悩めるクロードと何も考えていないリネッタ
ヒュランドルの街に滞在してから3日目。
ダンカンとの昼食会から数時間が経ち、食事がちょうどこなれた3時前あたりに、カトリーヌは自室でお茶とお菓子を楽しんでいた。客室だというのにあまり飾り気のない丸テーブルの上には、カトリーヌが領地から持ち込んだ少し甘めの香りのする茶葉を使った紅茶と、屋敷の料理長が腕をふるって作ったという新作の焼き菓子。そして向かいには、兄であるクロードが難しい顔をして座っている。
窓際には鳥かごが吊るされていて、その中には白い小鳥の姿をまとっている癒やしの精霊が静かにとまり木にとまっていた。新たにリネッタがカトリーヌのために呼び出した幻影の精霊もその横に座って、興味深そうに窓の外を眺めている。
見るものが見れば違和感しかない光妖精と闇妖精の共演なのだが、残念ながらここにいるのは2匹を精霊様だと信じているカトリーヌとクロードしかいない。
クロードは難しい顔のまま、先程から鳥かご――というよりは、中にいる幻影の精霊――と、カトリーヌの間で視線をさまよわせていた。
「まだ、信じられませんか?お兄様。」
「どちらかといえば、信じられないのは己の境遇だな。」
“癒やしの精霊様”は、精霊ではあるが見た目はただの小鳥だ。クロードは今日まで……正確に言えばほんの30分ほど前にカトリーヌにお茶に誘われるまでは、リネッタがただの小鳥を飼いならしてそれらしい嘘をついている可能性もなくはないと思っていた。
しかし、つい今しがたカトリーヌから紹介されたソレは、明らかに飼いならしたなどとはいえないシロモノであった。
姿からして、異様。
カトリーヌが精霊だというソレは、人の形をしていた。
大きさはクロードの手ほどしかない。顔は見る前に鳥かごへと飛んでいってしまったので確認できなかった。……髪は艶のある金のように見える。やや青みがかった肌に背中の大きく開いた黒いワンピースドレスのようなものを着ているが、その下は裸足であった。
背中からは触れたら崩れてしまいそうな繊細な透かし彫りがなされているような黒い二対の羽が生え、そしてその姿は少し離れた所からもわかるくらいに……透けていた。
“人型の魔獣が、いないわけではないはずだ……。”クロードは自分にそう言い訳してみたが、こんな小さくおとなしい魔獣など存在するはずがない。
幻影の精霊は正真正銘精霊様なのだと、これはもう信用するよりほかなかった。
「幻影の精霊様が、カティを導いてくださったのか。」
「ええ、そうです。わたくしを窓へと導き、アギトと話をしなさい、と。」
カトリーヌは笑みを浮かべて目を閉じ、胸の前で祈るように手を組んでいた。
それはまるで信仰心の厚い精霊神殿の神官のようで、クロードはその心酔しきっているカトリーヌの様子に危機感を感じつつも、カトリーヌに起こったことを考えるとそうなるのも仕方のないことだと諦めた。
実際、あのときカトリーヌがアギトに気づかずあの少年が門前払いをされていたらと思うと、ゾッとする。
リリヒルズの街中に魔眼を使う大きな魔獣が現れ、代官屋敷を襲おうとしたのだ。リリヒルズの街の騎士団は半数以上が街を出ていた。魔獣の巣のある森からは日帰りが出来ない程度離れているリリヒルズの街には、害獣は倒せても、魔獣に対応できる傭兵は少ないはずだ。
それが、ダンカンの指示によって被害が最小限に抑えられた結果、死人は5人前後――しかも犯人側だった獣人らしい――しかいなかった。真夜中にいきなり魔獣の襲撃があったというのに、魔獣によって怪我を負ったのも戦った傭兵のみだったそうだ。
あの街はシマネシア小国からヒュランダルの街への交易路上にあり、国をまたぐような商人が多く街に泊まっていたはずで、この事件はまたたく間にこの領地どころか他国にまで伝わることになるだろう。
それが醜聞でなかったことに、クロードは心底安堵していた。
クロードは屋敷に帰ってから父に報告はするが、きっと領主である父はもっと早くあの事件のことを知るだろうし調べさせているだろうから。
「リネッタをこの街に置いて帰るということは、精霊様を置いて帰るのと同じことなのです、お兄様。」
カトリーヌは、ダンカンとの昼食会のことを思い出しながら、わずかに語気を強めた。
昼に行われた昼食会でダンカンは、リネッタが青鉤鳥を無傷で仕留めたこと、そしてその毒袋から作られる解毒剤がこの街には常に不足していることを説明し、この街の住民のためにリネッタにはこの街に残り、青鉤鳥専門の狩人になってもらいたいと願い出たのだ。
