ヒュランドル滞在2日目
私は昨日よりも早い、商人やギルド職員が乗る朝一番の乗合馬車で大地溝の森に向かっていた。昨日、傭兵がついてきていたのでできるだけそういう人に目をつけられないためだ。
鞄の中には昨日と同じくサンドイッチが入っている。しかも2人ぶんだ。別に森で誰かに落ち合うわけではなく、今日は朝が早かったのでおやつの時間も食べるためである。
昨日は無事(?)に剣を返せてよかったが、昨晩、寝る前にふと思い出したことがあった。
それは、ロマリアにあげたボロ布に縫い付けた魔法陣である。
あの魔法陣はこの世界の魔法陣よりもはるかに高い魔素効率で作られていて、例え縫い付けられているのがボロ布であっても10年はもつ。あのときの私は何も考えずにそれを渡したわけだが、この世界の常識しか持ち合わせていないロマリアは知らないはずで、つまり無駄に高い魔素墨を買って塗っている可能性がある。
魔素墨がポプリの売上よりも高くつくのならば、まあ、ポプリを売らない、もしくは値段を高くする等の対応が必要になってくるだろう。魔素クリスタルの生成で忙しいのに、変なものを押し付けてしまったかもしれない。
あ、魔素クリスタルを生成できるロマリアならば、魔素墨の生成方法が分かれば自分で作れるかもしれないし、それも売れる可能性もある、か。魔素墨の生成方法がわかったら、王都にこっそり戻って教えよう。もともと一度は戻ろうと思っていたし。
私は青空を見上げながら、がたごとと揺られつつそんなことを思った。
「嬢ちゃん、ウエイトレスにしては傭兵みたいな格好だなあ。森に入るみたいじゃないか。」
「森に入るんですよ、傭兵なので。」
「は?」
乗り合い馬車から降りてすぐに同じの馬車に乗っていた人のおじさんに声をかけられたが、すぱっと答えてささっと森の方へ歩き出す。今日こそは青鉤鳥を捕まえて帰らなければならないのだ、おじさんに構われている暇はない。
さすがに生け捕りはまずいだろうがやはり鮮度は大事なので、昏睡させて持って帰って、森の入口あたりの川で首を落とそう。肉が食べられるということは血に毒はないし、血を川に流しても問題……ああ、どうなんだろうか、ダメかな?ダメかもしれないな……例え魔法で浄化したとしても、どこで人に見られるかわかんないしな、うん、血抜きは諦めてビリっとする魔法陣でトドメをさすことにしよう。
がっさがっさと早足で上の森を行く。昨日はっちゃけすぎたので今日はシルビアの出番はない。そもそもシルビアの気配で青鉤鳥が逃げる可能性もあるのだ。なぜ昨日の時点でそれに気が付かなかったのか。
たしか傭兵ギルドの副ギルドマスターだとかいうおじさんが、赤い木に巣を作ると言っていた。木を切るとねばねばした樹液が出るとかなんとか。なので、隠遁の魔法で気配を消しながら、空間把握の魔法であたりを探りつつ赤い木を探す。
感覚で森の中腹に差し掛かったあたりだと分かる。方角もなんとなく分かるし、森の広さも大体分かるというのは便利だ。ただ、シルビアがすごいのか、魔獣は大体こんな感覚なのかはよくわからないが。
周囲にはちらほらと小動物がいる。マウンズの森と比べると少し低めの木々が所狭しと生えていて、あたりは薄暗くじめじめしていて虫が多い。薬草は日当たりのいい場所だけに群生していて、それ以外はわさわさとした日陰を好む草が生い茂って足元に絡みついてきていた。まあ、防御膜の魔法のおかげで、靴底は汚れるし根っこには躓くもののズボンは綺麗なままだけれど。
そういえば、薬草は少ないが毒草はちらほら生えている。別に元から知っているわけではなく、シルビアの嗅覚によって“何かしらの毒がある”と分かるだけだが、きのこやきのみの有毒性も分かるのはなかなか便利……だと思っていた時期が私にもありました。“毒がない”ことと“美味しい”ことはイコールでないのである。
そんなフニャフニャして中はぬるっとしてなおかつカビた汚泥のような味なのに見た目は美味しそうなきのこの思い出に顔をしかめていると、空間把握の魔法に大きな鳥のようなものがひっかかった。
大きさは――私と同じくらい、だろうか?
