ヒュランドルの傭兵ギルド
ヒュランドルの傭兵ギルドのロビーに設えてある椅子に座り、スネイルはじっとギルドの入り口に視線を固定していた。
スネイルは朝にリネッタと別れたあと、もしものときのために部下にリネッタを尾行させていた。傭兵よりも狩人に近いリネッタが、うっかり青鉤鳥の毒にやられたり魔獣に襲われたときにすぐに助けるためだ。
しかし部下は3人ともリネッタを見失ってしまい、午前中いっぱいは上の森をさまよい歩いていたそうだ。そして昼も過ぎて太陽が傾いたころ――つまり3時間ほど前に、朝、崖から落ちていく子どもらしき人影を全く関係のない傭兵が目撃したという知らせを持って、部下のひとりが真っ青な顔で帰ってきたのだった。
3人のうち2人は森の入口に残り、森から出てきた他の傭兵からそれとなく情報収集しているとのことたっだ。
子どもが魔獣の森に入るわけもなく、あの攻撃的な毒の鳥が住まう森にはゴブリンやコボルトなどの小型の亜人の集落もない。もしソレが本当に人だったのであればリネッタで間違いはないだろう。
……あの崖から落ちれば最後、待っているのは確実な死だ。
そう、子どもだからこその軽さで例え枝葉が緩衝材になり運良く命だけが助かったとしても、高ランクの傭兵すら迷う深い森の中で、かすかな血の匂いで集まる魔獣や獣相手ではいかにうまく立ち回ろうと生きては帰れない。
もちろん見間違いの可能性もある。むしろ見間違いの確率のほうが高いとは思うのだが、やはり心配ではあったので、スネイルはこうして傭兵ギルドの入り口とにらめっこしながらリネッタの帰りを待っているのである。
日が落ちてしばらく経つので、そろそろ森からの最終便で帰ってきた傭兵らがギルドへと戻ってくる時間帯だ。
頼むから無事に帰ってきてくれよ……そうスネイルが考えていると、続々と傭兵がギルドへと入ってきた。そしてその最後の辺りに背の高い大人に紛れて茶色い耳が見え、スネイルは一気に脱力したのだった。
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「見つけられなかった?」
「はい。」
耳と尾をしょげさせて残念そうに頷くリネッタに、「いや、そんなもんなんじゃないか?」という言葉をかける。
「薬草、あれだけ採れてたらじゅうぶんだって。」
森から帰ってきたリネッタは、手持ちの麻袋いっぱいいっぱいに薬草を摘んで帰ってきていた。それは上の森をよく知る薬草専門のランクの低い傭兵が持って帰ってくるのとほぼ同じか少し多いくらいで、薬草を受け取った傭兵ギルドの職員が目を丸くしていた。
「帰り道に群生地体を何箇所か見つけたので。でも、薬草ではお腹は膨れないんです。」
「いや別に宿に帰れば飯があるだろ。」
「そうなんですけど……。」
あからさまにしょんぼりしているところを見ると、相当な自信があったのだろう。
スネイルはぽりぽりと人差し指で頬をかき、話題を変えるべく、リネッタの持っている抜き身の剣に視線を向けた。
「で、さっきから気になってるんだが、その剣はなんだ?」
「ああ、これは――」
「ス、スネイル!ちょっといい?」
と、リネッタが口を開くのと同時に、そばでこちらを見ていた傭兵の1人が声を上げた。
「ん?ああ、ルルーじゃないか、今日は災難だったな。」
「……ええ。」
ルルーは、栗色の髪をポニーテールにした20代なかばの人の女性である。今はしていないが、いつもならば腰には魔剣を下げている。もちろんその魔剣は飾りではなく、彼女は正真正銘、魔剣士だ。魔獣の革で作られた軽い鎧を着込み、Bランクパーティーで前衛を張っている。
一昨日から魔獣を狩りにパーティーで下の森に入っていたのだが、今日の昼辺りに強力な魔獣と遭遇し撤退して街まで戻ってきていた。
ルルーが所属するパーティー【牙を折るもの】は5人全員がBランクの傭兵であり、その5人が倒せなかったという魔獣は近々討伐隊が結成されるだろう。
「その子が持っている剣を、見せてもらえない?」
「あ、どうぞ。」
スネイルが聞くまでもなくリネッタが剣を差し出し、ルルーが受け取る。
「この剣は……どこで……?」
「どこだったかな、場所は覚えていませんが、下の森の少し入ったところで拾いました。」
「下の森に入ったのか!?」
そう声を上げたのは、スネイルだ。
「ああ、まあ。その、下の森だったら、見つかるかなって思って。でも帰りの馬車の時間もあったので、早々に引き返しました。」
「おいおい……明日はやめてくれよ。強力な魔獣が出ると弱い魔獣が森の入口まで追われることもあるし、森の入口だからといって安全ってわけじゃないんだぞ。」
「気をつけます。」
