護られしもの
人形とのお茶会を終え城に戻って来たセシアルは、シャーリィ王女の部屋で窓から聖王都を眺めていた。視線の先には、ティリアトス辺境伯爵の別邸の屋根が見えている。
それを、ティーテーブルでひとりお茶をしている王女がくすくすと笑いながら見ていた。
「そんなにあのお人形が気になるの?」
「気になるといえば気になる、かな……?」
王女の言葉にセシアルは視線を外に投げたまま、歯切れ悪く答える。
しかしそんな従僕の不敬な態度に対しては何とも思わないようで、王女は言葉を続けた。
「あれを食べても、特におかしいところはなかったでしょう? ……おかしくないところが、おかしかったけれど。」
「まあ、ね。」
シャーリィ王女が用意したあの菓子や茶には、聖王国お抱えの錬金術師ヴェスティが作ったやや効き目の緩い“御薬”が入っていた。御薬入りの食事をした相手は王女が褒めると、調子に乗るか、ひどく謙遜して怯えるか、もしくは不遜な態度になることが多い。
しかし獣人の少女はごく普通の態度で礼を述べ、慇懃に頭を下げただけだった。他の質問にもきちんとした態度で落ち着いて答えた。それは彼女に表裏がなく、あれが素であることを表している。
――少なくとも、王女はそう思っているのだろう。
セシアルは僅かに左右の瞳の色の違う獣人の少女の目を思い返しながら、そっと左手をあごに当てた。
――しかしあの目は、しっかりと理性を残していた。
あごを触っていた手を唇に当て、それから髪に隠れていない左目のまぶたに触れる。
――僕の魅了が、通じなかった。
両目を閉じ、小さく短い息を吐く。
これまでもセシアルの前には魅了がかかりづらい相手が何人も現れたが、意思の強い人物だったり老獪な人物だったり魔人だったりと、納得できる相手だった。セシアルは魅了にかかりづらい相手にはいつも以上に時間をかけ何度も重ねてかけることで、現在、魅了をかけたほぼ全員がセシアルの手に落ちている。
魅了は一度で完全にかけてしまうと、精神に異常をきたすことが多い。時間をかければかけるだけ精神に負担をかけずに自然に深くかかるのだ。だから獣人の少女にも、今日が初回で子ども相手だったのでかなり弱めにしておいた。
……しかし全くといっていいほど通じない感覚があった。大抵は多少なりとも頬を染めるなり視線を逸らすなりの反応があるはずなのに、ただきょとんとした顔を返されただけった。
上手く動揺は隠せたとは思うが、セシアルは内心、気が気でなかった。
獣人という種族だから魅了がかかりづらい、ということはない。セシアルの魅了はただの獣にすら通じるのだから、人と大して変わりのない獣人に効かないわけがないのだ。
では、なぜか。
セシアルの魅了が全く通じない相手が、過去に何人かいた。
それが、歴代の歴王。そして精霊の祝福のなかでも特に呪いや病気を癒すような、護りの力を与えられた者たちだ。
獣人はその種族ゆえに精霊の祝福を受け継ぐことはない。
それは先祖返りして人から産まれた獣人でも同じだ。だから、混色だろうが何だろうが、獣人であるあの少女が精霊の祝福を持ち得るわけがない。
だが、あの少女には御薬が効いていないかもしれない。魅了が通じていないかもしれない。
たかだか、奴隷が一匹。普段ならどうでもいいと放置するところだ。
しかし、その少女のいたティリアトス辺境領での獣人たちの反乱は失敗が相次ぎ、ヴェスティの毒を飲んでいたという嫡男はあり得ないかたちで復調し始めているという。
聖王国での計画が大詰めに近づいているこの時期に現れたそれらの懸念が、計画にどう影響するとも限らない。
……最悪、ティリアトス辺境領のどこかで何かしらの精霊の祝福が発現した可能性もある。精霊の祝福を受け継ぐことのできない獣人でも、精霊の祝福を持った者に護られることは可能なのだから。
「シャーリィ様、少しお願いしたいことがあるんだけど、いいかな。」
セシアルが王女に視線を向けると、王女は微笑みながらセシアルに視線を向けた。
「ええ、どうぞ。好きにしたらいいわ。」
「ありがとう。じゃあちょっと、明日にでも行ってくるよ。明日はお仕事の日だし、僕、いなくても大丈夫だよね?」
「もちろん。」
時間をかけここまで仕上げた。少しのことで計画が頓挫することはないが、念には念を入れるほうがいい。ティリアトス領で何が起こっているのかを探るために、あの奴隷は傀儡にする。
セシアルは再びティリアトス辺境伯爵家の屋敷のほうへと視線を向け、目を細めた。
シャーリィ王女はそんなセシアルの背中から視線を紅茶に戻し、微笑みを湛えたまま、ヴェスティの御薬入りの冷めた紅茶を口に含んだ。
次の更新は、1月9日の予定です。
みなさま、よいお年をお迎えください。




