アーヴィン 3
「俺は、自分で言うのもなんだが、ちっと特殊でな。」
しばらく考えた後、アーヴィンは言葉を選ぶようにして話し始めた。
私は相変わらずアーヴィンの背中に手を当てて、体内魔素がなぜ不安定なのかをこっそり調べている。
「俺が魔人化に使ったのは、合成獣型と呼ばれる特異個体の魔核だったンだが――」
「合成獣型?」
「……軟体魔獣みてェな吸収する性質の魔獣は分かるか?」
「はい。」
「そいつらが稀に、吸収した魔獣の力や姿を受け継いだ状態になるのが合成獣型特殊個体だ。」
「姿はともかく力を受け継ぐということは、魔核になんらかの変化があった状態なんですね。」
「そうだな。自分より強力な魔獣を吸収したときに稀に起こるンだがまァ、気になるんだったらそこらは自分で調べるンだな。」
一旦言葉を切って、アーヴィンは「あー。」と声を漏らした。
「だが、俺が倒した魔獣の中には、魔核が2つあった。」
「それは……たしかに特異ですね。」
1匹の魔獣に、核が2つ。魔核は魔獣そのものなので普通はありえない状態だろう。普通の獣に心臓が2つあると言えば、わかりやすいだろうか。まあ、頭が複数あってそれぞれが別のことを考えるような魔獣もいるし、何よりも心臓と魔核両方持っている私がありえないと断言するのはおかしい気もするが。
「どちらかが偽物かとも思ったンだがな。特殊個体の場合は魔核が融合していびつな形になっている場合が多いンだが、両方マトモな形のまごうことなき魔核だった。」
「つまりその魔核のひとつでアーヴィンさんが、もうひとつの魔核で別の人が魔人になったんですね。それでアーヴィンさんは、片割れだった魔核の主と繋がっている、と。」
「察しがいいのは嫌いじゃねェなァ。」
つまり、魔獣を倒して別々になってなお、魔核はなんらかの形で繋がり続けているのだ。2つで1つの魔核なのかもしれない。
「まァ、繋がるっつっても大したこたァ分かンねェけどな。」
肩をすくめるアーヴィンに、私はしみじみ頷いた。
「そうですね。あれだけ魔法陣の魔素効率が悪いと、分かるのは生存しているとか近くにいるとかくらいで……本来できるはずの遠距離での意思疎通もできないでしょうね。」
「ア゛?」
この場合、遠距離での意思疎通はアーヴィンの魔獣型の状態における能力だ。
1つの体に魔核が2つというとたしかに特異だが、肉体がひとつではないだけで多くの核を持っている魔獣はたくさんいる。
この世界の魔獣で例えるならば……そう、マウンズの森に定期的に現れていた【擬態魔林】だ。あれは、本体は魔獣の巣にいる親が自ら生み出した小さな小さな虫の魔獣を森にはなち、(シルビアいわく)大きくなったら呼び戻して魔核ごと喰らっているらしい。
他にもアリやハチなどの群れを作る魔獣は、王や女王がいて意思疎通で群れを統率している。仲間同士でも連携しあうが、統率している魔獣の魔核が壊されると兵隊は散り散りになる。レフタルで知り合いだった魔獣研究者いわく、そういった王や女王に統率された魔獣の群れのことを“超個体魔獣”と言うそうだ。
「できる、はずだと?」
アーヴィンが使った魔核も、その核がそれぞれ魔人として受肉しているのならば核同士は遠距離でもある程度の意思疎通ができるはずである。たぶん。
「おい、どういうことだ。」
「何がですか?」
「遠距離での意思疎通ができると言ったな?」
「言いました。」
「なぜそンなことが言える。」
「なんで一つの肉体に魔核が二つあったのかはわかりませんが、それぞれの魔核が受肉したあとも互いの存在が分かるのならば未だに繋がっているはずです。でも、アーヴィンさんの魔獣化は未熟で――」
「俺が未熟だと?」
「はい。」
きっぱりと返事をすると、アーヴィンは興味があるような、それでいて苦笑いを押し殺すような微妙な顔になった。
「魔素効率が悪いので魔獣化も中途半端なんだと思います。」
「……その魔素効率っつーのは何だ?」
「そのまま、魔素の効率です。魔法陣を発動させるときに魔素が消費されるのはわかりますね?」
