プロローグ セシアル・ガードナー
――真夜中の聖王都。そのやや東よりに聳え立つ白亜の城の、どこか。
ここ2年のあいだ全く代り映えのない部屋の中、ベッドの上で魘されている隠匿を、一人の少年が慈愛に満ちた笑みを浮かべて眺めていた。
年のころは14、5歳あたりだろうか。ふわふわのミルクティー色の髪はショートボブに切りそろえられていて、前髪は片方だけが長く右顔の上半分が隠されている。
やや裾長の上着から覗くショートパンツからほっそりと伸びた足は白く長く、かわいらしい顔立ちも相まって彼をひどく幼い印象にしていた。
「隠匿……早くこちらにおいで。」
頬を上気させ、潤んだ菫色の瞳で目の前の隠匿にそう囁く。しかし、ベッドの上で身じろぎする隠匿が目覚める気配は、ない。
「枷が分からなくとも、やりようはあるんだ……でもね、隠匿。僕は、君の全部が欲しい。ようやく手に入れた君を、壊したくはない。ねえ、あの暴れるしか能のないあいつは、ただの武器でしかない。戦うための道具を守るのは、変だとは思わない?」
その笑みに仄暗い感情を乗せて、少年は深い皺の刻まれた隠匿の頬を撫でた。
「僕たちは、もう魔人なんだ。人の枠の中で決められていた主従を守る必要なんて、もうない。復讐が成されたのなら、君は、自由になっても、いいんだよ。」
頬から手を放し、そっと、隠匿の胸の上へと乗せる。
「それにね、隠匿。……枷を耐えるなんて、おかしいんだよ。枷は、罪人を捕えておくための刑具なんだから。……見ないふりをしてもそれは君の首に嵌っているし、君じゃあ枷を外せない。……復讐を成し終えたときと何も変わっていないことに、気づくべきだよ、隠匿。一度得た糧は、失うことはない。魔人になった時点で、僕たちの運命は定められているんだ。」
じわりと、隠匿の胸に置かれた少年の指先が闇を纏った。
「本当はね、自然と、枷を受け入れてくれるのを待ちたかった。でも、ヴェスティがのろのろしていたせいで、もう、待ってあげられる時間が少ししかないんだ。ごめんね、隠匿。少しだけ、君の、殻を破る、手伝いをするね。」
少年の生み出す闇色の靄が隠匿にするりと入ると、びくりと隠匿の体が強張った。隠匿が、呻く。
「君ならきっと、僕の期待に応えてくれると、思ってるよ。……僕の仲間に、なってくれるよね?」
少年はそう言うと、目覚めない隠遁を残しそっとその場を離れた。
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「――ヴェスティ。」
「おや、誰かと思えば珍しい。セシアル、このような時間にどうしたんですか?」
夜空に浮かぶ闇月を一人眺めていたヴェスティは、聞こえてきた言葉に視線を自室の扉へと移した。
可愛らしい少年の姿をした魔人が、そこにいた。彼の名はセシアル。ヴェスティら聖王国で活動する魔人を統べている“何か”だ。
「待ちくたびれちゃったから……君を手伝うことにしたんだ。」
困ったような怒ったような顔で、ミルクティー色の髪の少年セシアルはヴェスティを見つめた。
「……そう、ですか。まぁ、“贄”の条件が未だに不明ですからねぇ。」
ヴェスティは窓辺から離れ、来客用のソファにどさりと座る。あからさまに残念そうな顔をつくり、ふうとため息をついた。
「あとちょっと、ってところだとは思うんですよ?」
そう言いつつセシアルに視線を向け、「どうせもう手を下したあとなのでしょう? どうでした?」と聞いた。その様子に、セシアルは諦めたように肩をすくめてみせる。
「うーん、枷を受け入れられない魔人は一定数いるけど、あの魘され方はちょっと異常かも。もしかしたらアーヴィンと長いこと離されて、ホームシックなのかもね。アハハ。」
セシアルがおかしそうに笑った。しかし、その表情はすぐに消え、「はあ、邪魔だなあ。」というひどく冷めた声色の言葉がこぼれる。
「生前に主従関係だったからって、いい大人なのに世話をしたがるとか本当に不思議。たしかにあいつは普通の魔人と比べれば強いけど、それだけじゃないか。刻印の相性も最悪だし、一緒にいる必要性皆無だよね。本当に存在が邪魔。……あいつを手に入れたら、隠匿の目の前で枷を外してどっかに特攻、これ絶対。」
「おお怖い怖い。私たちもバケモノにされないよう、せいぜいお役に立たないといけませんねえ?」
ヴェスティが肩をすくめながらふふ、と笑うと、セシアルはすぐに機嫌を直してくすくすと笑った。
「十分役に立ってるよ、ヴェスティ。なんてったって君は、聖王国でただ一人の錬金術師様なんだからね。」




