従僕と真っ白少女 人形と令嬢
アリダイル聖王国の聖王都ヒュム・プリエ。その王城にほど近い場所に、ティリアトス辺境伯のタウン・ハウスは建っている。領地にあるカントリーハウスと比べるとだいぶ小さいだろうその屋敷は、しかし聖王都の中では有数の大きさを誇っており、辺境伯領の財力に見合った豪邸である。
その屋敷の庭の一角。周囲からの視線が通らないよう背の高い木と花々に囲まれた小さなガゼボに用意されたティーテーブルを囲み、ティリアトス辺境伯の娘であるカトリーヌとアリダイル聖王国の王女シャーリィが和やかな雰囲気で紅茶を楽しんでいた。
シャーリィ王女は、緩やかにウェーブする白銀の髪の上辺を花のバレッタで留めて下の髪はそのまま下ろすいつもの髪型で、ドレスもいつも着ているものと同じような銀糸で太陽と三つ月を刺繍した白く薄い生地を重ねたものだ。色素の薄い肌を気にしている彼女は、公的な催しにも私的な外出にも大抵こういった白いドレスを愛用している。
対するカトリーヌは、長い栗色の髪を細い若草色のリボンと一緒に緩やかに編み込み、左肩から前へと垂らしていた。その髪色に合わせたような薄紫のドレスの袖やスカートの裾には最近聖王都で流行っているカットワーク刺繍の生地が使われているが、聖王都の学園に通う令嬢たちがその生地をスカート全体に使っているのに対し、カトリーヌは他の生地と併せることで年齢よりも大人びた雰囲気に仕上げていた。
カトリーヌは、初めて会う――しかも王族相手に驚くほど落ち着いて対応していた。特にシャーリィ王女を初めて見る者はその特徴的なやや長いとがった耳にどうしても視線を寄せてしまうものなのだが、カトリーヌは最初にちらりと視線を向けただけで、あとは気にもしていない。
お転婆だと話に聞いていたのだが、成長したのか教育係がいい仕事をしているのか、どちらだろうか。どちらにしても、この年で王族を堂々と応対できるのだからゆくゆくは大物になるのかもしれない。
問題は――その傍らに立っている、不思議な雰囲気を纏った一人の人形である。
ぴんと立った茶色い三角の耳にふんわりとした淡い金色の髪。シャーリィ王女ほどではないが日焼けをしていない白い肌には傷ひとつない。顔立ちが幼いながらに整っていて、可愛らしい。瞳は淡い緑、だろうか。左右で色が違うような気もするが……光の加減かもしれない。
着ているのは、丸襟の白いブラウスにこげ茶色のワンピースだ。ブラウスの袖口とスカートの裾からのぞく白いフリルが可愛らしさを引き立てている。そのスカートには有名な人形ブランドの紋章がしっかりと刺繍してあり、これが“人形のために作られた服”であることを主張していた。
しかしその人形の首と手首にはまっているのは、淡い黄色の光が灯る隷属の魔装具だ。逆らえば痛みで反抗の意志を塗りつぶす、奴隷を示す魔装具。
人形の役割を与えられそれ以外の全てを剥奪された獣人の少女は、少し伏し目がちに床に視線を落とし、何を考えているのだろうか。その瞳はまるで人形のように何も映していないように感じた。
そんな生きる人形として教育されたらしい少女が、カトリーヌに命令され、シャーリィ王女の前で深々とお辞儀をしていた。
「シャーリィ様、リネッタです。……リネッタ、頭を上げなさい。」
カトリーヌが微笑みながら人形を紹介する。リネッタが下げた頭を戻し、――顔を上げてこちらを見ると思いきや、先ほどまで見つめていた床に視線を戻した。
「はじめまして、リネッタ。本当、とても可愛らしいのね。」
シャーリィ王女が微笑みを浮かべて声をかけても、リネッタは一切反応しなかった。王女が困ったようにカトリーヌへと振り向く。
「……リネッタとはお話できないのかしら。」
見ようによればリネッタが王女を無視したようにも見えるが、それに対してカトリーヌはきょとんとして、目をぱちぱちとしばたたかせた。それからゆっくりと申し訳なさそうな表情になる。
「申し訳ありません、シャーリィ様。お人形ですので、その……自分で動いたり喋るのは、気味が、悪く……。」
