7-2 リネッタの長い1日 1
昨日の夜、お腹いっぱい――とまではいかないものの、いつもの食事と比べればはるかに栄養価の高いごちそうをお腹に収めた私は、翌日、一人で朝の王都を歩いていた。
タレが絡んでしっかり味のきいた肉串は、本当に美味しかった。最近まともな食事をしていないから、余計そう思ったのかもしれない。早く金策をして、ふと食べたいと思ったものを思った時に食べられるようになりたい。
今日は、スラムまで足を伸ばしてみようと思っている。危険なのは分かっているが、スラムの闇市がどこで開かれているのかだけでも確認しておきたい。そもそも闇市自体あるのかどうかさえも分からない。私は王都のことを何も知らないのである。
今、私はロマリアと同じ部屋を使わせてもらっているが、詠唱は省略できるとはいっても、さすがにロマリアの前で魔法を使うのはためらわれたので、ロマリアが朝食をとりに部屋を出た隙に、念の為に防御膜の魔法を自らにかけておいた。
これは、ある程度の衝撃から身を守ることが出来る防御膜を体にまとわせる魔法だ。ただし、防御壁の魔法よりも薄く壊れやすい。そして、身体強化をしているわけではないので、体はひ弱なままである。
つまり、突然木の棒が倒れてきたり、刃物で軽く切りつけられる程度なら身を守れるが、例えば斧や両手剣を振り下ろされるような強い衝撃を与えられると、膜はすぐに消えてしまう。
まあ、スラムとはいっても一応国の兵士が巡回しているようだし、さすがに通り魔といってもいきなり真っ二つにする勢いで襲いかかってきたりはしないだろう。
せいぜいスリに遭うか、運悪く人攫いに遭うか……どちらにしても防御膜で充分対応できるし、もし暴漢に遭っても、最悪人目を気にせず魔法を使って逃げればいいのだ。
スリは防御膜で防げるのだが、一応、ワンピースのポケットには容量の魔法を使ってある。何かの拍子にポケットに穴があくとも限らないのだ。それでコロコロと魔素クリスタルが落ちたら目も当てられない。
この世界の言葉はまだ覚えていないが、朝のうちにロマリアに意思疎通の魔法陣を使ってもらっているので、問題なく話はできる。まあ、意思疎通の魔法陣はすでに詠唱文に翻訳できているので、もし効果が切れても問題ない。
私は暴力的な匂いの漂う屋台通りを足早で通りぬけ、大通りを北へと歩いて行く。だんだんと治安の悪そうな、清掃の行き届いていない道になり、路地には座り込んでいる人や獣人の数がじわじわと増えてきた。
そうして北門につく頃には、第三壁内は完全にスラムにのみこまれていた。門から見える第三壁外には簡単な木造の2階建ての建物が続き、その隙間に布や廃材で作られたような簡素な掘っ立て小屋のようなものが立ち並んでいる。
私は、スラムには獣人の割合が多いのではないかと思っていたのだが、人が6割、獣人が4割程度だった。武器を携え、防具も着込んでいる傭兵のような姿も見受けられる。
さて、どこをどう探せばいいのか。
これは思っていた以上に広そうである。そもそも闇市のようなものがあるのかも、ちょっと不安になってきた。
私自身、私の元居た世界では闇市どころかスラムのようなところには入ったことすらないのだ。ただ、“普通では出回らない物が売ってある市場がスラムにはあって、それが闇市と呼ばれている”、という話を、変なものを集めるのが趣味の研究仲間から聞いた程度の知識しかない。
とりあえず探すしかないか、とキョロキョロしながら北門から外に出ようとすると、兵士の姿をした男が私を呼び止めた。
「おい。ここから先は子供ひとりでは危険だ。見ない顔だが……迷子か?」
声をかけられるとは思っていなかったので、驚いて「えっ?」と声を上げてしまった。
人でも、獣人の子供を心配してくれるのかと思ったが、よく見ればこの兵士は獣人だ。焦げ茶の垂れた耳が、頭と鼻筋を覆う形の兜の両側から見えている。
「ありがとう。でも、私行かなくてはならないの。ねえ、兵士さま。お使いを頼まれたのよ……行かなくてはならないの。この奥に、市場のようなものがあると聞いたのだけれど。」
「お使い?スラムにか?」
一晩、雑に考えた言い訳がそれだった。
“名前の出せない人”のお使いで、何か大っぴらに売れないようなものを“秘密裏に処理”しに来た。と、匂わせれば、闇市でならあるいは買い取ってくれる人もいる、かもしれない。ちょっとどころか、かなり胡散臭く不自然かもしれないが、この世界に詳しくない私には、これくらいしか思いつかなかったのだ。
さすがにこの兵士には詳細を言う訳にはいかないので、困ったふりをしながら上目遣い等をしてみる。見た目が10歳だからこそできる芸当である。中身は……言うまい。