1,2メートルほどの鳥が木の上に止まっているようだった。まだ姿は見えないが青鉤鳥で間違いないだろう。
よし、と気合を入れてそちらへと進む。隠遁の魔法のおかげで特に逃げられる心配も襲われる心配もないので気が楽だ。矢を射掛けてくるような影もないし。
ほどなくして着いたのは副ギルドマスターさんが言っていた例の赤い木ではなく、黒い木だった。あれ?黒い木って言ってたっけ?
見上げると樹高は15メートルほどで、青々と茂った葉の影から隠しようのないトカゲの尻尾がたれているのが見えた。目的の青鉤鳥は見つかったし木などどうでもいいか。
あれか……。
体の一部が見えているのならば簡単だ。とりあえず光も音もない深層催眠をかける。私よりも小さな小牙豚に慌てふためき昏睡させたのが懐かしい。もう4年近く前になる。
ロマリアやヨルモは育ち盛りだし、4年も経てばおとなになっているだろう。私は相変わらず10歳だが。今彼女らに会えば、私のあまりの不変っぷりに驚かれるだろう。
ばきばきと枝葉を落としながら、大きなトカゲが落ちてきた。どすんと地面に落ちるが、下は落ち葉と雑草が敷き詰められているので皮はあまり傷ついていないようだった。
見た目はたしかにずんぐりとしたトカゲだ。それにドラゴンのような翼がついているので、確かに鳥というよりワイバーンの方が近い。これのでかい魔獣が出たらドラゴンだろう。
大きな爪があるときいていたが、たしかに私の顔ほどもある鮮やかな青い鉤状の毒爪が右脚についていた。反対には無いが、これが普通なのだろうか?
そこで、はたと私は気づいた。
これ、どうやって持って帰るの……?
飛ぶのだから骨は軽いだろうが、体高が私の身長ほどもある。尻尾を含めれば私の1.5倍だ。
……え、引きずって帰るしかない?
私はしばらく考えたのち、とりあえず毒があるという爪で周りのものを傷つけないよう、青い毒爪を薬草を入れるために持ってきていた麻袋で包んできつく縛る。毒が染み出している様子はないので、毒腺から自在に出せるのだろう。垂れ流しじゃなくてよかった。
すやすやと気持ちよさそうに昏睡している青鉤鳥の翼をたたみ、足も揃えてまるごと縄をかけぐるぐる巻きにする。ここはマウンズの森ほど木々の間隔が広くないので、引きずろうと思ったらできるだけ引っかかりをなくさなければならないのだ。
こんなときに解体に明るいパーティーメンバーがいれば便利なんだろうなあと思うが、詠唱魔法を見られるわけにはいかないのでどうしようもなかった。
尻尾の中程を持ち、軽く引きずってみる。あ、いけそう。でもこれでは複数匹持って帰るのは難しそうだ。まだ昼には早すぎる時間帯なのだが、残念だが今日はこのまま帰るしかなさそうだ。
そう思ってとりあえず尻尾の先を担ぐように持って、青鉤鳥をずるずる引きずりながら来た道を戻っていると、空間把握の魔法の端に複数の傭兵の姿がひっかかった。私より一本遅い馬車で来たのだろう。それでここまで分け入っているということは、この森をよく知っている傭兵なのだろう。
……などと考えそっと迂回しようとしていたのだが、どうやら何か――青鉤鳥と交戦中のようだった。しかも2人は座り込み、1人が青鉤鳥と対峙しているように、視える。
これは関わったらめんどくさいやつだ、と、一瞬見なかったことにしようと思ったのだが、しかし気づいてしまったからには助けるほかない。せっかく美味しいお肉を捕まえたのに、お肉を見るたびにきっとあの3人を見捨てたことを思い出してしまうだろうから。ご飯がまずくなるのはいただけない。
私は肩から尻尾を下ろすと、地面に置いた青鉤鳥を囲むようにささっと自らの魔素で淡い光の魔法陣を描いた。設置型の防御壁の魔法である。たっぷり魔素を含ませたので3時間くらいはもつだろう。
光の魔法陣は少し目立つので本来ならば地面に直接描きたいところなのだが、地面には石や木の根や雑草などで描くスペースがなかったのでしょうがない。肉食の獣が毒の鳥を食べるかはわからないが、もしほかの傭兵に見つかれば持って帰ってしまうかもしれない。せっかく手に入れた美味しいお肉を誰かに盗られるわけにはいかないのだ。
そうして肉どろぼうへの万全の対策してから、私は窮地に立たされているだろう3人のもとへと向かった。




