閑話 そうして来たるそれぞれの岐路 2
トーラムは後ろに控えたランクC傭兵2人を庇いながら、さてどうするかと考えた。
ランクCの片方は白銀の栄光リーダーのヘブンで、自分に自信があるが考えが浅く突っ走って死ぬタイプ。もう一人はアークで、身分的にはヘブンの下であまり発言はしないもののヘブンに嫌々付き合って傭兵をしているわけではないらしい、隠れ熱血タイプと聞いている。
男爵も準男爵も騎士爵も上位貴族とは違って移ろうことが多い。男爵は金でも買えるし、当主のミスでさくっと爵位が取り上げられることがあるほどそのあたりの爵位は軽いのだ。さらに本家である男爵が潰れるとなし崩し的に分家の爵位も返上になることが多い。
しかも嫡男ではないこの3人は、よっぽど金持ちなどの理由で婿入りが熱望されたり、相当な手練れで騎士としてどこかで身を立てるなどすることがない限り市井に下る可能性が高いはずだ。
この3人は自力でランクC傭兵になった。遊びや箔付けで傭兵をしているのではなく、貴族でなくなっても傭兵で生きていくつもりなのだろうとトーラムは考えていた。そう、性格が悪かろうが権力を笠に着て威張っていようが傭兵ギルドからの評判が“どこをとってもクソ”であろうが、彼らは“傭兵”としてここに立っている。
それは、先輩として、応援しなければならない。
これはトーラムとサーディスの、共通の信念であった。
ランクが低いときに、実力が伴っていない発言や態度をとってしまうのは多かれ少なかれ大抵の傭兵がやってしまうものだ。実際に魔獣と相対したことのないランクCやD傭兵の中には、理想が高いうえに、自分がその理想に近しい位置にいるのだと錯覚している者も少ない数いる。
しかしそういった問題はランクCにいる間に様々な事柄に揉まれて、そのうち現実とつり合いが取れてくるものだ。態度だってランクがBに上がるころには自分の力量や立場が自然とわかってきて、大部分は収まるところにおさまる。
そしてそれを導くのが傭兵ギルドであり、先輩の傭兵なのである。
「ヘブン、アーク、相手をよく見ておくんだ。たぶんこいつはよくいるワーウルフ型じゃない。屋根から飛び降りてきたし、きっと足が速くて身軽だ。不利だと悟れば逃げるかもしれない。逃げられたら、人の足じゃ追い付けないかもしれない。」
目の前の灰色のワーウルフ型魔獣は、体長2メートルほどだろうか。かなり小型の部類だった。ワーウルフ型というのは、基本的には毛皮の下に筋骨隆々という言葉がぴったり当てはまりそうな体格をしているはずなのだが、今回の相手は異常に細い。ひょろりと手足が長いため、その先に着いた爪が不格好に大きく見えていた。あばらが浮いていて、ぽつぽつと毛が剥げているところもあるし、ふさふさであるはずの尻尾も先っぽの皮膚が見えていた。
顔もほっそりとしていて、不揃いの牙の間から舌がだらんと垂れている。濡れた鼻はひくひくと何かを嗅ぎ取っていて、ぎょろりとした目がじっとトーラムを見下ろしていた。しかしその目は、濁っている。
グルァ……
あまりに力のない鳴き声に、違和感は増す。これはまるで――
「アンデットみたいなやつだな……。」
アークがそうこぼすのが聞こえる。トーラムは頷いた。
「傭兵と戦ったときにこっちは討伐されて、でも魔核がそのまま残されてしまってグール化した可能性もあるな。ゾンビと違ってグールは運動能力も高いから、気を付けないとな!」
灰色のワーウルフは何かを考えているのだろうか、じっとしてこちらを眺めるだけで動く様子はなかった。
じり、と魔剣を両手持ちに構えたトーラムが静かに近づく。体が軽いからか、屋根から飛び降りてきたときの速度は速かったが爪での攻撃は通常のワーウルフ型に比べかなり軽かった。見た目通り膂力はそこまでないのだろう。
「ヘブン、アーク、ゆっくり囲むように動いてくれ。力はそこまでないと思うんだが、速いから噛みつきに気を付けろよ。」
「わかった。」
「はい!」
ヘブンとアークがじりじりと左右に展開していく。灰色の狼は……完全に囲われても動かなかった。動かなかったが、小さくあごを動かして、声を出した。
「ダァ、ズ……ゲ…ァァァ…デェ……ググ……」
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トーラムらが灰色のワーウルフ型魔獣を観察しているころ、サーディスとティガロ、そしてグラークは3軒ほど離れた広めの場所で大きな黒いワーウルフ型魔獣とすでに交戦していた。
痩せこけてあばらが浮いた灰色のワーウルフ型と違い、黒いワーウルフは体長が3メートル近くあるよくいるタイプのワーウルフ型魔獣だった。全身が張りつめた筋肉で覆われており、体格と相まってその攻撃は一撃一撃がまともに受ければ魔剣でもひびが入るか折れるかというほどに重い。しかも全身を覆う獣毛は繊維が太く艶があり、上手く当てないと剣が上滑りしてまともに斬ることさえ難しい。
トーラムが灰色に行ったのは正解だったな。あいつは足が速いやつのほうが得意だから。
