隷属(?)の魔装具
私がカトリーヌの部屋に戻ると、さっそく奴隷っぽくなった私の姿を見たカトリーヌがショックを受けたように目を見開いて両手で口を覆い、クロードも顔を顰めた。
「なんだ、それは。」
「隷属の魔装具、というらしいです。」
「らしいですって……リネッタ? それは……奴隷がするものではないの?」
「まあ、そうですね。アイダ様が用意してくださっていてよかったです、私はこういうものがあるのを知らなかったので。」
「よ、よかった……?」
カトリーヌが狼狽えつつ、クロードに視線を向けた。
クロードは私からもカトリーヌからも視線を外し、「いや、たしかに……そう、だが……。」と言葉を濁す。
「カトリーヌ様、いくらうまく私を奴隷のように扱えたとしても、こういうものがあるのに使わないのは、あえて使っていないと思われてしまいます。」
私は視線を落とし、じゃらりと首輪から腕輪へと繋がる細い鎖を手に取る。
アイダが用意してくれていたので助かったが、執事長であるハールトン辺りが先に気づいてもよさそうなものである。
「獣人擁護派と見られないために、これは、絶対に必要なはずです。」
「リネッタはそれでいいのか? その魔装具を付けている間、お前は本当に奴隷として扱われるんだぞ? 僕たち以外の命令だって聞かなければならなくなるし……命令に反抗すれば、その魔装具は奴隷を手ひどく痛めつけると聞く。」
「問題ないです。」
私はクロードに視線を向けた。
「アイダ様から、魔素クリスタルも預かっています。発動してください。」
「しかし……。」
「クロード様、問題ありません。魔装具の発動中に体の動きが阻害されないか、早めに確認しておきたいのです。」
「……、わかった。お前が、そう……言うのならば。」
「お兄様……!」
クロードに魔素クリスタルを渡すと、クロードはしぶしぶそれを割った。
ふわりと魔素が隷属の魔装具に吸い込まれていくのを視ていると、手首にはめてある魔装具の魔法陣の一部が淡い黄緑色の光を帯びた。多分、首輪も同じように光っているのだろう。なかなか幻想的だ。
体感ではあるが――アイダは体力を奪うとかなんとか言っていたが、この魔装具はどうやら体内魔素を吸収しているようだった。霊獣化には体内魔素を使うのだから、なるほどこれなら霊獣化を防ぐことができるだろう。私が、この世界で生まれた純粋な獣人であれば。
「……リネッタ……。」
カトリーヌが眉をへの字にして、ひどく悲しそうな顔をしていた。クロードも難しい顔をしている。
よっぽど嫌なのだろうが、この2人は聖王国の貴族なのだから慣れなければならない。訓練はしているが、聖王都に行ったときに本当にカトリーヌがちゃんと私を奴隷として扱えるのか、だいぶ不安である。
「リネッタ、何度も言うが、その魔装具は命令に逆らうとひどい痛みを発生させるらしい。僕たちは命令などしないが、聖王都にいけば何が起こるか……。」
「クロード様。」
私は無礼だとは知りつつも、言葉を遮った。
「私に命令してみてください。なんでも良いです。」
「何……?」
「いろいろと感覚を掴んでおきたいんです。お願いします。」
「……。……わかった。……リネッタ、椅子に座れ。」
「嫌です。」
「リネッタ!?」
カトリーヌの悲鳴と同時に、魔法抵抗が発動した感覚があった。痛みはない。不快感もない。
そのまましばらく待っていても何も起こる気配は――ない。
無表情を装いながら、まあそんなものだろうと内心で鼻で笑う。
“痛みを感じさせる”“眠らせる”“安心させる”などという形のない不安定な力は、風や炎のような不定形のものよりもさらに魔素に近く魔法抵抗の影響をもろに受けるのだ。そんなものが、レフタルの魔法使いであり半魔獣である私に効くわけがないのである。
魔法抵抗で相殺するときに減るはずの体内魔素量も、減ったのかもわからないほど微々たる量未満だ。私は口を半開きにして呆然としているクロードに視線を向けた。
「問題なんてないんですよ、クロード様、カトリーヌ様。私に遠慮する必要などないんです。私を奴隷として扱い、堂々と命令して下さい。何があろうとも、この通り全く問題ありませんので。」
「……どっ、どういうことだ? それはアイダが用意した……従属ではなく、隷属の魔装具ではないのか?」
