紫のヴェ
『送っていただいた薬効の高いハーブティーのおかげで、ここ数か月で目を瞠るほど体調が回復してまいりました。本当に感謝しております。少しずつ、運動をし始められるまでになり――』
感謝の言葉ばかりがつらつら並べられたその手紙に、眉を顰める。
上品な文字で書かれたそれは、ヴェスティが直接子飼いにしている女からの定期連絡の手紙であった。
聖王都の中央にそびえる、澄んだ水を湛えた幅も深さもある堀にかこまれた白亜の城の一角の、自らの執務室。
ヴェスティは客用に設えられた3人用の皮張りのソファにだらしなく座り、靴を履いたままの足をソファに乗せてそれを読んでいた。
その女が嫁いでいるのは、爵位は伯爵ではあるものの国境に広大な領地を持ち国の盾であり剣の役割もしているいわゆる“辺境伯”で、聖王国にふたつある魔獣の巣のひとつも抱えている裕福な領地である。
しかし国境近くの魔獣の巣は深い森であり、隣国から流れてくる獣人の傭兵を受け入れざるを得ない土地がら、獣人排除派が強勢な現在は中央から少し離されて発言力はあまりなかった。まあ、辺境伯自身がそれで良いと思っているふしがあるので、今のところ良いバランスなのだろう。
手紙を送りつけてきたその女――アイダの実家は代々続く獣人排除派だった。彼女は獣人は人ではなく汚らわしい混ざりものだと教育されていた。婚約するまでアイダは獣人を見たこともなかったらしい。
しかし、嫁ぎ先が中立派であるティリアトス伯爵領となった時点から矯正をはじめ、今では獣人排除の思想は驚くほどなりを潜めている。聖王国の貴族たちからは、アイダは第一夫人をたて裏方でしっかりと働く淑女の鑑などと言われている始末だ。
実際には、嫁いできたその日から簒奪を目論み、嫡子であるクロードに十何年にもわたって毒を仕込んでいるにも関わらずそれを誰にも悟らせない恐ろしい女であるのだが。
そのアイダがクロードに飲ませている毒は、ヴェスティが創り出した特殊なものである。
一度に大量に飲んでも少し体調が悪くなる程度の弱い――それでもれっきとした、毒。継続して飲ませ体に蓄積させることによって徐々に体力を奪っていき、20年程度飲ませ続けることでごく自然に衰弱死させるという、なんとも気の長い暗殺のための毒であった。
そう。その“長期間飲ませ続けなければならない”という性質上、それが体に慣れることはありえない。
たとえ毒を飲むのをやめたとしても、それまで体内に蓄積されたものによってクロードの体調が目に見えて改善することはないはずなのだ。弱すぎて魔法陣に毒だと認識されないのか、解毒剤も創ることができない。
――ティリアトス領のことはつい先日も聞いたばかりであった。
獣人に薬を与え領都を獣に襲わせようとしたが、何者かの妨害に遭い失敗したらしい。それよりも時間をかけて扇動していた国境の街での獣人の魔獣化実験も、街中での魔獣化は成功したものの不甲斐ない結果に終わったそうだ。
先日、反乱を煽っている仲間の一人がこの部屋で愚痴をこぼしていたのだ。そのほかの国境あたりの領地では一定の成功を収めているのだが、ティリアトス領に限ってそんな状態らしい。
すでに国境沿いの領地では小さな獣人の反乱が様々な場所で起こっている。その情報はティリアトス辺境伯にも届いているだろうし対処もしようとしているだろうが、さすがに事前に計画が漏れていなければここまできれいに事を済ませられるわけがない。
しかし……こちらの手の者が辺境伯と通じているとは考えられなかった。
もちろん、アイダもそれに含まれる。アイダはこちらの計画を知らないし、彼女は領地を荒らすために簒奪を目論んでいるわけではない。
では、誰が。どうやって。
ソファの上に乗せたままの足を組みなおし自らの紫の髪をくるんと指で遊びつつ、考える。
こういうとき“隠匿”を使うことができれば楽に調べることができるのだろうが、堅物は何をしても動じず未だに牢の中だった。聖王都にいたはずの“変化”もいつの間にか姿をくらませている。もしかしたら火鬼猿が何か入れ知恵を……いや、あの男はそんな気が利くわけがないので、“変化”自らが何かを察して聖王都を離れたというほうがしっくりくるか。
ティリアトス領で何が起こっているのか。
獣人どもの反乱は足がつかないのでどうでもいいが、クロードの体調については放ってはおけなかった。可能性は低いが、魔法陣で創られた解毒剤以外の何かが見つかったのならば、対処しなければならない。
とはいえ計画の大詰めが近い今、自らが聖王都を飛び出すわけにもいかなかった。後回しになるが、まあこればかりはしょうがないだろう。
ヴェスティは、毒に浸してつくった特製のハーブを継続して飲ませるようアイダに指示する手紙を書くところから取り掛かかることにした。




