表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
隣世界のリネッタ  作者: 入蔵蔵人
辺境領のリネッタ
256/299

閑話 サーディスの独白 トーラムの独白

「はぁぁあああああ。」


 バッキバキに割れた治癒の魔法陣の間から精霊神殿に併設されている療養施設の個室に移され、血にまみれた体を湯で洗い流し清潔な入院着を着たサーディスは、ベッドの上で胡坐をかいて座りながら盛大なため息を吐きたいだけ吐き出した。そして、ぐっだぐだのべっしょべしょになっていたトーラムの顔を思い出し、頭を抱えてさらに長い長いため息を追加する。


 ──正直なところ、自分が倒れたせいでトーラムがあそこまでぐずぐずでろでろになってしまうとは全く予想していなかった……わけではない。

 わけでないのだが、実際目の当たりにして改めて思い知ったのだ。今まで気づかないふりをしてきた、サーディスが重ねてきた罪の、その結果を。



 トーラムは、なんというかちょっと変わった性格……いや、性質を持っている。



 通常生活するにあたっては楽天的で物事を深く考えることがなく、様々なことに興味を持つが飽きるのも早い、一言でいうなら単純な性格をしている。悲しいことがあれば三十路手前(いいとし)のはずなのだが強がることも隠すこともなく普通にしょげるが、次の日にはけろりとしている。

 戦闘中はその楽天的な思考で、何か不測の事態が起こっても慌てるようなことがなく落ち着いて魔獣に挑める反面、それが悪い方向に働くこともままあり、思わぬ怪我をしたり単純な攻撃を避け損ねたり、今回のように逃げ遅れたりすることもしばしばあった。


 それだけならまあ、ちょっと抜けた奴というだけで済む話だ。


 しかし、滅多にないことだが、戦闘中にその状態が保てなくなるほど追い詰められると、トーラムは急激に思考のリソースを戦うことに引っ張られはじめる。最終的に“本気”になると、ころころと表情を変えていた感情は平坦になり、言葉も必要最低限しか話さなくなって目の前の敵を倒すことだけしか見えなくなる。その状態のトーラムはまるで別人のようだ。戦闘中の記憶が曖昧になっているので本当に別人なのかもしれないが。


 そして――危機を乗り越えたあとに襲いくるのが、あの、感情の氾濫である。


 子どもの頃から、トーラムは控えめに言っても感情が豊かだった。命の危機によって押さえつけられていたそれらが、戦闘が終わりトランス状態から解放されたのちに一気に爆発するのである。そうして感情が大爆発を起こしたときにそこで何が起きているかで、トーラムが何に傾くかが変わる。

 いつもは、サーディスがうまい具合に誘導していた。しかし今回はいなかった。それどころか、ああなる原因になったのは考えるまでもなくサーディスだった。普段はそうならないよう、気を付けていたのにもかかわらず、やってしまったのだ。


 しかし、トーラムが逃げ遅れるのを見つけた、あのとき。



 ――トーラムが死ぬ。



 そう理解した瞬間、体が勝手に動いた。ティガロが止める間もなく地を蹴り、駆けながら両手に構えていた魔剣を両方腰に戻して左腰あたりにあるクレイモアの鞘の下部の留め具を外したところでトーラムと魔獣の間に割って入った。

 クレイモアを右手で軽く途中まで引き抜き、それから角度を変えて鞘の半ばに作ってあるスリットから斜めに滑らせながら抜く。それから振り回さないよう最小限の動きで身体の前に移動させ、柄が目の前あたりになったところで手を離しすぐに逆手に持ち変え、体重をかけ刀身の3分の1ほどを固い地面に斜めに無理やり差し込み、魔素クリスタルを割る。爆発の規模によってはクレイモアだけでは体が支えられないかもしれないので、右腰のロングソードを右手で逆手に引き抜いてクレイモアにクロスさせるようにこちらは浅く地面に差し込んだ。


 クレイモアの魔法陣が発動するのと灰色のワーウルフ型魔獣が爆発したのは、同時だったように思う。防御の魔法陣が発動して、気を抜いたのがまずかったのだろう。気づいたときにはすでにサーディスはトーラムの腕の中にいた。脇腹が、ひどく熱い。


