トカゲ 1
森の奥へ奥へと進んでいくシルビアに、私は若干不安を覚えつつあった。
青鉤鳥はたしかに手強い相手ではあるが、ただの獣だ。強力な毒も、魔獣相手ではどこまで効くかわからないし、森の中腹あたりの餌場にはまだたくさんの果実がぶら下がっていた。わざわざこんな奥まで来るのだろうか。
シルビアはずんずんと森を進む。魔獣の巣の方向へと、進む。だんだん嫌な予感が増してくる。
――トカゲ。
青鉤鳥はトカゲだ。しかし、ふと思い出した。そう、青鉤鳥を狩ったあの日、トカゲはもう一匹いた。しっぽに大きなハンマーがついた、飛ばないトカゲだ。
シルビアがうっかり私を押しのけてまで表に出て遊びたいほどの“トカゲ”。それは果たして、どんなトカゲなのか。
シルビアがバサーっと茂みを突っ切ると、視界が開いた。
そして飛び込んできたのは――木がいくつか倒れてできた広場で、ぽかぽか陽気を浴びながら昼寝をしている大きな猿の魔獣であった。
唐突に、シルビアが顔をしかめた。
「クさい……」
シルビアが猿の魔獣に近づく。寝ていた猿はシルビアに気づいたのか、億劫そうに顔を巡らせてこちらを見た。その4つ目は先日会ったときよりもだいぶ……生気がない。
「グルォア……」
「シるびあ、コども、チガう。」
「ガゥ、グゥ……」
かはっ、と、猿の魔獣――たしか、名前は森の隠者【ストレンキー】――が、その口から赤黒い血のようなものを吐く。
よく見ればストレンキーは、寝ているというよりもうつ伏せで倒れ伏しているようである。
(え?死にかけ?)
「トカげ、ドク、ニてる。」
(青鉤鳥の毒ってそんな強かったんだ!?)
シルビアは答えなかった。代わりに首を傾げ、毒に侵されて苦しんでいるらしいストレンキーにぺたりと触った――瞬間、ぐわんと周囲の魔素が揺らいた。魔素の動きを感知できないはずの鳥たちがバサバサと逃げるように木から飛び立つ。
「ハイきア、ハイなスひール。」
魔素の濃い魔獣の巣の近くであることは全く踏まえず、シルビアがいつもどおりに威力なども一切考慮しないままに使いたいと思った魔法を使った。
浄化の魔法と、特級回復の魔法。
特級の魔法を受けたストレンキーは瞬く間にその顔色(?)を良くし、濁って半開きだった4つの目は力を取り戻してカッと見開かれ、弱々しかった魔獣の気配がぐっと濃くなり、あまりのことにぶるりと体を震わせた。
「……グゥ……」
のっそりと起き上がって、ドヤ顔のシルビアを凝視する。
ストレンキーは混乱しているのだろう。数十秒前まではトカゲの毒で動くこともままならないほどに弱りきり死に瀕していたはずなのに、シルビアがぼそっとつぶやいて使った魔法によって唐突に毒は完全に消え、体力はほぼ万全にまで回復しただろうから。
もちろん私もシルビアの中で我が目を疑っていた。
浄化の魔法は解毒の魔法の上級魔法だ。猛毒はもとより呪いや穢れ、威力が高ければ実体のない霊系の魔獣でさえも消し飛ばす。
特級回復の魔法は回復の魔法の最上位互換魔法である。なぜ上級回復の魔法をすっとばしてそっちにしたのか。そこまでしないと回復しないほど弱っていたのかもしれないけれど、相手は魔獣である。意味がわからない。
しかしシルビアはふんすと満足気な顔をして、言い放った。
「おアこサマ!」
意味がわからない、が、まあシルビアはシルビアの考えがあってやったのだろう。本人が満足げだし、まあ、いいか。まあ、シルビアだし、まあ。私はそんなふうに、今を理解することを放棄した。
しかし、シルビアはトカゲを目指して進んでいたはずである。
目的のトカゲよりも、こちらを優先したのだろうか?
