確保と捕獲
ぱたりと馬車の扉が閉まり、ぎしりと車輪を軋ませながら馬車が辺境伯爵家の別邸を出発する。
その馬車の中で、私はセシアルと向かい合わせに座っていた。そう、魔人に誘拐されたのである。
――アーヴィンが壁を破壊して部屋に入って来たあのとき、どうやらセシアルが人払いを頼んでいたらしく、部屋周辺にいたのは私とセシアル、あとダリハと呼ばれた煽る才能の塊みたいな(たぶん)魔人だけだったらしい。現在進行形で庭でアーヴィンとダリハが戦っているので、私はそのどさくさに紛れてこっそりと庭近くの馬車止めに連れていかれて、誰に見られることもなく馬車に積み込まれたのだった。
私を積み込んだあとセシアルは騒然としていた使用人を集めて何かしらを話していたが、最終的には使用人たちはまとめてどこかに避難することになったようだ。アーヴィンが一般人に手を出すことはないとは思うが、まあ、ダリハが飛んで来たら危ないし。
セシアルいわく執事長のスクレだけは私のことを心配していたらしいが、私が“命からがらセシアルだけは逃がした”のだと説明され、しぶしぶ私の捜索を諦めたそうだ。スクレは普通にいい人なのだろう、特になにも頼ることはなかったけれども。
真っ白い王族の紋章が刻まれた馬車が街の中をひた走る。
窓の隙間からは、馬に乗った騎士たちが馬車とすれ違っていくのが見えるが、もしやアーヴィンを討伐に行くのだろうか。
一般人対、強化アーヴィン……?
ダリハとよばれた魔人はどっちにつくのだろうか?
それによって、一般人の生存率が上がりそうだが……
「リネッタ、何を考えているの?」
ふとそう聞かれ、私は窓の隙間からセシアルに視線を向けた。
「騎士たちの無事を祈っていました。」
「は?」
「あの騎士たちは、アーヴィンと戦いに行くのではないのですか?」
「あー、うん、まあ、アヴィエントを捕獲しに行く聖騎士たちだけど。……心配するのは騎士のほうなの?」
「そうですね。」
「ホント、わかんない子だよね、お前。」
セシアルが苦笑いしているが、今のアーヴィンにとっては一般人も傭兵も騎士ももういっしょくたに同レベルであるはずだ。他の魔人がどれほど強いかは知らないが……ごっちゃごちゃで効率最悪な魔法陣や改変中に私が追加したアレのことを考えると、アーヴィンのほうが圧倒的に強いのではないだろうか。
私は“見続けろ”という命令ではないのをいいことに、視線を窓の隙間に戻した。
馬車はほどなくして城に入るようだった。
紫のヴェの気配が濃い。心がざわつく。
セシアルが何を企んでいるのかは知らないし、アーヴィンが何をしたかったかはさっぱりわからないが……いや、そういえば隠匿を監禁?しているのは紫のヴェ一派だったか。つまり、アーヴィンは隠匿をどうにかしてもらいたい……から、私を攫うように仕組んだ……ということだろうか。常識的に考えれば、私にそんなことができるはずないのに。
というかせっかく気を利かせて置いてきたのに、なんでアーヴィンは聖王都にいるのだろうか。まさか心配してなどという理由ではないだろう、なんでいるんだと聞いたら怒ったし。わけがわからない。
カトリーヌのこともある。私が攫われたにしろ殺されたにしろ、カトリーヌは酷く悲しむだろう。離れすぎていて霊獣とも交信できないし、何も伝えることができない。壮絶な覚悟を決めてくれていたらしいハールトンにも申し訳ない。……アイダについてはクロードがどうにかするのでまあいいけれども。
いつか聖王都を脱出したら、まずはカトリーヌに無事を報告しに行ったほうがいいだろう。
セシアルの視線を感じながら、私は内心で深い深いため息を吐いた。
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容赦なく、穴をぶちあけるつもりで腹を蹴る。
げふ、という声だけを置いてダリハが吹っ飛び……塀にしたたかに身体を打ち付けたところで止まった。ゆっくりと歩いてそれに近づき、アーヴィンは静かに口を開く。
「弱ェ。口ばっかだな、お前。」
アーヴィンの心はすでに冷めていた。気の強いことを甲高い声でぎゃあぎゃあ喚く割に、ダリハは弱すぎた。
たしかに魔法陣を改変され、アーヴィンは強くなったという自覚があった。しかしダリハ相手ならば改変前でも余裕で相手ができていただろう。その程度でしかないのだ。
セシアルはなぜコレに自分の相手が務まると思ったのだろうか。リネッタを攫わせる前提でなければ、さっさと無力化しているところだ。
「はぁ? じゃあなんでアタシ死んでないの? アンタが弱いからでしょお?」
「囀ンな。」
言いながら、横っ面を蹴り飛ばす。何の防御もしなかったダリハが、植え込みに突っ込む。
あまりにも未熟すぎて訝しくさえ思いながら、アーヴィンは押し付けられた子守りに深いため息をついた。
――リネッタが“聖王都に行く”と言った。
何が目的かは分からなかったが、唐突に宿に現れた少女の姿をしたバケモノが“行く”と断言したのだから、アーヴィンに拒否権などあるわけがない。
今回は別行動らしく特に何の連絡もなかったので、アーヴィンはリネッタよりも早く出発し適当な街を経由して、聖王都入りしたのはリネッタが聖王都に着く、3日前。
しかし、何をすればいいのかわからない。
ただ聖王城から強すぎる魔人の気配がだだ漏れていたので、城内はセシアルらの手に落ちているのだろうと窺い知ることはできた。
そんななか、リネッタが聖王都に入って数日。セシアルが刻印を使った独特の気配を感じて探ってみれば、それはリネッタがいるはずの屋敷からであった。
このときはまだアーヴィンはリネッタを“助ける”というよりも、リネッタが思いのほか早くセシアルにたどり着いたことに対して驚くだけだった。いや、たどり着いたというか、なんというか……リネッタは厄介ごとを引き寄せる虫寄せの香のような存在なのだろうかと疑うレベルだ。
しかし、今日は違った。
セシアルの刻印の力は時間がたつごとに強まり、アーヴィンが無視できないレベルになりつつあった。
そうしてしょうがなく踏み込んでみると、待ち構えていたように飛び出してきたのがこのダリハである。
アーヴィンは、辺境伯の領地からここまで刻印の力を使っていない。髪を染め、傭兵ギルドにも行かず、隠匿を真似て行商のようなことをしながら来たのだ。さすがに自分の行動がばれる要素はないと思いたい。
となるとダリハは、何かあったときのためにセシアルが連れてきた伏兵、とも考えられた。それだけリネッタを警戒しているのかもしれないが、そこまで警戒されるようなことをリネッタがしたのかもしれないと思うと、何をやってンだお前は、と呆れるしかない。
「ぁぐ……」
ごきり、と鈍い音が響いた。
考え事をしていたためか力加減を誤り、掴んでいたダリハの首をうっかり折ってしまったらしい。
「ちっ。」
舌打ちして、ダリハの顔を見やる。
魔人は、首が折れても行動不能には陥るがすぐに死ぬようなことはない。体内の魔核を破壊することで、ようやく完全に死ぬのだ。しかしダリハの体は腕が折れ、足が折れ、首も折れた。さすがにこれだけ痛めつければ追いかけてくることはないだろう。
そろそろ、めんどくさい騎士たちも来る頃だ。幕引きである。
アーヴィンはダリハをそのへんにぽいっと投げ捨て、軽々と塀を飛び越えて辺境伯の屋敷を後にした。
はずだった。




