禁忌の魔法
この“別世界を作る”という魔法は、【空間を切り取る魔法】の応用魔法である。レフタルではその応用魔法のほうだけが禁忌魔法に指定されており、【空間を切り取る魔法】を使うぶんには特に制限はない。
【空間を切り取る魔法】とは、魔素の存在しない小さな空間を作ってそれを維持するという魔法である。主に魔素の性質を調べていた研究者たちが研究の過程で「なんかできちゃった。」と作ってしまったはいいけれども難易度がそこそこ高い上に使い道がほぼなく、でもなかったことにするのは惜しいということでとりあえず魔法大全に登録するだけ登録して、あとは研究者たちから見向きもされなくなったいわゆる“使えたらすごいけどそれだけ”魔法のひとつだ。
詠唱も長いし維持するために結構な魔素を消費し続けるし発動したとしてもあまりにも地味で、正直私も全ての魔法を使えるようになりたいという欲求さえなければスルーしていただろう。実はこういった魔法大全に登録したけど実用的ではないという魔法は結構あるが、派手だったりするものなどは覚えている人が多いこともある。
禁忌に指定されているのは、その応用魔法だ。
禁忌魔法のため正式な魔法名は明示されていないものの、誰もがこの応用魔法がどういうものかを知っているし、実は正式な魔法名がなくともこの魔法は使うことができる。
“魔素が存在しない小さな空間で、通常の空間を囲う。”
それだけで発動してしまうからだ。
一人で【空間を切り取る魔法】を複数回発動させることができれば、誰でもできてしまうのである。
まあ、発動方法を知っていてもほとんどの魔法使いはこの禁忌魔法を使うことができないのだが。
集中して長い呪文をえんえんと必要な壁の数だけ繰り返し唱えなければならない点と、作った壁を維持しながらの新たな壁を作る詠唱の困難さ、そしてその壁を保つのに魔素を消費し続けなければならないという全ての点において、詠唱魔法では不都合しかないのである。
もちろんこの禁忌魔法を使えるようなすごい魔法使いもいるにはいるが、そういう戦略級の魔法使いたちは基本的に国の運営や防衛に関わる仕事をして――つまり国に大金とそのほか本人が考えうる最高の扱いによって囲われていて――それなりの倫理観をもってこの魔法を使用していない、と思われる。
まあ、死者蘇生などといったいかにも禁忌っぽい魔法ならともかく、こんな残念禁忌で地位を追われるなど恥でしかないだろうし。
そんな【空間を切り取る魔法】の応用魔法だが、なぜ禁忌に指定されるに至ったかといえば、この世界に別の世界を作ったとしても、その別世界が存在しているのはこの世界に存在するはずの空間と同じ座標、同じ次元だからだ。
どれだけ有能な魔法使いでも様々な人体のキャパシティ的にサイズは人の頭一つ分くらいの別空間を創り出すのがせいぜいではあるが、問題なのはその別世界を作った本人でさえ発動した瞬間その別世界の存在を知覚できなくなるところにある。つまり、発動に成功しても失敗しても結果がわからないのだ。
そこまでなら笑い話で済むのだが、困ったことに世界から切り取られて創られた別世界はその状態で安定してしまうことがあり、使用者からの魔素供給が止まってもこの世界のその場所にとどまってしまうことがある。
この世界のものは全て、魔素でできている。
命があるものもないものも、全てを構成する最小単位は魔素である。
そしてその世界の状態を保つために、魔素は足りないところに流れ補填される。
その、“補填される”のがこの魔法が禁忌に指定される理由だ。
レフタルでは、魔素が薄い土地には周囲から魔素が流れ込んでいる。
魔獣が生まれるような土地が大陸にはてんてんと存在していて、その濃い魔素が自然と周囲に流れていって世界全体に魔素が広がっているのだ。魔素が少ないところにはどこからか魔素が補填されるのが、この世界の理なのである。
つまり、強制的に魔素が一切ない状態で固定されている不可視の壁に何かがぶつかると、ぶつかったものは世界の理により強制的に一瞬にして魔素に“分解”されて壁に充填される。それが物であれ、者であれ、例外はない。
魔素の存在しない壁にぶつかった瞬間、その存在そのものが消滅するのだ。光も、音もなく、魔素にされる対象はただかき消える。それが人であれば、運良く衣類が掠れば触れた衣類が消え、運悪く手で触れると衣類を残して人が消える。
魔素が補充された壁は別世界を構成する壁だった空間から即座にこの世界の一部に戻り、一つでも壁を壊された別世界は構造バランスが崩れすぐさま崩壊する。
むろん“そこにある”とわかっていれば、水だろうが火だろうが机だろうがぶつけてしまえば魔素を補填できるので別世界をすぐに消すことはできるが、そもそも発動してもしていなくても知覚できないうえに、発動指定座標からずれて別世界が生成されている可能性もなくはない。
魔法を発動したあとに誰にも知覚できなくなるので、発動しても成功か失敗かわからずそのまま放置し、結果周りの誰か(もしくは誰かの服)がうっかり消滅……などということになりえるのだ。
そういったわけで、この【空間を切り取る魔法】の応用魔法は、複数人の犠牲のもと無差別すぎる危険性により禁忌指定されるに至ったのである。
しかし、禁忌なのはレフタルだけだ。
ここは隣世界(?)ラフアルドであり、レフタルのルールなど通用するわけがない。私はただ、郷に従っているだけなのだ。けして、禁忌魔法が試したかったわけではない。
そう、ラフアルドには素晴らしい魔法の技術である魔法陣がある。しかも魔法陣が発動する(レフタルに比べて)濃い魔素に満ちている。
魔法陣ならばわざわざ長い詠唱もしなくてよく、維持するための魔素も魔素クリスタルさえあればよい上に、レフタルでは実現が不可能だろう別世界の中になんとなんと入ることもできるのだ。すごい。
そのようなわけで私が作り出したこの存在抹消の魔法陣は、詠唱魔法では難易度が高すぎるというか実現不可能だろう底つきのドーム状の薄い【空間を切り取る魔法】を形作り、魔法陣ごと囲うことで別世界という存在の不安定さを解消し、しかもその内外を防御壁の魔法で覆うことによって不幸な事故をも起こさない完璧な魔法陣なのだ。
地面の上に立って発動する以上魔法陣の範囲内の地面が丸くえぐれることになるが、ここはただの草原で畑があるわけでもないし動物が放牧されるわけでもなければ魔法陣の跡が残るわけでもないので問題ないはずだ。
いろいろ試して最終テストに自分でも入ってみたところ、感知ができない理由のひとつでもある“別世界を通り越して向こう側が見えてしまう”のだが、世界から遮断された中は暗闇に閉ざされていた。つまり光すら入ってこないのだ、魔素が満たしていなければ。しかし、中で明かりを灯すとあたりが見えるようになったので、別世界の明かりは入ってこないが、別世界はそこに“在る”のだろう。
私はアーヴィンの何ともいえない視線を感じつつ、肩掛け鞄からこの日のためにと作ってきた大人のこぶし大の特製魔素クリスタルを6個ほど取り出し、地面から少し浮いたところにある淡い光の魔法陣の要所要所に魔法陣の中央を囲むように置いた。そしてアーヴィンを振り返る。
「さあ、実験を始めましょう。」
「……。」
アーヴィンはもう、何も言わなかった。
アーヴィンと2人で、私のすねあたりの高さで淡い光を放つ魔法陣の中央に立つ。
魔法陣に入るときにアーヴィンがこわごわ入って来たのが面白かったが、まあそれはさておき実験開始である。
