テレジア
「あんな可愛い女の子がねえー。」
昼下がり、ひと仕事を終えたテレジアはいつものように兵士の詰め所で優雅なお茶を楽しんでいた。
基本的にこの時間帯に傭兵は帰ってこない。大地溝の入り口にある傭兵ギルドの派出所では、受付業務は最低限の人数だけで回してあとの職員は長めの休憩を取っていた。
テレジアも今日は休憩の日だった。まあ、傭兵ギルドの窓口に居残りの日でも受付業務はほぼない休憩みたいなものなので、ギルドの建物から出られるか出られないかくらいの違いしかないのだが。
しかし今日の居残り組は珍しく休憩どころでなく、しかも休憩の日だったテレジアもちょっとだけ駆り出された。
はじまりはちょうどお昼ごろ、テレジアがロビーで居残りのマリーとおしゃべりしていたあたり。見慣れない若い傭兵3人組が傭兵ギルドに駆け込んできたところからだ。
3人組のうち1人は顔色が真っ青を通り越して黒くなっており、息も絶え絶え。明らかに青鉤鳥の毒にやられている状態だった。
ちょうど扉の前にいた職員が、傭兵ギルドに常備してある解毒剤を求めて来たのだろうと用意しようとしたものの、解毒剤は飲んだという。その解毒剤はどこから?と首をかしげるマリーに、彼らは帰りの馬車の手配を頼んできたのだった。
とりあえず死にそうな顔をしている黒髪の童顔――テリアトというらしい青年を救護室につれていき、馬車を待っている間、ほかの2人から話を聞くことになった。
「俺たちは隣街で傭兵として生きていた。だが、俺たちは害獣退治で収まる器ではないと気づいたんだ。」
3人は10日ほど前にヒュランドルの街に来た新参者であった。
傭兵ランクは隣町で上げたらしいが、その際、Cランク傭兵の魔獣討伐に同行して普段の仕事では手応えを感じられないと感じ、自分たちの実力に見合った敵を探しにこの森へ来たとのことだった。
傭兵ギルドの職員であるマリーとテレジアは、頭を抱えるしかない。隣町でランクDまであがったということは、大地溝の森で鍛えてランクDになった傭兵らとは実力差があるということだ。
彼らがここにいるということは、きっと向こうのギルドには何も言わずに来たのだろう。もし言えば、確実にひき止めてくれていただろうから。
「ヒュランドルの街では青鉤鳥の解毒剤が不足しているというからな、魔獣でもないやつに俺たちが遅れを取るわけがない。今回はたまたまテリアトが毒を受けてしまったが、次は必ず獲ってみせる。」
というのが彼らの……というより、リンクスと名乗った群青色の髪をした剣士の弁である。茶色の瞳は自信を隠そうともせず、うんざりしたような顔のマリーをまっすぐ射抜いていた。
よくランクの低い者たちは“魔獣ではないのだから大丈夫”などというが、他の森ならいざしらず、この森ではそんなことはまったくない。
もちろん獣は魔獣のように魔剣でなければ切れないなどということはないし、狼や熊が空を飛んだりすることもない。しかし、彼らは、この魔獣の森で生き抜いているのだ。弱いわけがない。
魔獣の巣の周辺では、何かしらの影響でただの獣でも大きく強く育つ。そして強い個体は弱い魔獣をも殺し、その核を喰らって魔獣化したりもする。魔獣かそうでないかは魔核の有無だけで、強さの差ではない。
ヒュランドルの街での害獣や肉食獣の討伐と弱めの魔獣の討伐の報酬が似たりよったりなのが、その証拠である。ヒュランドルの街で育った傭兵らは、それを知っている。そして彼らは森に住まう魔獣をも喰らうこともある“ただの獣”を討伐してランクを上げなければならないので、否が応でも強くなる。
しかし、魔獣の巣の無い土地でランクを上げた傭兵は、そういった事情をあまり知らないし、調べもせず手柄を求めてこの森へ来る。リンクスらもそうだったのだろう。
リンクスによれば、彼らは森の中腹あたりで青鉤鳥と戦い、“善戦”をしたという。
3人の傭兵ランクはそれぞれDで、とてもではないが青鉤鳥と渡り合えるようなランクではない。せいぜいが上の森での小さめの害獣退治がいいところだ。この町で育ったランクC傭兵ですら見つければ息を潜めて迂回するなどの対応をする青鉤鳥を、他の街のランクD傭兵など何人集まっても倒せるわけがない。
善戦したかどうかは疑わしいが、戦った……襲われた?のは本当なのだろう。1人が毒にやられているし、リンクスは自分が切り落としたという青鉤鳥の飾り羽根を自慢気に胸ポケットに差し入れていた。――翼爪ならともかく翼の先でひらひらしている羽根を切っても、剣を避けられましたと言っているようなものなのだが気づいてはいないのだろう。
雄弁に語るリンクスの横に座っている少しオレンジがかった金髪の青年ノーゼスは、始終曖昧な苦笑を浮かべてあまり話すことはなかった。連れてこられたか心配でついてきたというそれだったので、やはり問題はリンクスにあるのだろうと、傍で同僚とのやり取りを眺めていたテレジアは思った。
傭兵ギルドの職員としては、対応しているマリーはどうあってもここでリンクスに青鉤鳥を諦めさせたほうがいいだろう。そうしなければ彼は必ず同じ過ちを繰り返し、次は確実に命を落とす。
青鉤鳥は気性が荒く、一度敵意を持った相手には容赦なく襲いかかるし、逃げても追いかけ回される。そんな恐ろしい毒鳥から逃げるのに、お荷物を背負ったまま3人全員が生き延びたというのは奇跡としか言いようがないのだ。
