魔人の魔法陣と、カトリーヌのお茶会
お屋敷に帰ってきてから、3日ほど経った。
帰ってきて早々クロードが体調を崩し寝込んでしまった以外では、とくに変わったことは起こっていない。
カトリーヌ曰く、今までは行きか滞在中のどこかで必ず1回は体調を崩し、帰ってからも7日は寝込むのが普通だったそうだ。そのクロードも、すでにいつもの食事や仕事ができるくらいには落ち着いている。
――ここ数か月は毒の摂取もなかったし、体力のないだろうクロードには旅の間は定期的に小鳥が継続回復の魔法をかけていた。これでいつも通りに体調を崩していたらさすがにクロードの回復は手遅れ感が……うん、まあ、回復の兆しが見えはじめたので一安心である。
とはいえ、今はクロードのことは置いておく。
なぜならば、研究しなければならないものが目の前にあるからだ。
絨毯の上に淡い光で描いたそれは、いつものごちゃっとした魔法陣よりもさらに難解な魔法陣であった。見たことのない古代語も使われているし、発動効果もよくわからない。
誰もいない部屋で、私はさっきからひっきりなしに唸ったり呻いたりしている。
いつもならこの時間はこの部屋か庭でお茶をしているカトリーヌは、今日は他の領地から友達が遊びに来ていて、そのご令嬢らとお茶をしていた。さすがに他の貴族とのお茶会に獣人を連れて行くわけにはいかないようで、ありがたいことに私は部屋でお留守番である。
お茶会中もカトリーヌのスカートの中には影妖精を忍ばせているが、影妖精は元の召喚獣が悪質ないたずらをするような妖精なので解毒の魔法などの回復系の魔法は使えない。しかし、敵意には敏感だ。毒については……さすがに毒見がいるだろうし、よっぽどのことがない限り大丈夫だろう。
じとり、と魔法陣をにらむ。
改めて魔法陣を記憶の中だけではなくこうやって見える形に描きだしてみて、わかったことがあった。
この魔法陣の複雑さは、そのへんでよく見るごちゃっとした魔法陣どころではない。いくつかのなにかしらの効果を及ぼすものが組み合わせてあり……効率が悪いのかどうかもよくわからない。先日アーヴィンに説明した魔獣化してその姿を留めるという効果も、あのときはそういう風に見えただけで、実際は間違っているかもしれない。
書かれている古代語だっていつも見ているもののようでところどころ違っている。文字によっては黒く塗りつぶされているかのようで、まだまだ知らない古代語が多いのだと思い知らされる。嬉しいからいいのだけれども。
それにしても、解読の糸口が全く見つからないというのも珍しい。
私はうきうきしながら、空中にそれぞれの古代語を書きだしてはリスト化するという作業を始めた。
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「そういえば、うわさで聞きましたのよ。……愛玩動物をお飼いになられたとか。」
――来た。
その言葉を予想していたカトリーヌは、つとめて平静に、柔らかく微笑んで見せた。
屋敷で一番のお気に入りの小さな白い噴水とテーブルセットのある花園。
そこでカトリーヌは2人の令嬢を招いてお茶をしていた。
ホストであるカトリーヌは、母譲りの淡い桃色がかった金髪をリボンといっしょにゆるく編み込み、一つにまとめてお団子にしている。着ているのは、2人があまり好まない色である萌黄色のワンピースドレスだ。
テーブルの上には聖王都土産だと受け取った淡い赤みがかったお茶の入ったカップと、屋敷のシェフが作ったドライフルーツとナッツの焼き菓子が置かれている。実母であるクリスティーナの生まれた領地から送られてくる良質なドライフルーツとこの領地特産のナッツは相性が良く、カトリーヌはこの焼き菓子が大好物であった。
カトリーヌは、飲みなれない淡い酸味のある赤いお茶をそっと一口飲んでから、静かに口を開いた。
「ええ。珍しい毛色で、わたくしひと目で気に入ってしまって。お父様に泣きついて、手に入れましたの。」
「まあ。」
「それは……。」
その反応に、隣接する領地の領主の娘たちである2人の令嬢は、ちらりと目くばせをしたようだった。
カトリーヌから向かって右側に座っているのは、フローラ・ラードアート。ラードアート子爵家の次女で、年はカトリーヌより一つ上だ。たっぷりとした栗色の髪を緩く編み込みながら後ろに流していて、愛らしいぱっちりとした目は少し垂れている。今日は内輪のお茶会用によく着ている、お気に入りだというシンプルな淡い黄色のドレスを着ていた。
彼女の家は今も昔も獣人排除派であり、うわさを聞けば絶対に何かしら聞いてくるだろうとカトリーヌは覚悟していた。