「ああ。」
「魔素効率が悪い魔法陣は、魔素をたくさん使うわりに発動したときの効果が低いんです。アーヴィンさんの背中にある魔法陣も同じで、魔法陣が発動した効果と比べて魔素の消費が多すぎるんですよ。」
「じゃァ、魔素効率が良ければどうなるンだ?」
「発動できる間隔が短くなるか、魔獣化が強化されるか、消費魔素が少なくなるかのどれかか、もしくは全部ですね。」
「……ッ。」
思わずといったふうに右手を出しながら何かを言いかけ、しかし手を止め口を止め、アーヴィンは自らが出そうとした手を見た。そして、ぼそりと言葉を落とす。
「魔素効率っつーのは……どうやって直すンだ?」
「諸悪の根源である魔法陣を描き換えたらいいんですよ。」
「はァ?」
自信満々に言い放ったのだが、なぜかアーヴィンは機嫌を急降下させてしまった。
「ンなもん、手の出しようがねェだろ。」
「まあ、普通はそうなりますね。でも私には精霊の祝福があるんですよ?」
「精霊の祝福だろーが何だろーが、歴王が何百年かかってやるようなもんをお前がホイホイできてたまるかッ!」
「できるものはできるんです、ほら。」
と言って、私はそのへんに落ちていた枝を広い、大地に小さな魔法陣を描いた。それはアーヴィンも見慣れているだろう灯りの魔法陣だ。そしてそれに魔素を込め、発動させる。
「……お前、マジで獣人じゃなかったのか……。」
「獣人ですよ、人でもあるだけで。」
そう言いながら私はその隣に、私が魔素効率を高めたシンプルな灯りの魔法陣を描く。大きさも、普通の灯りの魔法陣の半分くらいだ。
「えらく……アレなヤツだな。」
「私が描き換えた灯りの魔法陣ですよ。同じだけ魔素を込めると目くらましになってしまうので、さっきより少ない……3分の1の魔素を込めます。」
魔法陣は滞りなく発動し、それでも従来の灯りの魔法陣よりも強い光を放ち始めた。
「ンだそりゃ……。」
「灯りの魔法陣・改です。」
「あり得ねェ、どんな手品だ。」
「魔法陣を上手く改良できないのは、魔素を視ることができない弊害です。私は精霊の祝福によって魔素が視えるのでできます。」
精霊の祝福、霊獣化と並ぶ便利さである。
「……この魔方陣の改良にかかった期間は?一人でしたのか?」
「小さい上に単純だったので10分もかかりませんでしたね。」
「……。」
アーヴィンが呆れたような顔になったが、ここは押しどころなのでどんどん攻める。
何としてもアーヴィンの背中の魔法陣を読み解き、あわよくば手を加えたい。
その結果アーヴィンが強化されて人的被害が出たら困るが、まあ、その時はその時だ。アーヴィンは話のわかる魔人のようだし、ひとつ貸しにしておけばカトリーヌの住んでいる領地では大人しくしてくれるかもしれない。
「ただ、アーヴィンさんの魔法陣を改良するのは今すぐではありません。魔法陣を発動している状態を保ったまま変化させることはできますが、それは改良後の魔法陣を完成させたあとだからできることであって、今すぐにはできません。ごめんなさい。」
「……謝るよーなことじゃねェし、問題はそこじゃねェし、俺は許可した覚えはねェ。」
「そうですね、私も仕事がありますし改良はカトリーヌ様のお屋敷に帰ったあとになると思いますので、アーヴィンさんには遠出をしてもらわなければなりませんね。カトリーヌ様に、アーヴィンさんを帰りの護衛に雇えないか聞いてみましょう。そうしたら一緒の馬車で帰れますよ。」
「なんでそうなるッ!?」
「えっ、ここからは遠いので旅費もかかりますし、そっちのほうが確実に連絡を取りやすいですよね。」
「いやいやいやいやお前、俺の話を聞いてたか?俺は、この街に、“潜伏”してンだよ。潜伏。隠れてンだつってンだろ!」
「この街である必要性は?」
「魔人は魔人の存在を感じ取れンだよ。隠匿は別だが、フツーは力を使うと即バレる。だが、この森の中でなら多少は問題ない。ここは魔獣の気配が強いからな。」
「じゃあ封印しましょう、その力。」
「ア?」