そんなことを考えていると、やはりというかなんというか、「ギャァ!」という鳴き声が空から聞こえた。
「トカゲー!!!」
シルビアが嬉しげにぴょんぴょん飛び跳ねて、空を見上げる。
そこにいたのは、太陽を背に羽ばたいている青鉤鳥――のような何かであった。
(…………。)
思い出される、副ギルドマスターのトナーさんの言葉。
“赤い飾り羽をもった、青鉤鳥。”
“青鉤鳥の数倍はあるらしい。”
禍々しいほどに赤い飾り羽と巨大な赤黒い毒爪、体の色が青鉤鳥と同じで青白いので鮮烈な赤が際立っている。
大きさも青鉤鳥の数倍はあり、ドラゴンと呼んでも過言ではない威容があった。
「トカゲー!」
しかし、シルビアにとっては青鉤鳥もエンシェントドラゴンも十把一絡げにトカゲになるらしい。
「グルルルルル……」
ストレンキーがシルビアをかばうように前に出て、シルビアの視線がこげ茶の体毛で塞がれる。それに対してシルビアはひどく憤ったようだった。
「しるビア、コドも、チー、がー、ウー!!!!!!!!」
地団駄を踏んでその背中を睨んでぽこぽこと叩くが、ストレンキーは気にせず低空でホバリングシながらこちらを窺っている赤い青鉤鳥を見上げている。ストレンキーの気配に、怒気が滲む。
(もしかしたら、あの赤いトカゲの毒にやられてた……?)
その可能性は大いにあるだろう。さすがにただの獣でしかない青鉤鳥の毒に、魔獣であるストレンキーが倒れるわけがない……と思われる。
そしてそれは同時に、魔獣を殺せるほどの毒をあのでかい赤いトカゲはもっているということだ。
「しるびア、の、ごハン……!」
ストレンキーの背からぴょっこり顔だけだし、きらっきらの瞳で赤いトカゲを見上げるシルビア。
(毒の魔獣なんて食べたらお腹痛く――)
「ごハン!」
シルビアが私の言葉を遮って赤いトカゲに叫んだ。いつもの威力も範囲もこれっぽっちも考えずに放たれる、無差別で無遠慮な挑発魔法である。
低空でホバリングしていた赤いトカゲは――驚いたのか体勢を崩し、慌てて地に降りた。
そしてすぐそばにいたストレンキーにもシルビアの挑発魔法は当然のごとく襲いかかったようで、ストレンキーは驚いたようにシルビアから跳ね退く。当のシルビアはそれに対して満足気にうんうんとうなずいている。シルビアは三つ巴の戦いでもするつもりなのだろうか。
……しかし私の予想は外れたらしく、ストレンキーはぶるぶると首を振って「グルゥ……」と赤いトカゲに向き直った。
「グォゥ……」
「シルビアの!」
「ガゥ……ググ……」
「むうううー。」
ストレンキーがぐるぐる唸り声を上げて、それに対してシルビアがふくれっ面になる。まるで会話しているようだが、当たり前だが私にはさっぱりわからない。
そんなことよりも私は、挑発魔法の対象からストレンキーが除外されていたことに驚きを隠せなかった。方向指定すらままならないシルビアが、全方向に向かって放つ挑発魔法のごく一部だけを魔法の対象から外したのだ。驚愕である。
……あ、いや、ストレンキーが挑発魔法を気合ではねのけたという可能性も……ああ、そっちのほうが真実味があるのできっとそうだろう。
ストレンキーは魔獣の巣から出てきたとはいえ、シルビアも認めるこの森の中でも結構強い部類の魔獣のはずなのだから、魔法耐性が無くとも某脳筋王国のように気合でなんとかできたのかもしれない。
ちなみに赤いトカゲは翼を半ば開いて威嚇しつつ、こちらの出方を窺っているようだった。
「ギェェ……」
「グルルルル……」
赤いトカゲとストレンキーが睨み合う。ストレンキーに赤いトカゲの毒が有効なのは分かっているので、ストレンキーはうかつに動けないのだろう。かたや赤いトカゲは……たぶんシルビアの挑発で逃げるに逃げられなくなっているのではないだろうか。
飛べはしないが猿のような見た目的に森の中での戦闘が得意そうなストレンキーと、木々に阻まれて大きな翼がハンデとなりそうな赤いトカゲ。今いるのは多少広めの森の中にできた空き地だが、普通のサイズの青鉤鳥ならばまだしも、図体のでかい赤いトカゲは戦い辛そうだった。
不意に、私の視線がぶれた。シルビアが我慢できなくなったのだ。
来週はお休みします。