サーディスはそんなことを考えながら、黒いワーウルフ型魔獣の爪を受け流す。魔剣から、しゃりん、とサーディスの置かれた状況に似合わない涼やかな音が鳴る。
サーディスが攻撃を受け流して黒いワーウルフ型魔獣がわずかに前のめりになった直後、サーディスの後ろから姿勢を低くしたグラークが魔槍で黒いワーウルフ型魔獣に迫り、魔獣の意識がグラークに移った完璧なタイミングで死角から首を狙ってティガロが躍りかかった。
黒いワーウルフ型魔獣は受け流されたほうの手を地面につけ、苛立たし気にもう片方の腕をおざなりに振ってグラークをけん制すると、ふんふんと鼻を鳴らしながらティガロの気配を察知したのかぐっと姿勢を低くして振り向きざまに爪を下から上へと振り上げた。
ティガロは体の重心を後ろに移動させその爪を剣でやんわりと受け止めつつ後退し、魔獣の力を利用してやや後方に跳びのいた。グラークは慌てて爪をよけたせいでバランスを崩していたが、黒いワーウルフ型魔獣が振り向く前にすかさずサーディスが魔獣との間に入っている。
黒いワーウルフ型魔獣はサーディスらを振り返らずティガロに追いすがるよう大地を駆けるとそのままの勢いで襲い掛かった。ティガロは不規則に動いてフェイントを交えながら魔獣の視線を誘導し、その意図に気づいたサーディスに指示されてグラークが黒いワーウルフ型魔獣の死角から攻撃を加える。グラークとタイミングを合わせてティガロも正面から剣を構えて突撃し、挟み撃ちのかたちへと持っていく。
両方ともを避けようと横にステップした黒いワーウルフ型魔獣の着地位置にサーディスが回り込みファルシオンを横に一閃すると、サーディスの存在に気づいた黒いワーウルフ型魔獣が即時回避行動を取ったため致命傷には至らなかったものの、魔法陣で強化されたファルシオンはその右ふともも辺りを深く切り裂いていた。黒い毛皮から赤い血がどぶりとこぼれる。
「ガァアアアアアアアアアアッ!」
痛みというよりも怒りを露わにして黒いワーウルフ型魔獣が吠える。びりびりと空気を振るわせる咆哮に、グラークが息をのむ。しかしサーディスとティガロというランクB傭兵の2人が死を連想させるそれを平然と受けているので、グラークは他のランクB傭兵と混じって戦っていたときよりもはるかに自分の心が落ち着いていると感じていた。この2人は、まごうことなき実力者なのだ。きっと、自分たちとは比べ物にならないほどに。
ティガロも戦いながら舌を巻いていた。サーディスの察知能力にだ。
ソロで動くティガロが他のパーティーに臨時で加わる場合、ティガロはパーティーメンバーの動きを邪魔をしないように動く。前衛がティガロを含めて3人以上いる場合、けして魔獣が自分をメインに狙わないように心がける。その理由は、臨時のパーティーメンバーらがティガロ無しで息を合わせることに慣れているからだ。
もともとパーティーを組んでいるところに新たにティガロが組み込まれたとしても、基本的に彼らはティガロの知らない“いつもの”コンビネーションで動くことが多い。戦闘中に、臨時で入っているティガロの動きなど全く見ても考えてもいないのだ。もしティガロを見ていたとしても、その動きを理解できずにうまく戦えないこともある。
魔獣を討伐するうえでの一瞬の迷いは命取りになる可能性もあるのだ。自分の動きで次の攻撃の判断に迷うようなことを臨時のパーティーメンバーにさせてはならない、というのが、ティガロの信念であった。
今回もそう考えていたはずであるのに、気づけばティガロは好きなように動いていた。サーディスはティガロの考えをするすると読み、しかもグラークまでうまく誘導して合わせてくるのだ。戦いやすい、その一言だった。
そしてサーディスは――ティガロの動きに違和感を感じていた。
ティガロは、主都トリットリアを拠点にしているランクB傭兵だと聞いている。ランクBになるためには魔獣を一定数倒す必要があり、基本的にランクBを目指す場合はランクCの時点で白銀の栄光のように魔獣専門の戦い方に傾くことが多い。そこから派生するようにランクB傭兵でも対人特化になっていくこともある、が……ティガロの場合なんというか、戦い慣れしすぎていた。しかも、視線や意識の先を読んだようなその動きはどちらかといえば対人向き、突っ込んでいえばそれは片手剣などではなく暗器を用いたような動きに近い。
死角を突くときにしても視線の動きを的確に判断して、より相手の意識の外から攻撃を仕掛けているのだ。それはよっぽどの戦闘センスの塊でもないかぎり、長年そういう動きをしていなければ身につかない類のものである。
とはいえサーディスにはそこを指摘する必要もなければ、探りを入れる必要もなかった。パーティーメンバーの能力が高いことはいいことなのだ。グラークだってランクC傭兵のなかでも結構いい動きができているし、サーディスにとってこの3人組でならば黒いワーウルフ型魔獣も倒せるだろうと思えた。




