問題は、“待て”。
ちょうど雨が上がったあたりに、クロードとカトリーヌは部屋に戻ってきた。
「リネッタ。わたくしのお友達の話をお聞きになったシャーリィ王女が、貴女を見たいとおっしゃっているそうなの……。」
部屋に戻ってきてすぐに侍女を下がらせたカトリーヌが、椅子に座りながら、困惑を隠そうともせずそっと頬に手を添えてそんなことを言う。誰だそれ、と考えていた私の頭の上の見えない疑問符に気づいたのだろうか、クロードがカトリーヌの話を引き継いだ。
「シャーリィ王女は聖王様のご息女であり、現在、聖王家でたった一人の占術師でもあるお方だ。」
「せんじゅつし?」
私が首を傾げると、クロードは「ああ、まあ、知らなくて当然か。」と頷き、言葉を続ける。
「占術師というのは魔術師の上、特に星の魔法陣の研究や占術……未来予測などを研究している国の役職だ。」
「みらいよそく!!!」
「先代の歴王様がご健在だったときには、聖王都の守護星壁の管理もしていたらしい。」
占術師。なんとなくどこかで聞いたことがあるような気がしないでもないが……占術師は、魔術師よりも魔法陣に詳しい、と。私の知らない魔法陣をたくさん知っていそうだ。すばらしい。覚えておこう、占術師。
「で、聖王家の占術師様が、何用で獣人を聖王都に……?」
「占術師としてではなく王女として呼んでいるのだとは思うんだが、理由は……分からない。シャーリィ王女は王城内でもめったに顔を見せることがないことで有名で、僕たちどころか、お父様さえお会いしたことがないらしい。どういうお方なのか、よくわかっていないんだ。ただ、……リネッタを“見てみたい”と熱望されている、らしい。……すまない、本来、僕たちを助けてくれたお前に辛い思いをさせるわけにはいかないんだが……ヒュランドルの街の代官の引き抜き要請とは格が違いすぎる。王族の申し出を、僕たちは断ることができない。」
クロードが難しい顔で言うので、私は傾げた首を反対方向に傾げかけ、ああ、そうかと思い当って納得した。
このなんたら聖王国は今、獣人差別を擁護し、奴隷撤廃は成されているものの獣人を奴隷として使うことを取り締まっていない。
そんな中私が聖王都に行けば、どんな嫌がらせが待ち受けているのか……まあ石を投げられる程度のものではないことは確かだろう。さすがに平民は獣人相手でもそれが貴族の持ち物ならば手を出さないかもしれないが、王族と会うとなれば出てくるのはカトリーヌよりも上位の貴族である。
どこへ行こうが何をしようが、針の筵のはずだ。しかも今回は、私に“逃げる”という選択肢が存在しない。なぜならば私が逃げればその罪はカトリーヌに、そして辺境伯にまで及ぶ可能性があるからだ。詰んでいるとはこのことである。
とはいえ、私が聖王都に行くこと自体には、あまり危機感を抱いてはいなかった。不意打ちさえされなければ、魔法抵抗皆無の相手に命の危険など感じることなどないのだから。
少し前まで歴王がいた王都ならば、相応に栄えているだろう。買い物はできなくとも、建物を眺めたりするだけで楽しそうである。周りの視線や嫌味など、私が気にしなければいいだけの話だ。物理的な嫌がらせはまあ……相手によってその時に考えるとして。
――そう、私自身は聖王都に危機感を抱いてはいなかった。強いて言うのなら、魔人と同じような体になっている私がそもそも聖王都に入れるかどうかくらいだろうが、今の歴王がいた王都にも入れたので問題ないと思いたい。
しかし。
そんなことなどどうでもよくなるほどの問題を、私の体は孕んでいる。
――シルビアである。
聖王国で唯一の錬金術師だという紫のヴェは、聖王都に、というか王城にいる可能性が高い。城に入るどころか聖王都に入った時点でシルビアは即見つけるだろうし、見つけ次第即行動を起こそうとするだろう。赤い爪のトカゲのときのように問答無用で私の意識が引っ張られ、殺る気満々のシルビアが表に出てきてしまったら目も当てられない。
