アーヴィン 1
「……つっこまねェぞ。」
初日に話していたとおり2便目の馬車から降りて一人で上の森を進んでいたカーヴィン?に後ろから声をかけると、一瞬カーヴィンがびくっと目を丸くして振り返り、しかしすぐに半眼になってぼそりとそれだけを漏らした。
「あたりには傭兵はいませんが、もう少し奥に行きますか?」
「ソーダナ。」
カーヴィンはなぜか棒読みでそう言って頷き、連れ立って森の奥へと進む。
「そういやァ、青トカゲは捕れたらしいじゃねェか。」
「まだ食べてないんですよ、肉……じゃなくてカーヴィンさん?も食べに来たらどうですか、今晩、私が泊まっている宿で有料で振る舞いがありますよ。」
「ア"ァ?どっから突っ込めばいいかわかンねーなァ?俺の名前はアーヴィンだ。」
「……アーヴィンさん?……魔法陣のことはちゃんと覚えていられるんですけど、名前を覚えるのが苦手なんです、ごめんなさい。」
「なるほどなァ。」
なにがなるほどなのかよくわからないが、アーヴィンはそれで納得したようなので良しとしよう。
そんなことよりも移動時間を無駄にするわけにはいかないので、私は歩きながら質問をしなければならない。
「ところで、アーヴィンさんの刻印はどんな能力なんですか?」
「唐突すぎねェか?」
「時間を無駄にはできないんですよ、1日しかないんですから。霊獣化に似ていると言っていましたが、身体強化なんですね?」
「身体強化……つーかまァ見りゃわかる。びびって逃げンなよ?上の森っつったって……いや青トカゲ狩れるなら問題ねェか。」
「よっぽどのことがない限りはまあ。……刻印使うと自我が無くなるとか?」
「それはねェな。」
「なら問題はありません。」
頷き、期待を込めて見ていると、なんとも居心地の悪そうな顔でアーヴィンが私から目をそらした。
「もう少し奥に行ってからだ。魔獣の巣に近いほど他の魔人に気づかれにくくなるンでな。ここらに魔人はいねェとは思うが警戒するに越したこたァねえ。」
「じゃあ、魔人になった理由は?」
「……それを教えるにはまだ信用が足んねェしそんなこと聞いても意味ねェだろ。」
「気になったことはすべて知っておきたいだけです。」
「じゃァ他にはどんなことが知りたいンだ?」
「そうですね……どうやって魔人になったか、とか?」
「あんま覚えてねェな。」
「それでは、魔人化の魔法陣もうろ覚えですか?」
「……。」
ぴたりとアーヴィンが足を止め、こちらを振り返った。
探るような、鋭い視線を向けてくる。
「誰に聞いた。」
低い声。どう見てもなんだかいきなり不機嫌になった。って、え、これ、公然の秘密とかそういう類の情報じゃないの?
「以前お世話になっていた孤児院のある街で、目の前で人が魔獣になるところを見たんですけど、そのときに一緒だった人が“魔人化するには、強力な欠けのない魔獣の魔核と、巨大な魔法陣が必要だ”って教えてくれたんです。目の前で魔獣になった……名前は覚えてないんですけど太っていたその人は、魔核だけを使ったから魔獣になったとかなんとか教えてもらいました。」
「……そいつは“人”だったか?」
「え?」
「お前に魔人化の魔法陣の存在を教えた奴は、本当に人だったか?」
……ティガロが魔人かもしれない、ということだろうか?
私は首を傾げて、もうあまり覚えていないティガロの顔を思い出す。
私の詠唱魔法を精霊の祝福だと驚き、様々なことを教えてくれたティガロ。たしかに腕は立つが、人離れしているかといえばそうでもなかったティガロ。一本しか無い魔剣が折れかかって涙目になっていたティガロ。
「ないと思います。」
身体強化の付与をかけたときも特になにも感じなかったし、ティガロが魔人という線はないだろう。
「魔獣を倒すときは魔剣を使ってましたし、普通にオークの魔獣が使った魔眼にあてられて食べられかけてましたよ。」
「ア"?魔眼?そりゃたしかにねェな。で、どこまで聞いたんだ?」
「欠けのない魔核と特別な魔法陣を使った儀式で、なおかつ試練?に耐えた者だけが魔人化する、と。」
「まァ……問題はねェの、か?」
再び歩き出したアーヴィンは首をかしげる。
「お前、その魔法陣がわかったらどーすンだ?」
「どうもこうも、人体実験するわけにはいきませんしどうにもなりませんね。」
もちろんその仕組みには有用性があるだろうし、この世界にあるすべての魔法陣を知りたいという思いも強いのでできれば知りたい魔法陣である。
そんな雑談をはさみながら上の森を進み続け、2時間ほど歩いたところで少し開けた場所に出た。小川が流れていて焚き火の後などもあるので、人工的に作られた場所だろう。
「ここはな、大人数で狩りをするときに使うキャンプ地だ。小川の流れが早く、獲物を捌くのにも便利だからな。今日はそういった仕事はなかったから、ここに傭兵が入ることはないはずだ。」
そう言うとアーヴィンはおもむろに振り返って、上着をすべて脱ぎ靴も脱いで放る。
「んじゃァ、見てろよ。一回しかやんねェからな。」
日に焼けたような浅黒い肌はもともとの色だろうか、それとも魔人化の影響だろうか。よく鍛えられているだろう引き締まった体には、いくつもの傷が見て取れる。
アーヴィンは静かに息を吐く。同時にアーヴィンの周囲の魔素がじわりと変化するのを感じ、私は興奮で頬が紅潮するのを自覚した。
――魔素がアーヴィンの体にまとわりつくように、ゆっくりとその体を骨格ごと変質させていく。
体のサイズはそのままに脚が伸び、姿勢がやや前かがみになった。腕も長くなり、伸びた脚と腕は関節のあたりから太く逞しくなって、手と足は大きく爪も鋭くなる。短くボサボサだった赤茶けた髪は鮮やかな獣毛になり、まるで人狼のように肩や背中を覆った。
どこまでも黒かった瞳は銀に輝き、耳はやや上方にせり上がってこめかみ辺りで止まり、口は裂けるように大きくなり犬歯が牙へと変化して、額には2本の赤い短角まで生え、その姿は確かになんというか……赤い猿の魔獣のようであった。
私はその“衝撃の事実”に愕然として、口をぽかんとあけてしまった。
それを見て、赤い猿の魔獣――アーヴィンがそのいかつい顔を苦笑するように歪める。
「さすがに驚いたか。」
「え、ええ、驚きました、こんな、まさか……こんなところでも効率が悪いなんて……!?」
「……は?」
信じられないことだった。変身に使われた魔素の3分の1ほどがほぼ何の役にもたっていなかった。もっと少ない魔素を使っても同じ変化にはなるだろうし、逆に今使っている魔素を余すことなく使えばもっと――何かしらの変化が起こるだろう。一体どういうことなのだろうか。
「アーヴィンさん、どういうことですか?」
私はふらふらとアーヴィンに近づいていく。
「あァ?こっちが聞きてェな。効率?何の話だ?」
「魔獣化するときに使う魔素の効率が悪いんです。」
「何の話だ……?」
「うーん……。……うん?」
困惑するアーヴィンの周りをぐるりと一周して体を見ようとし、私はアーヴィンの背中で視線を止めた。
「どうし――」
「じっとしていてください!」
振り返ろうとしたアーヴィンの両腕を思わず押さえ、私はその背中を凝視する。
そこには、しっかり視なければわからないほどの微量の魔素が、ひとつの魔法陣を描いていた――




