アイダと魔装具
聖王都行きが決まってから、さすがに王女サマに会うのだからと、私は最低限のマナーをカトリーヌから教わるようになった。カトリーヌもきちんとした令嬢として振る舞えるよう、ハールトンにびっちり所作などを見直してもらっている。
聖王都に行くのは、カトリーヌ、ハールトン、そして私だ。本来なら辺境伯も付いてきそうなものなのだが、なんと王女様は聖王都の貴族街にある辺境伯の別邸にお忍びで来るそうで、こちら側もできるだけこっそり来てほしいという要請があったらしい。仮にも辺境伯の令嬢を王都まで呼び出すのにこそこそ来いとは、シャーリィ王女は、だいぶわがままなお姫様のようだ。
……一応アーヴィンに聖王都行きの話を伝えたが、さすがに敵の本拠地に行くわけにもいかないのだろう、アーヴィンは眉根を寄せつつ不機嫌そうに「そうか。」と頷いただけだったし、私もついてきてほしいとは言わなかった。
そうしてマナーを教えられる日々を過ごし、聖王都に発つ準備も万全に整ったあたり。
正確には、旅立つ2日前。
私はクロードとカトリーヌの目の前で堂々とアイダの侍女に呼び出された。
クロードが何を聞いても侍女が「……アイダ様がお呼びなのです。」としか言わないので、2人には伝えられないことなのだろうか。私は不安そうな2人を残してアイダの部屋へと向かった。
私を案内するのは、いつだったかアイダが魔道具を見せに来てくれたときについてきた年配の侍女だ。やはり獣人が気に入らないようで、ずっとむすっとした表情を顔面に張り付けている。もしかしたら獣人ではなく、私個人が気に入らないだけかもしれないが。
「奥様、連れてまいりました。」
「お入りなさい。」
「失礼いたします。」
許可が出たので部屋に入る。
一人掛けのソファにゆったり座り微笑むアイダは、今日は長い黒髪をアップにまとめており、胸元が開いた大胆なドレスの上に上品そうなレースのショールを羽織っていた。
――やはり、魔獣の気配が濃い。しかし、アイダに魔核は確認できない。血色はすこぶる良いというわけではないが、まあ普通の範囲内だ。
さっと観察してみたが、アイダが今どういう状態なのかさっぱり分からない。
部屋に漂う魔素に、紫のヴェの気配が混じっているような気がした。
「いらっしゃい、リネッタ。」
「お久しぶりでございます。」
ぺこりといつものように頭を下げると、アイダの笑みが濃くなる。
「そう。……わきまえることはとても大事だわ。カーテシーを練習していると聞いて心配していたのだけれど、その様子ならばわかっているようね、貴女は。」
私は絶妙にカトリーヌを貶す言葉に「そうですね。」などと頷くわけにもいかず表向きは沈黙したが、まあ、奴隷が貴族のお辞儀をしてもねえ、と内心ではアイダに同意した。
カトリーヌがどう考えているかは分からないが、あくまでも中立派であるティリアトス辺境伯家の聖王都での私の扱いは、護衛でも友達でもなく“奴隷”のはずなのだ。たとえカトリーヌの“お人形遊び”に使われているとしても、奴隷が貴族のように振る舞うのはやりすぎである。
私を呼んだのは釘を刺すためか、と思っていると、アイダは扉の手前に控えていた侍女を呼んだ。
「あれを、ここに。」
アイダがそう言うと、私を案内してきた年配の侍女がすすすっとでっかい豪華な鏡台の上に置いてあった何かを持ち上げ、アイダと私の間にあるひどく重そうな大理石の天板の乗ったテーブルの上にじゃらりと置いた。
大小3つの金属らしき輪っかで構成されたそれは細い鎖で繋がっており、輪っかの外側には魔法陣のような模様が刻み込んであった。見たことのない、新たな、魔、道……、魔道具だ――――!!!
