簒奪するのは誰か
カチャ、と部屋の扉が閉まる音を背後に聞きながら、アイダは視線をクロードに向けてまるで臣下のように恭しく美しいカーテシーをして見せた。
クロードは自らの執務机に座ったまま、疲れた表情でそれを眺めている。その背後では、いつもの鳥籠ではなく止まり木に停まっている小鳥が、チチチ、と囀っている。
ティリアトス辺境伯のカントリーハウス。
この日クロードは、自身の執務室にアイダを呼び出していた。
――唯一アイダのことを相談できる相手であったハールトンがカトリーヌに付いて行ってしまったために、クロードは散々一人で悩んで煮詰まり、挙句どうすることが最良なのか全く分からなくなってしまっていた。
しかし、リネッタが言っていたようにカトリーヌが帰ってくる前に決着をつけなければならないのは確かだ。カトリーヌがいれば意気込んで自分も一緒に“断罪する”と言うだろう。しかしクロードは辺境伯爵家の嫡男として、軽率に“断罪”などと言えない立場なのだ。例え、個人的に恨みがあったとしても。
そうして一人で考えていても埒が明かないと思い立ったクロードは、アイダの言い分を聞いてみたいと考えたのだった。
まだ太陽が昇りきっておらず、クロードの執務室には明るい日差しが差し込んでいる。
その光を背中に受けながら、クロードはちらりと視線をアイダの専属侍女に向けた。
「すでに人払いは済んでいる。……お前も、部屋から出て行くんだ。」
その言葉に昔からアイダに仕えている年配の侍女は困ったようにアイダに視線を向けたが、アイダが静かに「そのようになさい。」と答えたので「……承知いたしました。」とクロードに頭を下げた。そして、静かに部屋から出ていく。
しかし足音が遠ざかりしばらくしたのちに白い小鳥から魔素の動きを感じ、この屋敷の人払いは部屋の中だけという意味らしい、と、クロードは小さくため息を吐いた。さっきの侍女なのか誰なのかは分からないが、誰かが聞き耳を立てているのだろう。
クロードは気を取り直して、優しげな笑みを浮かべるアイダに視線を戻した。
「どうせ扉の前にいようが何も聞こえないんだ、回りくどいことは言わない。……アイダ……本当に、貴方が……僕に、毒を飲ませていたのか……?」
その言葉に、アイダが浮かべていた笑みを濃くする。
「ええ、そうよ、クロード様。」
アイダはリネッタから毒の件を聞いたあと、早々にこうなる覚悟を決めていた。クロードに毒を盛っていたことがばれた時点で、アイダの断罪は免れない。アイダが考えなければならないのは、いかにエイラやアーロン、そして実家を巻き込まないかだけだ。だからアイダは笑みを浮かべながらも、この断罪の場にティリアトス辺境伯もエレオノールもいないことに多少の疑問を抱いていた。
「……そうか……。」
クロードはそこで一度言葉を切り、深いため息を吐く。それからゆっくりと言葉を続けた。
「目的は……簒奪か?」
「違うわ。」
「……?」
アイダのきっぱりとした声に、クロードはやや怪訝な顔をした。しかし。
「簒奪をしようとしているのは私ではなく、貴方のほうなのよ、クロード様。」
「――は?」
アイダは浮かべていた笑みを、消した。途端にぴりりとした空気を纏い、腕を組んでクロードから視線を外すアイダにクロードは何も言えず固まっている。
「クロード様。貴方はなぜ――18にもなって、まだ婚約すらしていないのかしら?」
「……? それは、僕の体が弱いからだろう。お前の……毒の、せいで。」
「本当にそうかしら。」
アイダがちらりと不遜な態度でクロードを見やる。
「貴方は、聖王国内でも有数の裕福な辺境伯爵家の嫡男でしょう。しかも容姿も性格も悪くない。……婚約の話が“全く”ないのは本当に……体が弱いからだけだと思っているの?」
「どういう――「ならば、なぜカトリーヌ様にも婚約者がいないのかしら? エイラや……10歳のアーロンにさえ、いくつかの婚約の話が持ち上がっているというのに。」
「それは……。」
思ってもみなかったことに、クロードは言葉を失った。
確かに、クロードには婚約者がいない。しかしそれはクロードが常に床に臥せっているせいであって、それ以外の理由など考えもしなかった。しかし……健康そのものであるカトリーヌにも、婚約者は、いない。
