なことを聞かれたことがあったような気がします。なんて答えたかは忘れましたけど、……今まで怖いと思ったことはないですね。」
「どうして?君なんて一捻りで殺されてしまうのに。」
「アーヴィンはそんなことしませんよ。」
私には、襲いかかってくるアーヴィンを想像できなかった。私にとってアーヴィンは大切な研究材料だが、それを別にして考えても、ちょっとやんちゃなお兄さんというイメージが強い。勝手に魔法陣を弄っても許してくれる懐の深いお兄さんだ。
しかし、セシアルにとってはそうではないらしい。
「それは君が幼くて、本当のアヴィエントを知らないからさ。君が生まれる前のはなしだけど、アヴィエントはそれはもう手のつけられない暴れっぷりで、彼と隠匿のせいで国がひとつなくなるところだったんだよ。」
そう言って、セシアルは大きなため息を吐いた。
「結局その国は滅びを免れたけれど、その国の複数の領地が文字通り焦土になった。その領地に息づいていたものは、人だけでなく、家畜や野生動物まで、なにひとつ生き残らなかった。アヴィエントが、等しく燃やしてしまったからね。」
そういえばアーヴィンも、命あるあらゆるものを燃やし尽くすだかなんだか言っていた気がする。つまりアーヴィンは(セシアル曰く)複数の領地を燃やして魔人の糧を得ながら、強くなっていったということだろう。たしかにそれだけを聞けば、恐ろしい魔人なのかもしれない。けれど。
「アーヴィンは、理由もなく燃やしたのですか?」
「……復讐だった。」
「なら、そういうことでしょう。復讐が終わって、アーヴィンは“元に戻った”。関係のない人々もたくさん殺しただろう昔のアーヴィンは確かに恐ろしい魔人だったかもしれませんが、そこにはきちんとした彼なりの理由があったし、犯した罪は消えないけれど……ああ、なるほど、アーヴィンは自分が殺した人たちのことを、今も忘れていないのね……。」
言葉の最後あたりは、自分でも、言っていてああそうなのかと腑に落ちた感覚があった。
アーヴィンの“咎”は、怒りだった。
咎という言葉は本来、罰されるべき事柄を示している。アーヴィンという魔人を定義している一番大切な魔法陣に、真名とともに明確に刻み込まれている、怒りという、罪。
私は視線を伏せて、少しだけアーヴィンのことを想った。それから視線を上げて、あっけにとられた顔でこちらを見ているセシアルに向かって、口を開く。
「……魔人になる前、人だった頃のアーヴィンは、たぶん、今のアーヴィンのように、私みたいな小娘に翻弄されるような、ただの気の良いお兄さんだったと思いますよ。」
「そんなこと言えるの、君だけだと思うよ、リネッタ。アヴィエントに気に入られるわけだ。ほんとにお前、子どもなの?」
「今の私は、どこからどう見ても、虐げられている獣人の10歳の女の子でしょう。」
「……はは、面白い冗談だね。」
私は真顔であたり前のことを答えたはずなのに、なぜだかセシアルは諦めたような気の抜けた顔で笑い、そのまま会話は終了した。
お正月のお休みが終わりましたので、次回からゆっくり更新になります。




