妖精の本分 1
妖精と呼ばれる魔獣たちがいる。
姿かたちは様々だが魔核を持つまごうことなき魔獣であるそれらは、しかし通常の魔獣が生まれないような場所にも湧く特殊な魔獣である。
あるものは、昏く湿った嫌われた土地に。
あるものは、神聖で明るく乾いた場所に。
あるものは、誰も近寄らない毒の沼の淵に。
あるものは、人が多く行き交う街の忘れられた空き家に。
人々の知らない理で生まれるそれらは、人々の知らない理で生きている。
魔獣という括りも、人々が勝手にそう思っているだけなのだから。
――しかし新たに生まれたその妖精は、他の妖精と違い、人の理によって創られ、生まれながらに守護する主を得ていた。
妖精はあるときは音を閉じ込め、あるときは毒を浄化し、あるときは病を一刻も早く追い出すために主の身体を癒した。
そして今、妖精は主人からの命を、待っている。
「裁定、ですって?」
アイダが腕を組み、クロードを鼻で笑った。
しかしクロードに気分を害した様子はない。それどころか異様に落ち着き払い、アイダに静かな視線を向けていた。
「……僕の毒を浄化してくださっている精霊様は、当然、お前の毒や洗脳さえ浄化する力をお持ちだ。しかし、罪を重ねたお前が精霊様に許されるかどうかは、僕にはわからない。僕は、精霊様がお前を浄化したならば……精霊様がお許しになられるのならば、……領主の息子として、お前を受け入れる。」
「笑わせないでちょうだい、まるで精霊様がここに顕現されるようなことを言うのね。」
「顕現されているじゃないか、お前の、目の前に。」
クロードの言葉に何かを感じ取ったのか、アイダが白い小鳥に視線を向けた。
この辺りでは見かけない、真っ白い体に青い瞳の可愛らしい小鳥。
小鳥の視線は、アイダをまっすぐに射抜いているようだった。
どことなくその視線に居心地の悪さを感じ、アイダは眉をひそめた。
「お前が信じるか信じないかは自由だ。ただ、そこにいらっしゃるのがカトリーヌを癒し僕を浄化してくださっている癒しの精霊様であることは、紛れもない事実。……僕だって未だに信じられないさ、目の前に精霊様がいらっしゃるなんて。」
アイダは小さくため息を吐きだした。しかしアイダが何かを発言する前に、クロードがかぶせるようにして言葉を続ける。
「信じろとは言わない。実際に精霊様の御力を受けてお前が何を感じようと、僕には関係ない。ただ、精霊様がお前を許すか、許さないか、僕にとって大事なのはそれだけだ……。」
クロードが、白い小鳥に視線を向けた。
ぴぴ、チチチ――
視線を受け、おもむろに白い小鳥が歌うように囀りはじめる。
ぴ、ぴ、ふぃーよ、ふぃーよ、チチ、ピピッ――
それは、詠唱だった。
召喚獣としてではなく、この世界の魔素と主の魔素を取り込み実体化しリネッタからも独立した“個”になった妖精の、妖精としての固有魔法。
「――ッ!!」
クロードの見ている前で、じわり、とアイダからどす黒い靄が滲みだしはじめる。
「……な、ひっ!?……う……。」
靄に驚いたアイダがそれを払おうとするが、その前にふらりとよろめき、力が抜けたかのようにその場に膝をついた。黒い靄はどんどん溢れ、次第にアイダの体にまとわりつくようにぐにぐにと蠢き始める。
「なんだ、これは……。」
クロードががたんと椅子の音を立てて立ちあがり、後ずさる。
しかし、壁まで下がろうと思っていた足がそれ以上動かず、クロードは違和感を感じて自らの足に視線を落とした。
「……なん、だ?」
ぴぴ、ち、チチ……
アイダから湧き出した黒い靄は音もなくアイダを包み込み、ぐるぐると渦巻いている。それはアイダを侵食するというよりもアイダを守るような動きだ。
白い小鳥が、囀る。
純粋な祈りを糧に生まれる純白に希望の青をたずさえた妖精が、主を鼓舞し、歌う。
白い小鳥の魔法に強制的に振るいたてさせられ、及び腰になっていたクロードは半ば混乱しながら白い小鳥に視線を向けた。
「……精霊、様……?」
白い小鳥は、どこまでも青い双眸でクロードを見つめていた。
白い小鳥はもう、歌ってはいない。小鳥を中心にうずを巻いていた魔素も、穏やかになっている。
クロードが、アイダに視線を戻す。うずくまったアイダの周囲には意志を持っているかのようにどす黒い靄が蠢いていた。
クロードは視線だけで部屋を見回した。そして、執務机の裏にある自らの剣に目を止める。リネッタに向けたこともある、あの剣だ。
それを手に取り、確信を持ってゆっくりとした動作で鞘から引き抜く。
魔剣ではない、クロード用に少し軽めに作られた、ただの剣。しかしその剣は今、全ての闇を払うような神聖な輝きを纏っていた。
「……俺、が……?」
剣を握った自らの手に視線を落とし、クロードは震える声でそうつぶやいた。
しかしその手は震えてはいない。力強く柄を握りしめ、いつでも剣を振るえるようであった。
精霊どころか魔獣ですらないナニカがしようとしていることなど、誰にも予想などできないだろう。しかし、そのナニカを信仰しその力を受け続けて今まさにさらなる力を受け取ったクロードが導き出したのは、図らずも妖精の意図と合致したものであった。
すなわち――
「僕への試練、なのか……。」
ソレを“浄化妖精”と名付けたのは、妖精を知らぬ人々で。
ソレを召喚しこの世界に留めてしまったのも、妖精を知らぬ者だ。
人々の歪な思い込みが混ぜられて形作られたソレは、純粋な妖精ではない。
しかし妖精を模されて創られたソレは、その本分を忘れては、いないのだ。
ぎゅ、とクロードが剣の柄を握りしめ、アイダに近づいていく。
ごくり、とつばを飲み込み、覚悟を決める。
アイダを取り囲む闇はひとつの生物のようにうねり、クロードへと襲い掛かろうとしていた。
クロードは剣を振りかぶり、一思いに、振り下ろした。
次話からリネッタのお話に移ります。




