トカゲ 0
――ミツケタ!ミツケタ!
喜び勇んで、高らかにギャァと啼いた。
予てより、いずれ己の血肉にするのだと決めていた相手。
何度も挑み続け、殺す価値すらないとあしらわれ続けた相手。
己と同じゴミの生まれであるにも関わらず、長きに渡って巣の西一帯に君臨し続けていた強き者。
――西の不動王。
最初は、情けをかけられているのかと考え、憤った。
次に、喰う価値すらないのだと放られているのかと、憤った。
しかし西の王は、挑んできた同胞のその殆どを殺さず、捨て置いた。
殺しても、喰うことは稀だった。
そして気が付く。
西の王は、自らが考えていた以上に、ただひたすらに、強者だったのだと。
西の王にとって、向かってくる同胞のほぼ全てが、格下だった。
西の王にとって、翼と毒をもつ他の同胞とは一線を画しているはずの己と、生まれたばかりで自他の境界もない弱々しいクズは、同じ。等しく、価値が無かった。
そう気がついたとき、侮られていることに酷く腹が立った。
必ず己の血肉にするのだと、強く考えた。
――力が、必要だった。
西の地から近かった南の地を端からじわじわと毒で覆いつつ、時間をかけて喰い荒らした。
毒に耐性のあるものは、力でねじ伏せた。
同胞を喰えば喰うほど翼は力強く、毒爪は大きく鋭く、そして毒は強力になっていった。
そうしておびき出した南の地の一画を支配していた王も、毒の沼に引きずり込んで喰らった。
毒に多少の耐性を持っていた六つ足三つ首の王も、時間をかけて溜まっていった濃い毒の沼にはなすすべなく沈むしかない。その鋭い牙も爪も、泥濘んで足場がなければただの飾りなのだ。
そうして南の王の座を奪った。
それからは、毒沼の中で戦いで負った傷をじゅうぶんに癒やすことに費やした。
体内の毒はさらに濃く、毒の沼は強き者すら立ち入ることを許さない致死の地となった。
次こそは、喰らう。
そう意気揚々と西の地に踏み込んで目にしたのは、同胞という名の格下たちが西の王の座を奪い合う姿だった。
そのときの混乱、そして嘆きと憤りは未だに消えてはいない。
西の王に成り代わりたかったのではない。
ただ、あの憎き王を惨めに殺して喰らうのだと、そう己に誓っていた。殺さなかったことを悔やませてやりたかった。
怒りのままに西の地を荒らしてはみたものの、王の座を奪い合っていた者たちは格下ばかりで、西の王を食らうような強き者はいなかった。
ならば西の王はどこへ行ったのか。
深い傷でも負って隠れているのかと、広い巣の隅々まで探し回った。ときには、北の王や東の王の縄張りに入ってまで探した。
常に縄張りの深い場所で寝ている西の王がわざわざ他の王の縄張りに入ったならばすぐに争いが起こるはずだ。しかし、西の王はどこにもいなかった。
ならば、考えられるのはひとつ。外界だ。
外界は同胞とすら、いや、格下とすら呼べない獣同然のものが追放される地だ。
そこにいるのは喰っても力が増すどころか腹の足しにすらならない狩る価値のないものばかりなので、強き者が自ら外界に出ることはない。
しかし、西の王は消えた。西の王が喰われたのならば、喰った者が次の西の王になるはずだ。しかしそんな強き者は西の地にはいなかったし、他の王に挑んでいる様子もない。
ならば、自らも外界に行くしかない。
幸い、翼のお陰で巣の上空から楽に外界を見渡すことができた。価値のない者たちの気配を感じるが、その中に混じって西の王のかすかな気配を感じて、狂喜する。
隠れることがうまい西の王だ、見つけるには相当かかるだろう。しかし、そこにいると分かっただけでも、じゅうぶんな収穫だった。
急ぐことはない。翼無き他の王は縄張りを西の地まで伸ばすことはあっても西の王を追って巣を出たりはしない。そして巣を追放された弱き者に西の王が負けることなどあるはずもない。
巣の中で同胞を喰らいながら力をさらに増し、ゆっくりと探せばいいのだ……。
西の王は、すぐに見つかった。
森のどこかで隠れているのだろう希薄になっている気配も、ひとたび戦いになれば王たる者の気配など隠せるものではない。
そうやって探す範囲を狭めるだけで、大した苦労なく西の王を見つけることができた。
西の王は巣よりも西、獣の気配に囲まれた場所にひっそりと巣を構えていた。
食べるものなどほぼないだろうに、驚くべきことにその力は全く衰えている様子もなく、西の地を治めていたときと同じようにただそこにいた。
そこからは、どうやって喰うかだけを考えた。
こちらには空を制する翼、そして強き王さえ殺す毒がある。
しかし真正面から挑むことは、まだ、できない。
生まれたときから上位魔獣であった南の王は、獣生まれを下に見ていた。たかだか鳥の毒如きと侮っていた。だから誘いに乗ったし、毒の沼に落ちて喰われたのだ。
しかし、西の王も元は獣。
さらには南の王よりもはるかに強く、慎重で、狡猾だ。そして、森での戦いに慣れている。
残念ながら己の翼は、森の中では役には立たない。
考えなければならない。
森から出てこない西の王を、いかにして、毒に侵すか。
そして、いかにして、惨めに殺すか。
そこには確実に、生きる喜びがあった。
__________
どういう、ことだ。
それは、西の王が死に悶えているさなかに起こった。
己の毒を受け、次第に毒への抵抗もできなくなり、ただ緩慢に近づいてくる死を、喰われることを待つばかりになっていたはずの西の王。
まるで獣に戻ったかのように王の気配も力も何もかもが消えていき、戦って負けたわけでもないのに地に伏せ、傷一つないのに惨めに死に絶えていくさまに歓喜した。
たしかに、死にかけていたはずだ。
そして今だって、死にかけていたはずだ。
両翼を失い、毒爪を失い、虚ろになった体を奮い立たせて姿勢を保ち、首をもたげて西の王を見やる。
西の王は――戦いがまるで一切なかったかのように、そこにいた。翼爪で切り裂いた背中や手足も、毒爪やくちばしから毒を直接流し込んだ腹や首も、内側から毒に侵され光を失いつつあった魔眼も、何もかもが元に戻っていた。
西の王がちらりと横を見たので、自然と視線をずらして、ソレを見る。
西の王に“何か”をした者。
見かけはゴミだが、その気配は西の王よりも遥かに恐ろしく、濃密だった。
西の王は、コレのために、森を出たのか。
そう、考えた。
ソレの視線がこちらを射抜く。
ただ、不快だという気配だけを纏った、上級魔獣ではない“何か”の視線。
負けたのだと、悟った。
そして、意識はかき消えた。




