7-3 ヨルモの1日 2
「叩き起こすからかなり暴れるぞ。ちょっと離れてろ。できれば木の上に登ってろ。」
俺はそう言って、腰に吊るしていたナタを手に取る。離れていくリネッタを確認してから、横たわっている小牙豚の首めがけてナタを振り下ろした。重い手応えと一緒に、肉を切る感触が手に伝わってくる。
しかし、首にある太い血管を完全には断ち切れていないようだ。血は出ているが、傷は深くない。ふつーの小牙豚ならこれで余裕なのだが、さすが大きい個体ということなのだろうか。枝を切り払いすぎてナタの切れ味が悪くなっているというのもあるかもしれない。帰ったら研いでおこう。
俺は、暴れるどころか全く目覚める気配のない小牙豚に疑問符を浮かべながら、続けて何回か首にナタを振り下ろし、なんとか血管を切断することに成功した。あとは、後ろ足に縄を縛り付けて、倒れている大木に引っ張り上げれば、血抜きは出来るだろう。
「お、重い……」
ギシギシと縄をきしませながら、小牙豚の後ろ足を大木に引っ張り上げる。重さからすると、もしかしたら普通のサイズの1,5倍以上はあるかもしれない。
ようやく小牙豚の下半身を大木に引き上げて逆さにし一息つくと、リネッタが複雑そうな顔でこちらを見ていた。やはりこういうのは苦手なようだ。
「もう動かねーから大丈夫だぞ。つーか、もともと死にかけだったみてーだなこりゃ。」
「そ、そう。」
リネッタが恐る恐るこちらへ近づいてこようとしたその時、ガサガサと音を立てて森から一人の少年が現れた。
「すっげーなヨルモ!お前が仕留めたのかそれ!」
そう大声を上げながら近づいてきたのは、一緒に森に入ったキースだった。こいつは人の中でも獣人差別をしないほうの、心許せる仕事仲間だ。
第三壁内でそこそこ大きな店をやっている商人の第三子で、将来的には長男の商隊の護衛をしたいと意気込んでいる。第三壁内では比較的裕福なほうで、いつもよく磨かれた革鎧を身にまとっているので、俺と一緒で短剣か何かを使うと思われていることが多いが、キースの武器は魔法陣だ。
「いや、仕留めたっつーか、なんつーか。」
「はあ?なんだよそれ。それにしてもすっげーな。毛皮にもほぼ傷ねーじゃん。……ん?どうやって仕留めたんだ?」
キースは首をひねりながら小牙豚をまじまじと見ている。まあ、そうだろう。俺がいつも持ち帰る小牙豚は、槍で突かれて傷だらけになり、毛皮は使い物にならないのだ。
「俺もよくわかんねーんだよ。」
「はあ?……って、うおっ!誰だ!」
キースがようやくリネッタの存在に気づいたのか、変な声を上げてリネッタを指差した。
「俺のいる孤児院に新しく入ったヤツだ。花を摘みにここまで入ってきたらしい。」
「花?いやでも、さすがにここまで入ると危ないんじゃないか?小牙豚だって、ここで仕留めたんだろ?」
まあ、普通は危険だと思うはずなんだけどな!と、俺は心のなかで毒づいた。しかし、このリネッタという少女には、そういう“普通”は通じないのである。
「森の入口に生えてる薬草の場所を教えてあげなよ。それなら、何もこんな所にまで入る必要はないだろ?薬草は花なんかより確実に売れるし。しかも一人で摘むんだろ?人攫いの目につかなそーな所とかさ。ほら、何箇所かあるだろ。」
「私、薬草の見分けがつかないの。」
リネッタがフードを後ろに下ろしながら口を開く。それを聞いたキースは、リネッタの方を向いたかと思うとなぜか言葉に詰まってしまった。それを見たリネッタが首を傾げる。
「薬草の見分けがつかねーとか言うから驚いてんじゃねーのか?」
「いやいやいやいや!そんなことはないよ!全然そんなことない!」
俺が口をはさむと、キースはなぜか声を上げて否定した。
「ヨルモが忙しいのなら、僕が教えてあげてもいいよ、薬草の見分け方!ヨルモはどうせ明日もこの森に狩りに入るんだろ?僕は、明日は予定があいてるんだ。」
ははあ。俺はジト目で赤くなっているキースを見た。その視線に気づいたのか、キースが慌ててこちらを向いて口を開く。
「い、いや、ヨルモが教えてあげる約束だったのならいいよ、全然!」
「そんなめんどくせー事、俺がやるわけねーだろ。リネッタ、薬草が摘める場所を、コイツが教えてくれるらしーぞ。コイツは詳しいからな、しっかり教えてもらえよ。」
面倒事を押し付けて欲しそうにしていたので、押し付けておこう。こいつなら、滅多なこともないだろう。
「あら、そうなの?なら、お願いしようかしら。」
リネッタがにっこりと笑顔を向けると。キースはわかりやすいほど表情を明るくして、「君の名前はリネッタというんだね!」と言いながら、リネッタに明日の約束を取り付け始めた。