「……なん、で。」


 トーラムは、愕然とした顔でこちらを見下ろしていた。サーディスは灼熱のような痛みをなんとか我慢しつつ、トーラムに笑って見せる。


「すまん、しくった。……奴を、……頼む。」


 トーラムの瞳が、揺れる。そして、黒いワーウルフ型魔獣のほうに視線を向けたかと思うと、ふ、と纏う雰囲気が変わった。ぴりりと空気が張りつめるのを感じ、サーディスは安心して意識を手放した。とりあえず、魔獣は確実に討伐されるだろう、と。


 そうして起きてみたら、ぐっちゃぐちゃのトーラムである。


 あの大量の血や治癒の魔法陣を使ったところから見ても、サーディスは間違いなく死にかけていたのだろう。それも、トーラムが今までに見たこともないほど異常なまでに取り乱すほどに。


 サーディスは正直なところ、トーラムに合わせる顔が無いと思っていた。

 トーラムを守ったことは全く後悔していない。しかし、だからと言って自分が死にかけるのは論外だ。トーラムのことだ、もしサーディスが死ねば、後悔を引きずって引きずって引きずり倒しながら田舎で死ぬまで一人で引きこもるに違いない。サーディスはそのトーラムのしょげた姿をありありと想像できた。

 ……しかもそれは、いつも“まあ俺がなんとかすればいいことだし”とトーラムに自分で感情を制御することを放棄させてきたサーディスの過ちである。


 夜、宿が同室であるサーディスは、トーラムと嫌でも顔を突き合わせることになる。

 その微妙な空気をどうするか、サーディスは今から気が重かった。



__________




 その頃トーラムは、宿のあてがわれた部屋の中で、改めてサーディスが助かったのだという事実を噛みしめてぼろぼろと涙をこぼしていた。

 魔獣を倒したときの記憶が曖昧なので、自分が“あの状態”になってしまっていたのだとは分かる。トーラムは、ああなったあとに感情の振れ幅が大きくなって上手くコントロールできなくなることを自覚していたが、今回はいつも以上に感情の起伏を抑えきれなかった。


 サーディスが、生きている。


 ついさきほどまでは、本当に失ってしまうのかという恐怖に埋め尽くされていたが、今、じんわりと心に広がっているのは安堵だ。サーディスは、生きている。自分の前から、いなくなることは、ない。


 ああ、俺は、サーディスに依存している。


 以前からその自覚は、あった。それこそ普段全く触れないだけで、10代のときに2人で村を飛び出してマウンズで傭兵ランクを取ったときにはすでに心の片隅にそれは在った。


 サーディスは、サーディスがどう考えているかに関わらず、トーラムにとって正しく魂の片割れであった。失えば、生きてはいけない。

 その感情は家族愛でも友愛でも、ましてや恋愛などでもない名前の付けられない(いびつ)な何かだ。トーラムはそれが世間一般的に見て異端であることをわかっていたが――今まで見ないふりをしてきたし、サーディスが許す限りこれからもずっとそのままだ。


 ぐし、と涙をぬぐって、トーラムは顔を上げる。どれだけ流してもとめどなく溢れ出てくる涙を、ぐしぐしと何度もこする。

 ランクBになってから何年も経っているし、経験もじゅうぶん積んできた。どんな魔獣が相手でも心の余裕を保てるようになっていた。だから、この状態に陥ること自体が数年ぶりだった。しかも、ここまでひどいのはランクCの頃、サーディスとともにランクBの魔獣に襲われて死にかけたとき以来だ。

 こんなとき、サーディスがいれば。治癒の魔法陣があった部屋でちらりとこちらを向いてすぐにティガロへと戻されたサーディスの視線を思い出し、目を閉じる。幼い頃からトーラムを見ていたサーディスは分かっているのだ、ああいう状態のトーラムを下手に構うと、状態がさらに悪化することを。


 自覚していても自分ではどうしようもないのだが、この状態からできるだけ早く抜けて、魔素クリスタルを持っていかなければならない。トーラムはゆっくりと深呼吸を繰り返してから、目を開けた。涙はまだ零れてくるが、感情のピークは過ぎているのでもうあんなぐずぐずにはならないだろう。


 たらいに張ってある魔法陣で冷やされた水で顔を洗って、備え付けの清潔な布でごしごしと拭く。サーディスの荷物から透明な魔素クリスタルの入った皮袋を出し、腰の魔素クリスタル用ポーチに突っ込む。無駄に、時間をかけてしまった。サーディスが待っている精霊神殿まで、急がなくてはならない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