カトリーヌはすぐに断ろうとしたのだが、それをクロードが止めた。
クロードは、青鉤鳥の毒はかすりでもすれば大の大人でも1時間ほどで死んでしまう恐ろしいものだと知識として知っていた。そして、この町ではその解毒剤が不足していることも知っていた。
その場は、クロードが「カトリーヌと一緒に少し考えさせてくれ。」と言って収めた。
“街の住民のために”と言われてしまった手前、リネッタを手放せない理由もきちんと納得させるようなものでなければならないのだ。
それをカトリーヌはきちんとわかっているからこそクロードをお茶に誘い、アギトの話を聞くまでの経緯を説明し、満を持して幻影の精霊を見せたのだった。
「だが、そんな話をダンカンにするわけにはいかないだろう。」
ダンカンは、青鉤鳥がいかに獲るのが難しいのか、以前ランクB傭兵であった自分ですら難敵であると力説し、もしリネッタがこの街に残るのならば代官の名を使ってランクE傭兵には破格の報酬でリネッタを雇うと約束したのだ。
それをも蹴ってリネッタを連れて帰らなければならない理由など、なかなか思いつくものではない。
そんな悩んでいるクロードの目の前を何か大きな虫のようなものがすいっと横切ったので、クロードは思わず「うわ!?」と声を上げてしまった。
「精霊様……?」
そこにいたのは、先程まで癒やしの精霊の隣で窓の外を眺めていた、幻影の精霊であった。
__________
私が代官屋敷の裏口に着くと、そこには門の外側に門番が2人待機していた。
なんとなく裏門に来てしまったがまあ、獣人だしこっちのほうがいいだろう。
そんなことを考えながら門番に近寄っていくと、最初は不審そうな顔で見ていた門番らはすぐに私の頭を見て……というよりも髪と耳の色の違いに気づいて、私が何者か気づいたようだった。
「カトリーヌ様の護衛をしている、リネッタです。カトリーヌ様にお話しなければならないことがありますので、取次をお願いできますか?」
「わかった、少し待っているように。」
「よろしくおねがいします。」
ぺこりと頭を下げる。
それから特に門番の片割れに話すこともないので、私はどれくらい待たされるのだろうかと少し辟易しながら壁によりかかろうとして……
「リネッタ!来てくれたのね!」
聞こえてきた明るい声に、思わず「は?」と声を漏らして門の中に視線を向けた。
「カトリーヌ様?」
裏門から屋敷まではそこまで距離はないが、それでも早すぎる。
見れば、そこにはカトリーヌしかいなかった。呼びに行ったはずの門番はどこへ行ったのか。
私と待っていた門番の片割れも予想よりもずいぶん早かったようで、頭を下げることも忘れてきょとんとしていた。……と思ったら、慌てて頭を下げた。そしておずおずと言葉をかける。
「カトリーヌ様、どうしてこちらへ……?」
「なんとなくリネッタが来ているんじゃないかと思って、来てみたの。」
門番の言葉に、カトリーヌが満面の笑みで答える。
どうやら門番が呼んできてくれたのではなく、自主的にここに来たようだ。その理由は……たぶん、カトリーヌのスカートの下に隠れている精霊モドキだ。
何も指示はしていないが、元が好奇心旺盛なので何にでも興味を示す彼女は、私が近づいた気配を感じてどうやったのかカトリーヌにそれを知らせたのだろう。
そうこうしているうちに、誰かに知らせに行っていた門番が戻ってきた。その後ろには、落ち着いた雰囲気の壮年の人の男が着いてきている。
「カトリーヌ様、こちらにいらっしゃいましたか。」
「ギュスタブ。」
ギュスタブさんというらしい。私はとりあえずぺこりと頭を下げておく。
「件のお話について、リネッタと話をしたいのだけれど。」
「ダスタン様より承っております。部屋を用意させましたので、こちらへ。デーン、門を開けてください。」
すい、と道を開けるように一歩下がってから、ギュスタブさんが門番の片割れに声をかけた。
「は。」
門がゆっくりと開かれると、カトリーヌが「リネッタ、付いてきなさい。」と主モードでこちらを見た。
「承知いたしました。……ありがとうございます。」
私はカトリーヌに頷き、それから門を開けてくれたデーンという門番に頭を下げて、代官の屋敷の敷地に一歩足を踏み入れた。
遅くなりすみません!