獣人の兵士は何かしら勘ぐってくれたようだが、さすがに詳しい場所は教えてもらえず、北門外通り沿いにある雑貨屋で聞いてみろ、とだけ言われた。
北門外通りというのは、北門からぐにゃぐにゃと曲がりながらもちゃんと外壁へと通じている、気持ち広めの道のことらしい。馬車同士だとちょっとすれ違うことはできなさそうだ。その北門外通りを歩いて行くと、意外な発見があった。
スラムには、悪すぎる治安というわりには様々な店があり、屋台通りよりも質の悪そうではあるが、地べたに干からびた野菜を置いて売るテントや、武器などを売っている木造2階建ての店舗、他にも、驚くことに宿屋などもあるようだった。
ここだけで、小さな町を成型しているのだ。スラムといえば、狭い木の小屋や布のテントがずらっと入り組んで並んでいて衛生的にも最悪だと思っていたのだが、木造の建物と建物の間の路地は木や布で覆われたり扉が付けられていて、中に何があるかはうかがい知れなくなっている。
王都だけあって、最低限の整備だけはされているのかもしれない。たまに、路地を覆う布から足が出ていたりするのは、見なかったことにする。多分、枝か何かを見間違えたのだろう。
キョロキョロしながら歩いて行くと、門番が言っていたであろう店を発見した。木造2階建ての、わりとしっかりした建物だ。巾着袋のような形の中心に、文字が刻まれた看板が目印だと聞いたので、迷わずそこに入る。
「あん?なんだガキ。物乞いならもっとスラムの奥でやれ。」
扉を軋ませて店に入った瞬間、店の奥からそう聞こえたが、気にしない。どこからかこちらを見ているのだろうが、店の奥は暗くてよく見えない。
「門番のお兄さんから、ここを教えてもらったのよ。」
「ああ?どいつだその阿呆は。」
ひどくしわがれた声だ。
「私、どうしても、売らなければならないものがあって、それで……。」
懇願するような声を出してみる。店の奥からは何の反応もない。ちょっとわざとらしすぎたかもしれない。
しばらく待っても特に反応が帰ってこないので、内心首を傾げながらも、私はふと気になって、棚に並んでいる売り物に視線を向けた。
雑貨屋と聞いていたのだが、その品揃えは干し肉や布の束、小さなナイフなど、どちらかというと傭兵や旅人が使うような品ばかりで、生活雑貨はほとんど置いていないようだった。
その中に、魔素クリスタルのような小石が盛られているかごを見つけ、私は顔を近づけてよく見てみる。大きさや透明度から、どう見ても6級かそれ以下のクズばかりだ。それが1つ……石貨50枚、と。
ロマリアに聞いたこの世界の貨幣は、金貨、銀貨、銅貨、それからその下に石貨があるとのことで、石貨100枚で銅貨1枚、銅貨10枚で銀貨1枚、銀貨10枚で金貨1枚になるそうだ。その上の単位もあるらしいが、ロマリアは知らないと言っていた。
屋台通りの肉串1本が銅貨5枚だったので、それに比べればかなり安価のような気がするが、6級以下の魔素クリスタルの見た目はほぼ小石と変わらないので、正直本物かどうかも怪しい気がする。
「盗んだら承知しねえぞガキ。」
魔素クリスタルを眺めていると、店の奥からずんぐりむっくりした背の低い男が出てきた。ボッサボサの髪と無精髭の真ん中に低い鼻があり、その上にぎょろりと大きな目が収まっているのが特徴的だった。故郷の世界の、岩の民を思わせる風貌だ。
「んで?なんでうちに来た。何が欲しいんだ。え?」
「売らなければならないものがあるの。それで……それを売れる所を探しているのよ。」
「周りくどい言い回し使いやがって。」
舌打ちして、髭もじゃ男が近づいて来る。
「なんでえ、見ねえ顔だな。しかも混色か、こんな場所ウロウロしてっと攫われっぞ。」
「お使いで来たのよ。これを売りたいの。」
私はそう言って、魔素クリスタルのかごを指差した。
「普通では、売れないって、言われたわ。」
上目遣いにそう言うと、髭もじゃ男は髭をワシワシと撫でながら唸った。
「お使いねえ?盗んできたんじゃねえのか?え?」
やはりそうなるか。しかし、私には勝算があった。
「これなのだけれど、買ってもらえないかしら。」
私がポケットから出した透き通った魔素クリスタルを見て、髭もじゃの男は一瞬怯んだ顔を見せる。
「なんじゃそりゃあ……本当に魔素クリスタルなのか?」
そして慌てて店内を見回して誰も居ないことを確認すると、私の手を引いて店の奥へと引っ張っていく。
「お前さん、もぐりの魔術師の奴隷かなんかか?まったく、奴隷の目印もなしにこんなところにそんなものを持ち込みおってからに。奴隷は衛兵に見つかったらタダ事ではすまんぞ。」
店の奥の小部屋に私を連れて来た髭もじゃ男は、深くため息を付いて私をまじまじと見た。