「――そう。」
カトリーヌの言葉に、何を思ったのかシャーリィ王女がリネッタに視線を戻してまじまじとリネッタを見つめた。そして、「……本当に、お人形、なのね。」と小さな小さな声でつぶやく。
視線とつぶやきを向けられたリネッタは聞こえていないかのように表情すら変えず、視線を落としたままじっとしていた。
その姿に、解体屋が記憶を消して教育した少女らを思い出す。
少女らが記憶を消されてすぐの頃は、たしかこんな感じだったはずだ。まあ、それでもまだ混乱する程度の感情はあったし、今ではよく笑う素直な子たちなのだが。
シャーリィ王女の従僕セシアルは少女を眺めながら、なんにせよコレならば計画は上手く行くだろうと考えた。
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「……リネッタをお貸しする、ですか?」
突然の申し出に、不安そうにカトリーヌが小さく首を傾げる。
「ええ、そう。貴女のお人形を、わたくしに貸していただきたいの。」
シャーリィ王女はそう言って、真剣な表情で静かに頷いた。
お茶会も終盤に差し掛かりそろそろお開きになりそうな雰囲気だったお茶会会場のガゼボには、不穏な空気が漂い始めている。
シャーリィ王女が突然、“人形を貸してほしい”と言い始めたのだ。
カトリーヌが戸惑うのは当たり前だ。獣人を迫害しているアリダイル聖王国の王族が獣人の奴隷を借りたいだなんて、どう考えても無事に返ってくるとは思えない。
しかしシャーリィ王女は、優し気な微笑みを浮かべた。
「もちろん傷ひとつなくお返しすることを、わたくしの名前できちんとした書面にして約束するわ。確かに借りるのは獣人、……だけれど、借りる相手は貴女でしょう?
……わたくしね、初めてお人形の話を聞いたとき、とても羨ましく思ってしまったの。でも、わたくしの父は獣人を嫌悪しているわ。だから、お人形だとしてもわたくしは獣人を所有できない。きっと本当のお人形でも……獣人の形をしているだけで許されることはないでしょう。
けれど、貴女から少しの間借りるくらいなら許してもらえるわ。もちろん汚したりなんてしないわ。ほんの5日ほどでいいのよ……貴女がこちらに残る必要もないの。わたくしがきちんと責任をもって、領地に送り届けるわ。」
「……。」
カトリーヌが迷ったように視線をハールトンに向ける。ハールトンは表情を変えず、静かにゆっくりと頷いた。つまり、貸しても良い、ということだ。まあ、クロードも言っていたが、王族の申し出を断ることなどできはしないのだから頷かざるを得ない。
ハールトンは霊獣その2の存在は知らないが、霊獣その1が私の手を離れたことを知っているし、今後は私がいなくともなんとかなると考えたのかもしれない。
問題は私である。隷属の魔装具がある以上、私にやったことは全てカトリーヌに筒抜けになるので大丈夫だとは思うのだが……シャーリィ王女は大丈夫でも、カトリーヌもハールトンもいない状況で、この敵地のような屋敷で一人、私はやっていけるのだろうか。……5日間、地下牢生活をしろと? 研究材料もなにもないあの場所で? 紫のヴェの気配が濃い、この街で??? そもそも食事の提供がきちんとなされるかすら、怪しいのだけれど。
私がそんなことを考えながらうんざりしている間にも、会話は進む。
「もちろん、王城に連れて行ったり、街中を歩いたりはしないの。ただ、わたくしの時間ができたときに、このお屋敷に会いにくるだけ。……だめかしら。」
「……いえ、わかりました。お人形を大切に扱っていただけるとお約束いただけるのでしたら……お貸しいたします。」
「ありがとう、嬉しいわ。」
シャーリィ王女が深々と頭を下げるので、カトリーヌが目を丸くした。
「あ、頭をお上げください、シャーリィ様。」
「いえ、いいのです。貴方の大切なものを貸していただくのだもの。」
顔を上げたシャーリィ王女は可憐な笑みを浮かべ、本当に嬉しそうにそう言った。