しかし、こういうタイプはきっと何を言っても伝わらないんだろうな。で、周囲を巻き込んで全員殺すのだ。
テレジアは青鉤鳥の危険性を説明しはじめたマリーと、ふてぶてしく「そんなことはもう知っている。」などとのたまっているリンクス、そしてその横で苦笑いしたままリンクスを見ているノーゼスから視線を外し、窓の外を見た。
「ん。」
視線の先にあったのは、森から何かを引きずりながら出てくる1人の小さな獣人。
そしてそれに近づく見慣れた兵士、あの可愛らしい耳はマウリか。
よく見れば、金の髪に茶色のピンとたった耳をもった少女が、自分の身の丈よりも大きな青鉤鳥を引きずっていた。
「ああ、あれが。」
副ギルドマスターが言っていた例の子かと思わず声を上げると、他の3人も気づいたように窓の外に視線を向けた。
そして。
「っ!あれは!」
リンクスが舌打ちしたかと思うと、止める間もなくギルドを飛び出していってしまった。それを追うように、あわててノーゼスが続く。
マリーとテレジアは顔を見合わせ、げんなりした顔でため息をはいたのだった。
まあでも知り合いかもしれないしと半ば現実逃避したように2人で窓の外を見ていると、程なくして困り顔のマウリがこちらに向かってくるのが見え、案の定、少女が助けを求めているという。
しかしマリーはどちらかといえばリンクスのような相手は苦手であり、何人もいる弟を毎日叱りつけていた自分のほうが適任だろうなあとテレジアはため息まじりに考えていた。
「はあああ、しょうがないわね、私が行くわ。」
酷くめんどくさそうなマリーを見かねたテレジアがそう言えば、マリーは「助かる~!ほんとああいうの困るよねっ!うんざりしちゃう!帰ったら一杯おごるねっ!」などと見た目は可愛らしいのに最後に傭兵のようなことを言い残し、自らは毒に侵されたテリアトの様子を見に行ったのだった。
「いや、そこはお菓子とかでしょ……?」
テレジアの言葉はマウリにしか届かなかった。
その後、まあいろいろとあったが青年剣士2人はまだ顔色の優れないもうひとりの剣士を馬車に乗せ、街へと帰らせた。御者に言付けたので、向こうの傭兵ギルドでこっぴどく叱ってもらえるだろう。それは、あの3人に解毒剤を売っただろう商人もだ。
強引に買っていったにしろ何にしろ、解毒剤を売る商人には、未熟な傭兵が解毒剤を買った場合はすぐに傭兵ギルドに報告する義務がある。今回は何故か生き残って帰ってきたが、そんなことはまずありえないと考えるべきだ。
リネッタはというと、青鉤鳥を乗せる馬車に一緒に乗って帰るという。この時間、帰りの馬車は手配しなければ来ないし、かといってさっきの3人組と一緒に帰るのも嫌なのだそうだ。
「大丈夫ですよ、爪は布で覆っていますし、御者台の隣に座らせてもらいますから。」
朗らかにそんなことを言って、そのまま本当に青鉤鳥の馬車で帰ってしまったのだった。
「すごかったですね、あの青鉤鳥。姉さん、あれどうやって獲ったと思います?」
向かいに座ってテレジアを姉さんと呼ぶのは、休憩中のマウリだ。マウリは丸い小さな耳をちょんと頭に乗せた、テレジアの異母弟である。テレジアは人だが、母が違えば種族も違うのだ。
「さあね、首の骨を折ってあるって言ってたから、まあそれで絶命したんだと思うんだけど……暴れた形跡もないし、ねえ?」
ほかの兵士も、みんな首を傾げている。
「しびれ毒とかどうだ?」
「いや、だが、食う……んだろ?あれを。食肉に毒はまずいだろ。」
「そもそも毒の実しか食べないんだから、どうやって毒を食べさせるのよ。」
「煙とか。」
「うへえ、獣人にゃきついだろテレジアの姉さん。」
いつもギルドとは関係ない兵士のむさ苦しい詰め所で休憩するテレジアは、当たり前のように兵士たちと仲が良かった。気弱なマウリがいじめられないようにと始めた詰め所通いだったが、今ではすっかり仲間として認められ、兵士と傭兵ギルドのつなぎとして動くこともあった。
やれ毒だ煙だ偽物の毒の実だなどとわいわいはじめた兵士を横目に、テレジアは少女の姿を思い出す。
サラサラの、毎日水浴びでもしていそうな金色の髪。ピンと立ったふわふわした茶色の耳と、長めの尻尾。瞳が大きく可愛らしい顔、細身の華奢な体。そんな少女が森から一人で出てくるだけで違和感しかない。
さらに尻尾の先を肩に担ぐようにして青鉤鳥を引きずっているのだから、まあ、テレジア的にはリンクスの言い分もわからないでもなかった。
昨日の夜、派出所から傭兵ギルドに戻った際に、副ギルドマスターのトナーに言われたことを思い出す。
「アレは狩人で、狩人は自分のことを話したがらないものだ。詮索はするなと全員に伝えておけ。」
そんなことは言われなくとも、傭兵ギルドの受付嬢は誰でもわかっている。傭兵にだって必要以上の詮索はしてはいけない決まりだし、したいとも思わない。
しかし今ならその言葉が、念押しだったと分かる。あれは、聞きたい。調べたくなる。謎が多すぎるのだ。
「またあした、来てくれるかな~?」
少女が街に滞在するのは5日だと聞いている。しかし、目的の青鉤鳥は2日目にして獲ってしまったようだし、明日以降、彼女が森に来るかはわからない。
そろそろ休憩が終わるテレジアは傭兵ギルドの派出所に帰るべく立ち上がると、未だあーだこーだと話している兵士たちに「本人に聞いたらダメだからね?」と釘をさした。