「……貴女ならば、理解できると思うのだけれど。」
思わず視線がアイダから魔道具へと吸い付けられてしまうが、アイダはおかしそうに「ふふっ。」と笑っただけだった。
「さあ、手に取ってみてもいいのよ。それが何の魔装具か、分かるかしら。」
「魔“装”具……! し、失礼します!」
逸る気持ちを抑え、そっと近づいて、壊さぬようにそれを手に取る。
金属独特のひんやりした感触。見れば輪っかはそれぞれ半分に割れるようになっている。装具というからには体に装着するのだろう。……しかし、この構造ではどの輪っかも一度嵌めたら外れないのではないだろうか……。
一番大きな輪っかは直径が10センチと少しくらいで、幅が2センチほどだろうか。タグのようなものがついていて、そこにはティリアトス辺境伯爵家の紋章が刻まれている。輪っかの周囲にはひどく細かい魔法陣が繊細な模様のように彫り込まれ……どうやら一つの魔法陣を形作っているようだった。そして輪っかの内側にも同じように古代語が彫りこまれている。透かし彫りのようにされているところもあり、装飾品としての価値もありそうだと思った。
魔法陣は形が形なのでひどく読み解き辛いが、太月と……太陽……? 珍しい組み合わせだ。静と動という正反対の象徴が2つ同時に使われることなどめったにないのだ。彫りこまれている古代語の意味を調べればその謎も……、…………うん?
私はあることに気がついて、アイダを見上げた。アイダはこちらをじっと見つめ、優しそうな顔で私の疑問を肯定するように頷く。私はゆっくりと視線を魔装具に戻した。
3つの輪っかは、取り外しができる細い鎖で繋がっていた。
小さな輪っか同士は40センチほどの短く細い鎖で繋がっており、小さな輪っかをつなぐ鎖に、大きな輪っかからの長めの鎖が繋がっている。
私は小さいほうの輪っか2つに視線を向けた。そちらにも同じように外側と内側に魔法陣が刻まれているが、描かれているのは子月と闇月だった。
太陽、太月、子月、闇月、全ての象徴が刻まれたそれは――大きな輪っか1つでも使えるが、もう二つの小さな2つを合わせて使うことで最大限機能するようになっている、魔装具だった。
そう、魔装具。私は再び、微笑みを湛え続けているアイダを、確信を持って見上げた。
アイダがふと真剣な顔をして、静かに口を開く。
「リネッタ。それが何かわかったのならば、どうすれば良いか、分かるわね?」
「はい。」
こくりと頷き、私はその魔装具のなかの小さな輪っかの一つを右手首に、もう一つの小さな輪っかを左手首に、そして大きな輪っかを自らの首に、付けた。金属なので冷たいしやや重い気がするが、まあ、この魔装具の役割を考えるのならばこんなものだろう。それにすぐ慣れる。
首輪を完全に嵌めると、ガチ、と二度と外れない鍵が閉まる音が聞こえ、じゃらりと細い鎖が服の上で揺れた。
アイダから“渡された”もの。
それは――私を奴隷たらしめるための、魔装具だった。
「隷属の魔装具というの。」
アイダが語る。私は小さくうなずいた。
「クロード様やカトリーヌ様は、そういったものを一切、貴女に教えていないのでしょう?……存在を知らないはずはないのだけれど。」
「はい。」
「でも、なぜこれを付けなければならないか、貴女なら分かるわね?」
「はい。お気遣いありがとうございます。」
ぺこりと頭を下げる。
「――っ、……これは獣人奴隷用の枷よ。名前を呼ぶことで強制的に命令に従わせる以外に、継続的に体力を奪い霊獣化を封じてもいるの。できるだけ早めに魔装具を発動して、旅の間に少しでも体に慣らすようにしておきなさい。」
「承知しました。」
私はもう一度、「ありがとうございます。」とお礼を言った。
頭を下げ、視線を床に落としたまま、私は考える。
アイダが簒奪を考えているのは事実だろうが、それが成ることはもうない。近いうちに罪も暴かれるだろう。
しかし、彼女はこの領地のことは誰よりも考えているっぽいし、有能だ。アイダが何を思って簒奪を計画たのかは分からないし犯した罪は消えないが、クロードと和解はできないものだろうか。
2日後、私はカトリーヌとともに聖王都に行く。
紫のヴェとの間に何かあれば、もしかしたら、二度とこの屋敷に戻らないかもしれない。
……アイダには魔道具を見せてもらったり、外出許可の手伝いをしてもらったり、魔道具を見せてもらったりしてお世話になった。私は……余計なおせっかいを焼いてみたくなった。




