7-4 リネッタの長い1日 3
『♪月の長女は花原で踊る 蛍花がそれを見て笑う
太陽神が眠りについた静かな夜 秘密の場所は誰も知らない♪』
夕日のさしこまない薄暗い部屋を詠唱魔法の灯りで照らし、昔、吟遊詩人に教わった歌を気分よく歌いながら、私は今日摘んだいい匂いのする草花に魔法をかけていた。ちなみにロマリアは夕食のため食堂に行っている。
慣れていれば詠唱を必要としない、それこそ歌を歌いながらでもできる簡単な魔法だ。魔法をかけられた草花は見る間に水分を失っていき、カラカラに乾いていく。
この魔法は、対象の水分だけを減らすという魔法で、草花や根菜、肉等に使って簡単に干した状態に出来る。それ以外でも、洗ったものを乾燥させたりすることが出来る便利な生活魔法である。
ただ、慣れるまでは、乾燥させすぎて脆くしてしまったり、逆に水分が残りすぎていた食物(特に肉類)は内側から傷んでしまったりするので、繰り返し練習する必要がある。そのため、私の元居た世界の魔法学校では、この魔法を覚えた子どもたちは家で毎日洗濯の手伝いをするようになる。
『♪長女は蛍花にお辞儀して 次女は蛍花の影で眠り 末の妹は蛍花と笑う
秘密の場所は誰も知らない 秘密の場所は誰も知らない♪』
普通に生活するにも旅をするにもこの魔法は容量の魔法と同じくらい重要なので、私も一生懸命練習した。
ただ、やはり食べ物は魔法よりも太陽で乾燥させたものの方が美味しい。両親はどちらかと言えば美食家だったので、乾かすものといえば洗濯物や洗い物しかなく、慣れていない頃はよく洗濯物をボロボロにして怒られたものだ。
そんな昔の事を思い出しながら、私は手際よく全ての草花を乾燥し終えた。最初に蔓草で小さくくくっておいたので、このままの状態で売れるだろう。もう今日は日が暮れてきたので、明日にでもマニエに売り歩くためのカゴを借りに行こう。
といっても、まあ、本気で売り歩こうと思っているわけではない。
もちろん売れるのなら売るが、これはあくまでも孤児院にお金を入れる言い訳として作っているのだ。
私はこの干し花を売っているていで、王都を歩きまわる。そうして1日王都を散策したら、干し花の売上と偽って魔素クリスタルの売上をマニエに渡すのだ。つまりこの干し花、売れる必要が全く無いのである。
ただ、受け取ったのは銀貨と銅貨なので、どうにかして銅貨を石貨にしなくてはならないが、まあそのあたりは王都をぶらぶらしながら考えよう。
明日は朝から、ヨルモの知り合いだという魔術師見習いのキースという少年に、薬草の見分け方や生えているところを教えてもらうことになっている。薬草に需要があるということは、こちらの世界にも、魔法に頼らない傷薬的なモノがあるのだろう。ついでに、狩りに使うという魔法陣も見せてもらおう。
私が魔法使いなので、私にとって私の元居た世界での“薬”といえば魔素補充液を指す言葉だった。
その他には、魔獣の血などを使った滋養強壮剤や、魔法の使えない人々が使うための塗るタイプの(もちろん即効性は皆無の)傷薬があったが、私は魔法使いの側であり、傷は基本的に治癒魔法で事足りていたため、そういうのはさっぱり分からない。
私の元居た世界の病気への対処は魔法と医学を組み合わせたもので、私自身は風邪を引くなどして煎じられた飲み薬を何度か飲んだことはあるが、魔法を使って怪我を治すための解剖学は習ったものの、もろもろの材料を煎じたりなんだりして作る薬学は完全に専門外なので何もわからない。興味もなかったし。
私の元居た世界では狩りに行くにも旅をするにも、最低でも魔法使いを1人は連れて行くのが普通だった。どんなに小さい村にでもなにかしらの神(多くは太陽神)を信仰する神殿があり、神官という名の魔法使いが常駐していたので、怪我をしても基本的には治癒魔法を施してもらえる。つまり、怪我に対して塗り薬を使うのは、神殿がなく魔法使いもいない小さな集落くらいで、盗賊の中にだって魔法使いは当たり前のようにいたのだ。
魔法、といえば。今日は久しぶりにまともな魔法を使った。小牙豚だったか。あれには本当にびっくりした。
私はあの大きな獣との遭遇を思い出して、ため息をついた。
森の中、大木が倒れてできたであろうあの日当たりの良い場所を見つけた時、その場所に最初に居たのは小牙豚の方だった。しかも、音などこれっぽっちも気にせず歩いていたので、小牙豚はすでにこちらを認識していて、バッチリと目があってしまった。
フシュー、フシュー、とこちらを威嚇して前足で土を蹴る小牙豚。
どうしていいか分からなかった私は、反射的にこのサイズの獣には多少どころではないくらいある意味高火力の魔法の詠唱をはじめてしまった。
はじめてしまったからにはやるしかない。小牙豚と睨み合いながらも、私はなんとか噛むことなく全文詠唱して、魔素を練り上げた。
目があってから長いようで一瞬だった詠唱の後、何の抵抗もなく発動した魔法はとても静かなものだった。
光も音もなく、小牙豚の周囲の魔素が大きく揺らめいただけだ。
しかし、小牙豚は、私を睨んだままゆらりと体を傾け、ドスンとその場に横倒しになった。どうやら、きちんと効果はあったようだ。私は胸をなでおろしてから、ああ、やり過ぎたかもしれないと反省した。
放った魔法は、深層催眠の魔法。
睡眠の魔法の上位魔法のひとつだ。
基本的にああいう獣には睡眠の魔法や気絶の魔法でじゅうぶんなのだが、いきなり戦闘態勢の獣相手に気が動転してしまった私は、火事にならない・血が出ない・殺さないという条件下での強力な無効化手段として、深層催眠を選んだ。
しかし深層催眠は、それこそ小さいものでも2階建ての建物の大きさくらいある竜種だったり、魔法耐性が高く基礎魔法では全く歯が立たない魔獣相手だったりするような相手に使う高位魔法である。
小牙豚のようなサイズの獣に放てば、覚醒の魔法でも使わなければ、二度と目覚めることなくそのまま餓死するだろう。しかし、戦闘経験なんて皆無の私に、そんなことを考える余裕なんてあるわけがないのだ。その結果がそれだった。
確認しようと近寄ってつついてみたり尻尾を踏んだり跨ったりしてみたが、小牙豚は起きるどころか身じろぎすらしなかった。というか、跨った時にマントが獣臭くなってしまって多少後悔した。
しかしまさか、あのあとヨルモに見つかってそのまま殺されてしまうとは。
深層催眠は、神殿での治療の際、腕や足を切り落とさなければならなくなった患者に、痛みを感じないように使うこともある魔法なので、まあ、小牙豚も苦しまなかったということでよかったとしよう。うん。
小牙豚は食べられるということなので、たぶん、近いうちに私を含めた孤児院の子どもたちの栄養になることだろう。
「でも、うーん、やっぱり悪い事したかしら……。」
誰にともなく私はつぶやいて、小さくため息を吐いた。
もしまた相まみえることがあったら、次は睡眠の魔法にしよう。
そう、心に誓って。