「たぶん、アイダ様が私のためにわざわざ用意してくださった、ごく普通の隷属の魔装具だと思います。」
ふと手首が熱を持ったような気がして腕輪に視線を落とすと、黄緑色であった光が赤くなっていた。どうやら逆らうと色でも知らせるらしい。なるほどわかりやすい。
私はまじまじとそれを観察する。誰かに命令されない限り、自分ではこの状態にはできないからだ。――地味にそれぞれの魔装具から吸収される魔素量が増え、ずっと魔法抵抗が何かしらを相殺している。まあ、痛くも痒くもないし、減る体内魔素量も魔素の自然回復量を下回っているのだが。
私はテーブルに近づき、椅子に座る。するとすぐに魔装具の光が黄緑に戻り、吸収されていた魔素量も戻り、何かしらの魔法的な攻撃も収まった。
命令を遂行するまでずっと痛めつけられるということか。なかなかにえぐい仕様である。獣人用とのことだが、魔法抵抗もなく魔素プールも少ないだろうこの世界の人でもじゅうぶん辛いだろう。どんな命令でも、抵抗なく聞いてしまうほどには。
「リネッタ、自由にしろ。」
クロードがそう言ったので、私は今度はうんともすんとも返事をせず、つーんと顔を背けてみた。
隷属の魔装具が反応することはない。つまり返事をしようがしまいが、自由にして良いと言われたのでなんでもいいのだろう。
この魔装具に影響を与えられるのは他人からの命令だが、命令違反はどういう状態で判別されているのだろうか。謎である。
「本来なら、魔装具の不具合を疑うところなんだろうが……。」
クロードが、何か未知の恐ろしいものでも見たような顔をしている。その隣で、カトリーヌは感極まった顔をしていた。
「これが……精霊様のご加護なんですね……!」
「……。」
私は曖昧に笑うだけで答えなかった。
嘘に反応して、隷属の魔装具が赤く光ると困るので。
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「――で、カティをのけ者にして、僕に話とはなんだ。」
体調が安定してきたとのことで新調された、真新しい匂いのするクロードの執務室。
クロードとカトリーヌに隷属の魔装具をお披露目したのち、私はハールトンにこっそり頼んでクロードとの時間を作ってもらっていた。
私は一応異性であるので、扉の内側にはハールトンが控えている。
クロードは自らの執務机に、私は来客用のソファに腰かけていた。
部屋には専用の白い鳥かごが用意され、霊獣その1が遮音結界の魔法を発動しっぱなしにしていた。
聞き耳を立てている者などいないのだが、霊獣その1が自分でやっていることなので特に口出しする必要はないだろう。私は静かに口を開いた。
「アイダ様のお部屋に呼ばれたとき、クロード様に使われている毒の存在を確認しました。」
「……っ!」
クロードが目を見開き、ハールトンが息を飲む。
本当はもう少し前、アイダがカトリーヌの部屋にこっそり現れたときにはすでに確信していたのだが、今回実際に部屋に呼ばれてみて、毒の現物を確認したのだ。ベッドサイドの、テーブルの中に。
「……そうか。」
クロードが険しい表情で、私から視線を外す。
しかし、私はアイダの罪を告発しに来ただけではない。言葉を選びつつ、私は言葉を続けた。
「クロード様、ですがアイダ様は……クロード様よりも強い毒を飲んでおられるようです。」
「……っ、……失礼いたしました。」
僅かに声を漏らしたのは、ハールトンだった。ハールトンはすぐに落ち着いた声で謝り、慇懃な態度で深々と頭を下げる。クロードはちらりとそちらを見てから、私に視線を戻した。
「どういうことだ。」
不可解そうな顔で、そう聞く。
――例え、数年後にアイダがクロードを殺すことができ完全犯罪的な簒奪を成功させたとして、現在10才前後だとかいうアイダの息子はたぶん成人年齢になっていない。それを支えなければならないだろうアイダが自ら毒を飲むとは考えにくいのだろう。
というか、本当にアイダが毒を煽っているのならば、そもそも簒奪を計画しているかも怪しくなってくる。クロードを殺し、自分を殺して一体何がしたいのかさっぱりわからない。
しかし。
アイダが飲んでいるのはただの毒ではなかった。シルビアがアイダから感じ取ったのは、毒気や病魔ではなく濃い魔獣の気配だ。しかも自覚症状は全くなさそうだった。