街中を一直線に王城へ突き進む“辺境伯家の”奴隷。城を幾重にも護っているだろう門など軽々と突破し城へと正面から堂々と侵入して城内を守る兵や騎士たちをなぎ倒していく、“辺境伯家の”、獣人。
どうあがいても、反乱。
カトリーヌに迷惑とかそんなこと言っていられる場合ではない。お家取り潰しの上、使用人と近親を含めたティリアトス辺境伯爵家の血縁全員極刑コースである。
もちろん、紫のヴェは許さない。しかし、物事にはタイミングというものがあるのだ。それをシルビアがすぐに理解できるかというと、正直、難しいだろう。教育しなければならない。できれば、今日からでも。
その日、カトリーヌが家族とともに昼食を摂る時間を見計らって外出許可を取り、私は屋敷から外に出た。
街には向かわず、ゆっくり散歩するように屋敷の裏手にある雑木林を歩く。
ぽたり、ぽたりと風に揺られた木々から水滴が落ちて頭の上を少し濡らすものの、そこまで嫌な気分ではない。少し肌寒い風が心地よい。
雑木林をゆるやかに曲がりながら続く石畳は、苔の生えた石の隙間から土に浸み込んでいるのか、それとも林側へと流れていくのか、石自体が滑りやすくはなっているが、石畳の上を歩いていれば水たまりに足を突っ込むようなことはなさそうだった。
「シルビア。」
(ン。)
昼に散歩できるようになり、雨で不機嫌になってはいるがここのところシルビアはだいぶ落ち着いていた。やはり全く動かなかったのがだめだったようで、最近は夜のお出かけも少なくなってきている。まあ、夜も雨が降っていることが多いからというのもあるのだが。
「聖王都というところに、行くことになったの。そこには、あの、紫のがいるのよ。」
(ニク!)
「食べないわ。……それに、見つけても、まだ、手を出してはいけないの。我慢しなければならないの。できるかしら?」
(デキない!!!!!)
知ってた!!!
絶対に無理だという意志がありありと伝わってきたので、私は全力で「ですよね!」と頷いた。しかし、シルビアが我慢ができなければ、起こるのは最悪の事態である。
どうにかして、シルビアに“待て”を覚えさせなければならない。
「ねえシルビア? 紫のアレは、いずれ、絶対にあなたにあげるわ。でも、まだそのときではないの。だから、私が聖王都にいるあいだ、……うーん、眠る、とか……できないかしら?」
(ネムる?)
「……そう、私が死にかけた時、あなたは目覚めたのでしょう? その、目覚める前に近い状態になったら、多少我慢ができるのではないかしら。その状態に戻れるのならば、だけれど。」
(ウーン……?)
シルビアはいまいちわかっていないようだったが、まあ、私を押しのけて強制的に表に出てこなければぶっちゃけなんでもいいのだ。私の内面で暴れて叫んでいても表にさえ出なければ、周りは誰も分からないのだから。
「ぜ――――ったいにあなたにあげるわ。でも、魔獣の世界とは違って、今すぐじゃないの。順番があるのよ。だから、それまでは我慢できるようになってもらわないと、紫のの近くにもいけないのよ。」
(ムムムムム……。)
「我慢すればしただけ、紫のと遊ぶのはきっと楽しくなるわ。もちろん他でも発散できるようにするから……お願いできないかしら。」
(ワかった。……シルビア、ガンバる!)
「ありがとう、シルビア。私も、紫のをあなたにあげられるように、頑張るわ。」
(シルビア、ガマん……すル……)
「頼りにしてるわ、シルビア。」
シルビアが頑張るのならば、私も頑張らなくてはならない。
たしかアーヴィンが、紫のも含めた魔人の派閥?に聖王国のトップが乗っ取られているかもとかなんとか言っていたし、聖王都には他にも魔人がいるのだろう。どんな研究対象が私を持っているのか、私はわくわくした。
次回から土曜日20時更新に戻ります。




