とある傭兵ギルドで
とある気だるい午後の時間。
夕日というにはまだ早い、中途半端な位置の太陽から光が差し込む傭兵ギルドの受付で、交代前の受付嬢とこれから交代する受付嬢が引き継ぎついでに世間話をしていた。
「ねね、今日、カトリーヌ様のペットが街を歩いていたらしいね!」
「情報遅くない?歩いてたのってお昼くらいだったらしいじゃない。不遜にもラ・ケッティ通りを歩いてたんでしょ? 途中で脇道に入ったらしいけど。同僚からも傭兵からも何度も聞いたし、普段関わらない近所の商店からも問い合わせが来て大変だったんだから。」
「えー、家にこもってないで散歩でもしてればよかった。見てみたかったなー、カトリーヌ様のペット!」
「獣人だよ? 趣味悪くない?」
「そりゃあそこらへんの汚らしい野良とかは臭いし嫌だけどぉ、お貴族サマのペットなら清潔だろうし、ちゃんと躾けもされてるでしょー。」
まだ傭兵たちが帰ってくるような時間には早い。早出と遅出の受付が交代するこの束の間の時間は、2人にとって重要な情報交換の場でもある。
話題は時間を惜しむようにころころと変わり、カフェのイケメン店員がデートしていたとか、遅くとも昨日までには帰ってくるはずだった魔獣討伐パーティーがまだ帰っていないとか、最近クロード様をよく見かけるとか、そういえばイケメン店員には妹が3人いるとか、今日も傭兵が害獣討伐を失敗したとか、ほんの10分ほどの間に2人は相当量の情報を交換したのだった。
「失敗って、えっ、また見つからなかったってこと? ほんとー?」
「あの狼事件からこっち全然だし、そろそろ本格的に調査するみたいよ? もしかしたらまたどっかに固まって集められてるかもって思ってるみたい。」
「あー、だから最近、衛兵さんたち多いんだ。あの事件、衝撃的だったもんねえ。国境でもなんかそんなのあったし。犯人だけ死んだって、なんか狼のときと似てるよね。あっちは魔獣だけど。」
「こっちは人が死んだしねえ……2回目はさすがにねえ。」
大型の狼が特殊な薬剤を使って40匹ほど集められ街を襲おうとしていたという事件は、傭兵ギルドはもちろん街自体にもかなりの衝撃を与えていた。
門番が殺され門は開かれたままになっており、街の重要施設や宿の周辺には獣を呼び寄せる餌が撒かれて、もし犯人たちが仲間割れを起こさなければ狂った狼が雪崩れ込むところだったのだ。狼の群れに襲われた街や人々がどうなっていたかは想像に難くない。
犯人は、獣人。しかしこの街の獣人ではなく、聖王都のほうからやってきた流れの傭兵だったらしい。
この聖王国で獣人の傭兵というのは珍しいが、全くいないわけではない。特に国境近くの街には獣人がよく出入りしているし、ここは国境を有する領地なので、国境近くで仕事を受けてここまではるばるやってくる者もいるからだ。
だから、仕事があるかといえばないのだが、獣人の傭兵は存在する。
……いや、していた。
狼の事件を受け、街は獣人の傭兵という“存在”に対して厳しく対応するようになった。
傭兵ギルドは、たとえ人の傭兵とパーティーを組んでいたとしても、獣人の傭兵に対して仕事の斡旋を拒否するようになった。つまり、パーティーに獣人がいるだけで人であっても仕事を干されるということだ。
衛兵たちも獣人には特に目を光らせるようになったし、街壁内に住んでいる獣人が細々と営んでいた獣人向けの宿は集会場にならないようにと厳しい監視がつけられるようになった。
実質、この街から獣人の傭兵は完全に締め出されたのだ。
領都の人々は街壁の中に獣人を入れること自体を拒否したが、中立の立場を取らなければならない土地柄のせいで、領法がそれを許さなかった。
「害獣が減るのはいいことなんだけどなー。」
傭兵ギルドから出ていく相方の後ろ姿を視線で追いつつ、カウンターに頬杖をついて受付嬢がぼやく。それを眺めていた上司の壮年の男が、苦笑いしながら口を開いた。
「害獣は肉食獣だけじゃないんだぞ。狼が減りすぎたらちっこい草食のヤツが増えるだろ。外壁内の畑が荒らされたりナッツ畑が荒らされちゃあ目も当てられねえから……まあこれからしばらくはそっちの討伐依頼を増やし続けることになるだろうなあ。」
「あー、なるほど。ウサちゃん。」
50センチほどのネズミや1メートル近いウサギを想像しながら、受付嬢が頷いた。たしかに狼はそれらを食べて数を減らしてくれていたはずだ。食物連鎖というやつである。
ネズミは柵を越えてくる厄介な害獣で、木に登ってナッツを食い荒らす。ウサギは穴を掘って根菜を文字通り根こそぎ食べてしまう。外壁の下を潜って侵入してくる、人の頭ほどあるモグラもいる。それらの天敵といえる狼が数を減らすとどうなるか……。
「それはまずいですね……とっても。」
「だろ? だから俺たちは狼討伐からそっち系の討伐に早めにシフトチェンジしてるだろ。」
「たしかに、最近そういう討伐が多いなって思ってましたけど……人気ないんですよねえ。」
「そりゃあ、すばしっこいし、襲ってくる狼と違って人を見たら逃げるからな。だが、ついさっき上で会議して、報酬の上乗せが許されたからな、聞いて驚け、狼1匹とネズミ4匹、ウサギ4匹、モグラ2匹がそれぞれ同額だ。補填金はなんと領主様が出してくださるそうだ。」
「……お、おおう。」
思わず、といったふうに受付嬢が頬杖から顔を上げた。
「素材の買取はウサギの肉と皮くらいだからネズミもモグラも狼に比べると劣るんだが、これならまあ、仕事を受けるやつも増えるだろ。」
「弓で射るか罠張ってれば捕まえられますからね。危険がなくて懐もほどほどにあったまるんなら受ける傭兵は多いかもしれません。狼が捕まらないーって昼から飲んだくれてるよりだいぶましですし。」
「まあな……本来なら狩人ギルドの領分なんだが、この国じゃ狩人ギルドがある街のほうが少ないからなあ。こういうときに不便だな。」
「狩人とか、火を通すからって野獣の肉を常食するなんて野蛮ですよ。」
「確かにそうだが、傭兵の連中は遠征中は野獣を狩って食うこともあるんだから、そういうのは大きな声で言うんじゃねえよ。」
上司のギルド職員が半眼でそう窘めると、受付嬢はめんどくさそうに「ふえーい。」と返事をこぼした。
ガロンガロン、と低めのベルの音が鳴る。
どうやら傭兵たちが帰ってくる時間らしい、と受付嬢が顔を上げると、疲れ切った5人の傭兵らがギルドに入ってくるところだった。
そういえば魔獣討伐に出たパーティーが帰ってきていなかったんだった、と思い立ち上司を見上げると、上司は「一人も欠けていないようだな……。」とつぶやいて、カウンターからロビーに出て行った。どうやら5人組を労いに行ったらしい。
そんな上司の後姿を見送り、受付嬢は姿勢を正した。彼女の仕事は、これから始まるのである。