それを横目に、俺はどうやってこのでかい小牙豚を持って帰ろうかと思案しはじめる。これを解体するには、俺の力では手持ちのナタや短剣だけではできないので、血抜きが終わればいつものように担いで持って帰ることになるのだが、いかんせん、でかいのだ。
重さはまあ、荷物運びで担ぐ荷物と同じくらいなのだが、何が飛び出してくるかわからない森の中で、血の匂いを漂わせているコイツを担いでのそのそと歩くのはかなり危険だ。内臓だけでも抜いておこうか……。
今日の場合、退治の目印だけを切り取ってここに置いていくわけにはいかない理由がある。
小牙豚を退治する仕事、といっても、病気などで死んでいる個体を見つけてその尻尾を持って帰るだけでも、実は報酬は出る。
しかしここは、いつも狩りをする森の中腹よりもだいぶ王都寄りなのだ。もしここに死体を置いて行けば、血の匂いに気づいた森の奥にいる肉食の獣が寄ってくるかもしれない。最悪、森の外に出てきて人を襲う可能性もあるのだ。この小牙豚は、持って帰らないのならば埋めるしかない。それはさすがに手間だ。
正直、リネッタの存在がネックだった。俺一人なら、肉食獣に遭遇しても肉を捨てて逃げ帰ればいいだけなのだ。
……しょうがない、内臓を抜いていくか。
俺はしぶしぶ、小牙豚の腹にナイフを入れ始めた。
「じゃあ僕は、まだ小さいのしか狩れてないから、もうちょっと森を探してみるよ。」
内臓を抜き終わり、持ちやすいように小牙豚の前足を縛り始めた俺にそう声をかけて、キースはリネッタに手を振りながら森のなかに消えていく。あいつは孤児院に居る他の娘達にも声をかけていた気がするのだが……いつか痛い目を見るに違いない。
俺は抜き取った内臓を適当に埋め、血に足で土をかけてから小牙豚を担いだ。だいぶ血の匂いが辺りに広まっている上に、自分も血の匂いがかなりついてしまったので、出来るだけ早くこの場から離れたい。
「そろそろ行くぞ。」
リネッタに声をかけると、リネッタは両手いっぱいに花を抱えて立ち上がった。
「ほんとに売れるのか?そんなもん。」
「乾燥させようと思っているの。いい匂いがする花と草を集めたから、干し花にしてみようかなって。」
「干し花?」
「ええ。こういういい匂いのする草花は、乾燥させたら薄い生地の布に包んで、匂い袋にするのよ。」
「へー。」
なるほどなあと思いつつも、やはり売れるかと言われると怪しい。匂い袋なんて聞いたこともない。しかし、リネッタは自信満々なので水をさすのも悪いと思い、俺は特に何も言わなかった。売れればそれでいいし、売れなければすぐに薬草に切り替えるだろう。
そうして俺はリネッタを連れて歩き始めた。
耳を澄ますと、鳥のさえずりが聞こえてくる。鳥の声がしているうちはたぶん大丈夫だろう。
「まだ森の中だからな、何が襲ってくるかわかんねーからお前も気をつけてろよ。」
きょろきょろと地面ばかり見ながら歩くリネッタに、俺は釘を刺す。リネッタは「分かったわ。」と、分かったんだか分かってないんだか分からないような顔で返事をする。
「ねえ、小牙豚の他には、どんな獣がいるの?」
「そうだなあ。鳥とか兎みてーな小動物や、小牙豚を餌にしてる野生の一角犬とかじゃねーかな。あいつらは2~3匹で連携とってくるから、もし狙われたら俺一人でなら逃げられっけど、お前連れだとかなり厳しいな。
まあ、そーゆー肉食の獣が出るのはもっと奥だから大丈夫だとは思うけどなー。あとは滅多に見ねーけど、緋毛熊とかな。」
「ふうん。……ヨルモも、その、緋毛熊を狩ったりするの?」
「ねーなー。」
俺は即答した。緋毛熊は、小さい個体でも体長が俺の2倍以上もあるでかい熊で、背中と胸元にある緋色の毛が特徴の、なかなか凶暴な獣だ。今日森に入った5人全員で立ち向かっても勝てるとは到底思えない。
緋毛熊の退治は、王都での騎士団入隊試験のひとつとなっているのでいつかは戦ってみたいが、俺のように力も技もマトモな装備もなく挑むのは自殺行為である。
「そんな危険な森なのに、さっきの彼は何も持っていなかったようだけど……。」
「キースか?あいつは魔法陣で罠を張って狩るんだよ。ま、あいつも一角犬とか緋毛熊と鉢合ったら全力で逃げるだろーけどな。」
「魔法陣で罠!?」
「いや、魔術師なら普通だろ。そこ、食い付くとこじゃねーし。」
そんなたわいない話をしている間に、俺達は森を抜けた。何事も無くてよかった、と心のなかで胸をなでおろし、俺はそのまま仕事斡旋所に向かう。
孤児院への曲がり角に差し掛かった時に、リネッタとは別れた。
リネッタには、帰ったら色々と言わなければならないことがありそうだ。