ぺこりとリネッタは頭を下げた。まあ、マウンズの森の魔獣の巣に近い場所で逃足鶏を狩っていたリネッタならば大丈夫なのかもしれないが、魔獣と遭遇しないに越したことはない。
「拾った……」
手に持った抜き身の剣に視線を落とし、ルルーは難しい顔をしている。
「もしかして、お姉さんの剣ですか?」
「うん、間違いなく私の剣だと思うんだけど、この剣は今日、下の森の奥深くに置いてきてしまったものなの。だから、落ちているはずはないんだけど。でもどう見ても、私のだわ。」
「つまり何者かが森の入口まで持ってきたってことか?」
「……ありえない、だって……まさかあの魔獣が私たちを追いかけてきたってこと?森の入口まで!?」
「それはまずいな。」
なぜ剣を持ってきたのかはわからないが、Bランクパーティーをも下すような魔獣が森の入口付近まで傭兵を追いかけてきたとすれば、被害は街にまで及ぶ可能性もじゅうぶんある。傭兵ギルドに報告しなければならないだろう。
「追いかけてくるような気配は全然ないってゴージが言ってたんだけど……私、報告してくる。」
ゴージとは、ルルーとパーティーを組んでいる獣人だ。獣人は気配に聡く、特に魔獣から逃げていたのなら気を張っていただろうから、彼が気づかないというのはあまり考えられない。
あとから匂いをたどってきた可能性もあるが、それにしても森の浅い場所まで追ってくる魔獣は珍しいなとスネイルは思った。そういった魔獣は人の味を占めていることが多く、被害が大きくなることも珍しくないので早めに討伐しなければならないだろう。
「あ、この剣……」
と、手に持った剣とリネッタを交互に見て、ルルーが言いよどむ。
これが本当にルルーの剣だったとしても拾ったのはリネッタで、剣に名前でも刻んでない限りは彼女が嫌だと言えば剣を返してもらうことはできない。森で拾ったものは、ギルドカードなど特別なもの以外は拾った人が所有してもいいというルールだからだ。
しかしこの街では、よっぽどのことがない限りは多少の金銭をもらって持ち主に返すというのが暗黙の了解になっていた。森の掃除人と呼ばれる、装備品などを拾って小銭稼ぎをする傭兵がいるほどだ。
しかしリネッタはこの街に来たばかりで、そういった暗黙の了解を知らない。スネイルがどうしたものかと声をかけようと口を開く前に、リネッタはあっけらかんとした顔で「あ、どうぞ。」と言った。
「私、剣は使えないので。でも、持ち運びが雑だったので刃こぼれしてたらごめんなさい。」
「!……ありがとう!もちろん刃こぼれなんて気にしないわ!もう戻ってこないかと思っていたんだもの……じゅうぶんよ。じゃあ私は報告してくるわ。」
「おう。」
ルルーの後ろ姿を見送り、スネイルが視線をリネッタにもどす。
「で、明日も森に行くのか?」
「はい。あ、そう言えば――」
耳をぴんと立てて、リネッタが顔を上げた。
「なんだか、変な魔獣を見たんです。」
「は?魔獣?」
「はい。」
「上の森で?」
「あ、いえ、上の森から下の森を見下ろしてたときに、見たんです。」
「……と、飛んでたか?」
「いえ、たぶん翼のたぐいはなかったと思うんですけど……」
赤い青鉤鳥の魔獣ではなさそうだ、と、ひとまずスネイルはほっと息を吐いた。
もし赤い青鉤鳥の魔獣ならば、すぐに傭兵ギルドに報告して対策を講じなければならない。
「よく見えたな?そんなデカかったのか?」
「私、目がいいんです。木の上に登っていたので見えました。大きな猿みたいでした。」
「ふむ。」
「全体的に茶色っぽくて、お腹の色が白くて……」
「んん?」
「口が大きかったです。」
「……そいつ、目が4個なかったか?」
「あーそう、ですね、あー、遠目だったのでそこまではわからなかったです。」
「……そうかあ。」
アレが日の当たる場所に出てきていた……か。
スネイルは思い当たったそのネームドとその行動の違和感に、リネッタが目を泳がせたのを見逃してしまった。
「そいつはな、森の隠者【ストレンキー】っていうあの森で一番古株のネームドだ。」
「一番の古株?」
「隠者って名前からしてわかるだろうが、めったに現れない、変なやつなんだ。稀に見かけて戦闘を仕掛けても、逃げられることが多い。」
「魔獣が逃げるんですか?」
「俺が遭遇したわけじゃないから実際どうなのかはわからないが、まあ生き残ってる奴らはみんな口を揃えて“逃げてった”って言ってるからそうなんじゃないか?」
「変な魔獣もいるんですね。」
「そうだな。」
そんな森の奥に隠れている奴が、木の上に登って何をしようとしていたのか……
これもあとでギルドに報告したほうがいいな、とスネイルは頭の片隅にメモした。