父親からも母親からも、婚約の話題を振られたことはない。父親が恋愛結婚だったからだと、クロードは思っていた。同じようにカトリーヌもそれが“普通”だと思っているだろう。
「――クロード様。聖王国では大抵、上級貴族の嫡男は早ければ3才、遅くても5才くらいから婚約者探しを始めるわ。そしてどんなに婚約者選びが難航したとしても15才までには婚約者を一人に絞っておくものよ。女児ならば、血統が良ければ0歳で婚約者ができることもあるの。でも、私がこの家に嫁いでから……私の知る範囲でだけれど、貴方には一度も婚約の話が持ち上がったことはないわ。……カトリーヌ様にも。
それを、恋愛結婚されたフルグリット様やこの国の貴族ではないエレオノール様がどう思われているかは分からないわ。フルグリット様には婚約者の方がいらっしゃったのだけれど、ご自分が婚約者選びをしたことを忘れてしまっているのかしらね? “婚約者”という存在について、興味がないだけかもしれないけれど。……エレオノール様も、もしかしたら貴方やカトリーヌ様にも恋愛結婚をしてほしいと思っているのかもしれないわ。
――でも、それはここが国境にある辺境の地だから、目立っていないだけ。」
ここでいったん、アイダは言葉を切った。そうしてクロードにこれ見よがしに小さくため息を吐いて見せる。
「けれど、そう、そんなことを貴方に言っても、どうしようもないとは分かっているのよ。貴方たちは何も悪くないのだから。」
アイダはそう言って、憂いを孕んだ視線を窓の外へと逃がした。
「貴方たちは、ただ、産まれてしまっただけ。私だって命を宿した身重の体で、産まれて1年も経っていない子どもに毒を飲ませるなんてしたくなかったわ……。でも、この辺境伯爵領を守るためには仕方がないことだった……。」
「まも、る……?」
「そう、私はこの聖王国の貴族の一員として、この領地に嫁いだ時点からこの地を護らなければならなかったわ。獣人排除派の貴族の中で行き遅れていた私に声がかかったのは……そういう役目を与えられたからだった。」
「どういうことなんだ? アイダ、教えてくれ、僕とカトリーヌに何が……なぜ、僕は殺されなければならない……っ!?」
「それは――貴方のお父様が、恋に溺れ、聖王国の貴族として絶対にしてはならない罪を犯したからよ。」
アイダはひどく悲し気に目を伏せた。
クロードが、「罪……。」と、かすれた声でつぶやく。
「第一夫人がエレオノール様でなければ私でなくても……そう、他国のご令嬢でもなんでも良かったのよ。それに、エレオノール様が第二夫人であれば、何の問題もなかった。でも、貴女のお父様は……あろうことか幼いころから結ばれていた聖王国のご令嬢との婚約を解消し、第一夫人にエレオノール様を迎えてしまった。……聖王様から歴王の座を奪ったディストニカ王国の王族の血を引く、あの方を。」
「……王族の、血?」
「ええ、そうよ。降嫁されたのはもう何代も前の庶子の姫で、継承権などないに等しいほどにはるか昔のことだけれど、それでも……血は受け継がれている。それをこの国の貴族はみんな知っているのよ。そして、聖王様の治めるこの地でその血を受け継ぐことがどういう意味になるのか――気付いていない者は、貴方のお父様とお母様くらい。
貴方のお父様もお母様も何も知らないまま過ごし、貴方もカトリーヌ様も何も知らないまま育ってしまったわ。けれど、貴方に婚約の話が来ないのは、聖王様が……貴方が領地を受け継ぐことをお許しになられていないということよ。」
「そん、な……。」
ゆるゆると視線を机に落とし、クロードがうめく。
クロードは、アイダが簒奪を目論んでいるのは自分の子どもであるアーロンに家督を継がせたいだけなのだと思っていた。しかしこれは……どう考えてもクロードの手に余る。クロードがどうこうすれば解決する話では、ない。
「敵国の王族の血が混じった敵国の貴族の子と、アリダイル聖王国の正当な貴族である私の子……どちらが正しい継承者で、どちらが簒奪者なのかしらね?」
アイダの言葉が、クロードに深く突き刺さった。