意外だったのは、その隣に座っているのは桃色のすらっとしたシルエットのドレスを着ている、カトリーヌと同い年のシスティアーナ・リトアテアだ。黒い髪はゆるく巻かれてサイドでまとめられているが、こういう髪型が最近王都で流行っているらしい。
リトアテア伯爵はもともと中立派だったのが、最近は排除派になりつつあるとクロードから聞いている。その長女であるシスティアーナは……今の愛玩動物発言やフローラとの視線の絡みを見るに、排除派に入りつつあるのかもしれなかった。
この2人とカトリーヌは、年が近いこともあって特に親しくしていた。親しくとはいっても、年に数回程度こうやって互いの家に訪問してお茶をするだけだったが。
今回は、2人がそれぞれの親の用事に付いて聖王都まで行き、その帰りにまわり道をしてこの屋敷までお土産を渡しに来たとのことだ。……表向きには。
本当の目的はこれを聞くためだったのだろう、とカトリーヌは思った。
「わたくしたち、とても心配しておりますのよ。その……こちらの領地は“中立派”ですのに、まるで、その……容認派のような行いをされているって、聞いたものですから……。」
「獣人を着飾り、連れ歩いているなんていう噂までございましたの。」
システィアーナの言葉に、フローラが続ける。
2人とも――当然、その後ろにいる領主達も――この領地には獣人がいなければ立ち行かないことを知っている。だから、この2人もカトリーヌを排除派に引き込むつもりはない、はずだ。
しかし排除派にならないからといって、中立派から穏健派よりになるのは見過ごせない、とでも親か本人かは知らないが思っているのだろう。カトリーヌは焦らないよう心掛けながら微笑みに苦笑を滲ませた。
「その噂は本当なの。毛色が珍しいだけでなく、可愛らしい顔をしているし、華奢で……等身大のお人形で着せ替え遊びができるって、素敵でしょう? しかもわたくしが何かをしなくても、勝手に動いてくれるし、手入れをする必要もないの。理想のお人形でしょう?」
「……そんな、でも……獣人、なのよ?」
獣人排除派は、そもそも領地に獣人がいるだけで不快らしい。領都に入らせるどころか屋敷にまで上げているカトリーヌのことが信じられないのだろう。
システィアーナが少し嫌悪を滲ませて言ったので、カトリーヌはっきりと苦笑して見せた。
「でも、人をお人形にはできないでしょう?」
領民の子どもをわたくしの道具にするわけにもいかないし……と困ったように続けると、2人は一瞬何を言われたかわからずきょとんとしたが、続いてすぐに息をのむのが聞こえた、ような気がした。音は気のせいだろうが、その表情には明らかな戸惑いとわずかな恐怖が浮かんでいる。
カトリーヌは苦笑したまま、内心でほっと息をついた。
これで、よっぽどのことがない限りこれ以上の追及はないだろう。なぜならば、聖王国はもちろん、どこの国でも人の奴隷は禁じられているからだ。カトリーヌが今飼っている(ことになっている)獣人が、着せ替え以外でどんなことをさせられているかわからない以上、2人には先ほどのカトリーヌの発言は否定できない。獣人のかわりに人を使え、とは、言えない。
カトリーヌは今、はっきりと宣言したのだ。
“人を飼えないから、獣人で我慢している”と。
その意味をちゃんと理解してくれたらしいこの2人から、カトリーヌのちょっとした異常性はそれぞれの親に確実に伝わる。もしかしたら社交界のうわさにもなるかもしれない。しかし、カトリーヌの令嬢としての名には傷がつくが、貴族として見るティリアトス家としてはそこまで問題にならないはずだ。玩具にされているのは、聖王が迫害している獣人なのだから。
カトリーヌは社交界に興味がないわけではないし、結婚すれば出なければならなくなることは知っている。しかし、辺境で暮らしている上にデピュタントすら迎えていないカトリーヌは社交界の噂などまったく気にしていなかった。
とはいえさすがにリネッタを玩具や愛玩動物扱いにするのは心苦しかったので、そのあたりの話をヒュランドルの街からの帰り道に打ち合わせていた。
排除派に近い令嬢との茶会ではこうでも言っておかなければ納得してもらえないと、カトリーヌが頭を下げて頼み込んだのだ。
しかし、リネッタの返事はただひとこと。
「興味がないのでなんでもいいです。」であった。
諸事情のため来週はお休みします。
来年度から、お仕事が変わることになりました。
それにあわせて、更新頻度が今よりさらに下が……さ、下がらないように頑張ろうと思っておりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。