つまり自称・錬金術師である紫のヴェに言いくるめられたのか騙されているのか、アイダは自分にとって良くないものを飲んでいる自覚がない可能性が高い。毒を生成する刻印なのだから、それが毒の一種であることは確かだろうが。
人の魔獣化が、頭を過ぎる。
クロードを暗殺する薬と、アイダを魔獣にするかもしれない薬。その両方を提供している紫のヴェが何を考えているかは分からないが、まあろくなことではないはずだ。
私の見える範囲で紫のヴェが計画しているだろう謀が成功するのは……かなり癪である。まだ直接手を下せないぶん、できればその計画の両方を失敗させてやりたいと思ってしまうのは、しょうがないことだろう。
それに、ダなんとかが豚っぽい魔獣になったように、もし、アイダが、私がいないときに魔獣化したら? ――いや、まあ霊獣その1とその2がいれば被害は最低限には抑えられるかもしれないが、それでも辺境伯爵家的にはかなりの痛手だろう。身内が魔獣化したなど、外聞が悪すぎる。
私は視線を伏せて、口を開いた。
「アイダ様は、毒を飲んでいる自覚がないように思います。クロード様のように体調に変化があれば気づいたかもしれませんが……クロード様に盛られているような特殊な毒を創る相手です、自覚症状の全くない毒を創り出すこともできるのでしょう。」
「毒は……同じ……相手から入手していると?」
「精霊様が言うには、ですが。」
シルビアも精霊様扱いにしてしまったが、まあ今更だ。シルビアも霊獣その1もその2も、もともとは魔獣なのだし大して変わらないだろう。
「精霊様がそうおっしゃるのならば、そうなのだろう。」
うむ、とクロードは何の疑問もなく受け入れた。精霊様は偉大である。
「……アイダをそそのかした者がいる、と。……操られている可能性も……あるのか……?」
「そこまでは分かりません。」
アイダが紫のヴェに頼んだのか、ヴェにアイダがそそのかされたのかまではさすがにわからない。
どちらにしろアイダが罪を積み重ねていて、それを償わなければならないことだけは確かだが。
「クロード様。」
私はクロードの目を見た。クロードは眉間にしわを寄せて、こちらを見返していた。
「僕は、どうすればいいだろうか。」
ぼそりとそうつぶやいて、クロードは深いため息を吐いた。
「いや、僕が考えなければならないことなんだろうな。……アイダは、僕から見ても完璧なこの屋敷の女主人で、お父様からもお母様からも信頼され、使用人からも慕われている。出入りしている商人だって、アイダだからこそ取引している者もいるだろう。だが……しかし、僕は……、僕はもし、毒で操られていたとしても……アイダを許すことができそうに、ない……。カトリーヌを一度は殺……っ、――殺めかけ、カトリーヌを守っていた騎士たちのうち幾人かは……死んだんだ。」
視線を机へと落とし、両の手を握りしめ、クロードはぎりりと歯を食いしばった。
クロードは幼いころから病弱になるよう、そして大人になってから静かに死ぬようにアイダに毒を盛られ続けていた。クロードはずっと歯がゆい思いをしていたのだろう。病弱なのは、ずっと、自分のせいだと思っていたはずだ。その原因が毒によってもたらされていたのだと知れば、アイダを許せないのは当然だった。
しかし、問い詰められたアイダが逆上してダぶたンのように魔獣化したらしたで問題なのだ。できるだけ穏便に……どうにかできる方法がないだろうか。
例えば、そう、クロードが精霊を信じすぎているのなら、精霊に判断させる、とか?
「……精霊様に、裁定を委ねられてはいかがでしょうか。」
「精霊様に……?」
クロードはゆっくりと視線を上げて、霊獣その1を見た。
「癒しの精霊様は今、自分の意志でクロード様を守護していらっしゃいます。いわば、そうですね、クロード様の守護精霊とでも言えばいいのでしょうか。」
癒しの精霊は命を象徴する子月の眷属扱いにしているが、まあ、そのあたりの詳しい分類などこの際置いておく。裁定の力は本来太陽や太月が司っているものだが、いちいちそれ用の召喚獣を出しておくわけにもいかないし、クロードが癒しの精霊の本質を知らないのだから全部まとめて押し付けても問題ないだろう。
「クロード様を守護している精霊様がアイダ様をどう扱うのか、一度、試してみられてはいかがですか?」
私は、ぴぴ、チチチと囀る白い小鳥に視線を向けながら、そんなことを言った。