「魔人の力がなくとも傭兵はできるでしょう?何、魔法陣を改良するまでです。普通の人の暮らしを堪能すればいいんですよ。領主様のお屋敷の近くにある街は、獣人には辛いですが人なら住みやすいいいところですよ。私を信用できないというのならば、別に隠匿のロー……あ、いや、布か、布ですね、隠匿の布をお貸しすることも出来ますよ。魔素クリスタルは私が提供しましょう。」
そう、あの魔法陣の縫い付けられている布は、まだ布のままであった。一応きれいに洗って乾かし丁寧にたたんでカバンの中にいれているので、使おうと思えばすぐに使えるはずだ。
「隠匿の布?」
「元は隠匿のローブだったんですが、魔法陣を調べるためにバラしてしまって。元に戻せなくなったので、ただのいびつな形をした布です。もちろん魔法陣は無事ですよ。」
「……その魔法陣、読めたのか……?」
「読めましたよ。」
「そのローブを作ったやつはよっぽどぬけてやがったんだな。」
はー、と盛大に溜息をつくアーヴィン。なぜここで製作者の話になるのだろうか。
「で?お前はもう必要ないのか?」
「はい、私は、大抵の魔法陣なら一度見れば忘れませんので。」
さすがに守護星壁の全ては覚えきれなかったが、王都壁の魔法陣は覚えているし、もちろん王都の大きな門の下に彫ってあった出入りを規制する大きな魔法陣も記憶済みだ。私の記憶力は詠唱魔法や魔法陣に傾きすぎている気もするが、私にとってはそれが最重要なので全く問題はない。
しかしアーヴィンは顎を落としたまま固まってしまっていた。
「お、あ、俺の、魔法陣、も……?」
「覚えましたよ、バッチリです。なんならここで描き出してもいいですよ。」
「いや、アー、なァ、お前さ、今まで見た魔法陣で覚えられないヤツってあったか?」
「ないですね。」
「……認識阻害って知ってっか?」
「知りません。」
「アー。」
「認識阻害ってなんですか?」
小首をかしげてみる。アーヴィンは死んだ魚のような目だったが、説明してくれるようだ。
「魔法陣は魔術師が使うが、魔道具を作るのは魔道具職人だ。それは分かるか?」
「魔術師は魔道具が作れないんですか?」
「作れねーわけじゃねェな。灯りの魔法陣や招雷の魔法陣みてーな簡単なヤツにはねえンだが、精密な魔法陣には認識阻害っつー機能があってだな、まァ簡単に言やァ強ェ魔法陣は盗作されンのを防ぐために簡単に写せねェようになってンだよ。」
「……はあ。」
「気ぃ抜けた声出してンじゃねェ。」
「いやでも、認識阻害……えっ、どういうことですか?」
「認識阻害が働いている魔法陣の横に獣皮紙を置くだろ、ンでその魔法陣を写そうとしてもできねェっつーことだ。」
「ぇえ……ということは、魔術師は魔法陣を読めないのに使ってるんですか?」
「読める、だがどういうワケか覚えられねェ。」
「じゃあどうやって魔法陣の研究をするんですか……」
「ちっとでも崩れると発動しねェ既存の魔法陣なんざ、研究すること自体が少ねえンじゃねェか?俺も研究者じゃねェしそこまでは知らねェな。」
「まさか、そんな……」
こればっかりは首を傾げるしかない。わけがわからない。なぜならば、今まで見た魔法陣には認識を阻害するような効果は刻まれていなかったからだ。孤児院の地下の魔法陣もそうだったし、隠匿の魔法陣もそうだった。もちろん、転移の魔法陣にも。
魔法陣の効果ではなく、何かこの世界の人々に呪いでもかかっているんじゃないだろうか。そっちのほうが私にとっては真実味がある。
というか、この世界の研究者たちが既存の魔法陣を研究していない……?そんな馬鹿な。
「じゃあ魔道具職人は、認識阻害のない魔法陣だけで魔道具を?」
「普通の魔道具屋はそうだな。」
「ぇえ……じゃあ認識阻害のある魔法陣はどうしてるんですか。」
「魔法陣ごとに、認識阻害を受けないという特殊な精霊の祝福がある。精霊王が歴王を選ぶように、魔道具職人の血脈からその精霊の祝福持ちが選ばれるそうだ。まァ、歴王と違って複数人が選ばれるらしいがな。」
「なにそれ……」
私は混乱するばかりだった。




