カトリーヌのハンカチーフ
獣人のスラム(極貧村落?)を眺めたあと、私はまっすぐお屋敷に帰った。とくに見るものもなかったし、まあ今日は下見のつもりだったのでこんなところだろうと思ったからだ。初日だし。
来るときにも使っていた街道をゆっくりと戻って屋敷の裏口で門番に睨まれつつもちゃんと通してもらい、できるだけ侍女などとはすれ違わないようにしつつカトリーヌの部屋に戻る。扉を開けると、カトリーヌはすでに部屋に戻っていたようで、自らの椅子に腰かけて窓の外を眺めていた。
「あら、おかえりなさい、リネッタ。」
「ただいま戻りました。」
誰が聞き耳を立てているのかわからない。扉を閉める前だったので、一応丁寧な言葉を使う。
ぱたりと扉を閉めると、カトリーヌはやや困ったような微笑を浮かべた。
「街は、どうだったかしら?」
「何事もなく散歩できたわ。」
「そう、よかった……。」
ほっとしたようにカトリーヌが息を吐く。
石を投げられたとか、誰かにつけられていたとかは言わないほうがよさそうである。結局街を出てからはついてこなかったので、街で問題を起こさないかどうか監視していたのかもしれない、
私は手早く装備を脱ぐと、用意してあったたらいで顔を洗い、手足を拭いて部屋着にしているワンピースを頭から被る。
締め付けのない服装になって一息つき、自分のベッドに座ったあたりでカトリーヌは気を取り直したように顔を上げこちらを見た。「ねえ、見てほしいものがあるの!」と明るい声で話を始める。
「お父様が、聖王都で流行っているというドレス用のレースを買ってきてくださったの。お揃いのハンカチーフも。それがとてもかわいらしくて……。」
ぴらりと広げられたハンカチーフは細かい刺繍で葉と花がびっしりと入った、使うことが躊躇われそうな豪華なものであった。というか、刺繍に力が入りすぎて生地が穴だらけだ。花の刺繍があるところなど周囲はほぼ穴である。その小さな面積でいったい何が拭けるというのか。
私が何も言えずにいると、カトリーヌはにこにこしたままハンカチーフをたたみ始める。
「ふふ、これはね、重ねることで一枚の絵になるの。ほら、素敵でしょう?」
カトリーヌはそう言いながら、4つ折りにしたハンカチ―フを改めてこちらに向ける。
なるほどそれは薔薇のアーチがある小さな花園の絵に見えた。広げていたときは穴だらけに見えた布も、折りたたまれたことで隙間が埋められてましかくの一枚絵のようになっており、奥行きさえ感じる。つまり――ハンカチーフの機能はこれっぽっちももっていない、お土産専用の商品である。
「不思議なハンカチーフね。」
特に何も思い浮かばなかったので率直な感想を述べると、カトリーヌは何が面白かったのかくすくすと笑った。
「わかってはいたけれど、リネッタはあんまりこういったものには興味がなさそうね。」
「何が拭けるのか、悩ましいわ。」
「ふ、ふふ、そうね。ハンカチーフとしての役割は、全うできそうにないわね。」
「でも、発想は良いと思うわ。透けるものを重ねて絵にするなんて。でもハンカチーフにする必要があったのかしら?」
「これで作るドレスが聖王都で流行っているみたいなの。でも、貴族でもなければドレスなんて買えないでしょう? だから庶民向けに小さなものをと、ハンカチーフサイズで売っていたらしいの。
でも、聖王都の学園で庶民の子が使っていたらご令嬢にも広まって、みんなが持つようになったらしいわ。今では仲の良いご学友ができたら、記念にお気に入りの柄のハンカチーフの交換をするんですって。高位貴族のご令嬢たちは、その交換のためにお気に入りの針子にわざわざ新しく作らせるのだそうよ。
ああ、ドレスができたら、ぜひリネッタも見てちょうだいね。わたくし結構な量のドレスを持っているのだけれど、見せる相手がいないのよ。」
下に若葉を刺繍したレース生地、そしてその上に花の刺繍をしたレース生地を重ねたドレスを想像し、確かにカトリーヌに似合うだろうなと考える。花をひとつ下にして、一番上を若葉にしても控えめで可愛らしいかもしれない。重ね方を変えるだけで、様々な表現ができるだろう。
カトリーヌは花のモチーフが好きなので、大喜びしているのも頷ける。
しかし、ご学友とハンカチーフを交換する、というところは羨ましそうであった。
カトリーヌが生まれたこの家は広く豊かな土地を有しているし経済的にもかなり潤っているが、いかんせん国の端っこなのである。
貴族や頭の良い庶民が通う聖王都の学園は国中から貴族が集まるが、どこの国でもたいてい辺境貴族は家庭教師を雇って屋敷内で完結しているらしい。その例にもれず、この屋敷にも優秀な家庭教師が住み込みで3人ほど働いていた。マナーやダンスに関しても屋敷内で勉強するのだが、執事長のハールトンが一番優れた先生なのだそうだ。
「私は針子はできないから、交換はできないわね……。」
大きな布の塊になってしまった某ローブを思い浮かべながら言うと、カトリーヌはくすくすと笑って「大丈夫よ。」と続けた。
「気を使い続けなければならないのは家だけで十分。学友なんて言っても、どうせお世辞ばかりできっと大変なのよ。わたくしはサロンには興味がないし学園に通わなくても……。」
カトリーヌは優雅な所作で揃えた指先をくちびるに近づけ、悩まし気に眉を顰める。
「けれど、結婚したらサロンや夜会に行かなければならないのだとしたら、学園で若いうちからそういった練習を積むのは大切なのかもしれないわね。わたくしはいずれ、どこかに嫁がなければならないのだから。その前に、自分の命を守るところからなのだけれど。」
貴族のご令嬢というのは、普通の子どもよりもいろいろ考えなければならないらしい。
ハンカチーフ1枚をとっても、わざわざお金をかけて作らせて、何かしらの交渉材料に使わなければならないのだ。
私はカトリーヌが持ったままのレースのハンカチーフに視線を移した。
きちんと折りたたまれていたときにはちゃんと見えていた薔薇のアーチの形が、少し布がずれたことで崩れてしまっている。それはそれで薔薇が咲いている茂みのようで美しいが、やはりちゃんと合わさっていたほう、が――
「……あっ?」
ふわっと降りてきた閃きに、思わず声がもれる。
「どうしたの?」
カトリーヌが不思議そうにこちらに視線を向けたが、自分のこの思いつきに驚きすぎてそれ以上声が出せない。
なんということだろう、そうか、なるほど、だからっ!
今まで全くわからなかったものがあっという間に紐解かれ目まぐるしく解決していく感覚に、身体が震える。
「リネッタ?」
「あ、ああ、カティ、ごめんなさい、わたし、すごいことを思いついてしまって、うん、大丈夫よ。」
「何が大丈夫なのかしら……?」
カトリーヌは首を傾げつつも、「でも、わかったわ。魔道具を見ているときのキラキラした目をしているから、きっと悪いことではないわね。」と続けた。