「発動するわよ。」
魔法陣の始動は絶対に失敗したくなかったので、自分の体内魔素をじわじわと放出して魔法陣を発動準備状態にもっていく。発動が始まればあとは辺りの魔素でどうにかなるので、私が消費する魔素はほんのわずかだ。
魔法陣の光が強くなっていく。今までの淡い光は魔法陣を描くための魔法だったが、いま輝き始めたのは魔法陣自体が発動したからだ。そして魔法陣が完全に発動しきった瞬間、それは起こった。
「……ッ!?」
発動した瞬間、周囲は暗闇に閉ざされ、周囲の虫や小動物の気配が一切なくなった。同時にすとんと音もなく地面が凹むが、私とアーヴィンが立っている高さは変わらないので2人ともが地面から5センチほど浮いた状態になった。
とはいえ浮いているのは見た目だけで、実際には防御壁の魔法を地面代わりに張っているからである。防御壁の魔法の外側には魔素のない薄い壁がある。つまり防御壁の魔法で作った地面がなければ2人仲良く魔素分解コースなのである。
――しかしアーヴィンがびくりとしたのは違う理由だろう。
私は灯りの魔法をドームのちょうど中央の上あたりに浮かばせ、アーヴィンに視線を向けた。
「どうかしら。まだ、繋がれている?」
「……切れた。」
視線を地に落とし、困惑気味にアーヴィンがぽつりとこぼす。
さっきまではなんやかんや自信にあふれていた空気が急に萎れ、こちらにちらりと向けた視線には不安の色が混じっている。まるで捨てられた子犬のようである。魔人なのに。……魔人なのに。
「ちっ、あながちシーアは間違ってなかったっつーことか。」
知らない名前に悪態をつきつつ頭をガシガシかいたあと、アーヴィンは半眼になってこちらにしっかりと視線を寄越した。
「戻るンだろうな?」
「貴方の背中に魔法陣がある限りは戻るはずよ。」
「ならいい。ンで、ここで魔人化すりゃぁいいのか?見たところさっきは真っ暗だったが……灯りを付けたら丸見えじゃねェのかコレ。」
「問題ないわ。あちらからは見るどころか、この世界の存在のことを感知することもできないの。」
「そうか。」
アーヴィンはさっさと上着を脱いで半裸になると、静かに息を吐いた。魔素が渦巻き、アーヴィンを人から魔へと骨格ごと変えていく。手足が伸びながら太く変化し、髪は肩を覆うように背中まで生え、口が裂け――森で見たあのときのままの魔獣化したアーヴィンが出来上がった。
やはり、魔素の巡りが悪い。余った魔素が渦を巻いて存在抹消の魔法陣へと吸い込まれていっている。余るということは、必要なはずの魔素を魔法陣がうまく吸収できていないか、使用する以上の魔素を動かしているということだ。どちらにしろ魔素効率は悪い。
「ンで?」
ぐるる、とまるで魔獣のようなうなりをあげてアーヴィンが聞く。
驚くべきことに、隠匿との繋がりが切れても、魔獣化したアーヴィンには全く変化がないようだった。本当に、今まではかすかに繋がっていただけなのだろう。
「そのまま、このあいだのように座ってちょうだい。とりあえず触れないようにして、観察したいわ。」
そう答えると、アーヴィンはどすんとその場に座り込んだ。私は背中へと近づいて、じっと魔法陣を見た。
やはりぱっと見は一番手前の魔法陣が良く見える。しかし目を凝らせば……魔素の流れを読めば、その下の発動していないのか発動準備状態なのかはよくわからないが、魔法陣の存在を確認できた。
無意識に私が覚えていたのはこの魔法陣を含めたすべての魔法陣だったのだろう。アーヴィンの背中には、同じ形で古代語が違う3つの魔法陣が重なって描かれているようだった。
光を通さないのに周りが見える謎については、全部魔素がどうにかしてくれているのだとご解釈ください。(`・ω・´)キリッ




