暗がりの隻獣
はじめは、仕事仲間4人がなんとなく集まっていただけだった。
その日の食事にありつくためだけにその日を必死に生きる、獣人の4人組。ただ、夜、ちょっとスラムの酒場に集まって安い酒のような何かを煽りながら、日々の愚痴を言い合うだけの仲間たち。
しかし、いつの間にか仲間は増え、いつの間にか集まっていた酒場は拠点と呼ばれるようになり、いつの間にか使命感めいたものが生まれ、いつの間にかこの名もなき集団には【暗がりの隻獣】という名前が付き、いつの間にか“人に奪われたこの国を獣人が取り戻す”という壮大な目標ができていた。拠点は酒場から獣人だけが集められたスラムの外れにある孤児院に変わった。
もともとこの聖王国は、当時最大の獣人の王国だった、らしい。――千年前の話なんて実際にどうかはわからないよな、と俺は思ってはいるが――その巨大だった獣人の国を、当時の歴王でありこの聖王国の初代国王であるアリダイルが攻め落とし、城も、城下町も、畑も、何もかもを更地にして聖王国を建国したという。
――この聖王国の人たちは“愚かな獣人たちは精霊王の怒りを買い、精霊王によって国を更地にされた”のだと思い込んでいるが、実際には獣人を奴隷とするために、文化やその他諸々を蹂躙しただけだ。
そう、人の先生は苦い顔で言っていた。
先生曰く、実際には大規模な戦闘に自然災害が重なって再建不可能な状態に陥っていたので、更地にするしかなかったのだろう、とのことだった。
そうして獣人の王の系譜が代々受け継いでいた霊獣化の秘技などをすべて燃やし獣人を弱体化させて、老若男女や地位などは一切関係なく全ての獣人を奴隷にしたのだ。
しかし、本来この土地は、獣人のものだ。
アリダイルの次の歴王であるガビルも、アリダイルのやり方は過ちであり獣人の奴隷解放を生涯を使ってやり遂げた。現歴王であるオルカもそれにならうように獣人の差別禁止を公言している。
つまり、歴王を選んでいる精霊王はこの聖王国の成り立ちが間違っていると示している。
それならば、精霊王の意思通り手足となって働く者が必要になる。
先生は、俺たちを見てそう言った。
お前たちは逆賊ではない。虐げられながらも、この聖王国で獣人の血を続かせている偉大な英雄だ。
お前たちが決起することは、ひいては精霊王に従っているということだ。それは何よりも正しい行いだ。
選民思想に囚われ精霊王から見放されたこの国を、獣人が取り戻して本来あるべき姿にもどさなくてはならない。精霊王が、そう望んでいるのだから。
弟子を数人連れてこの街を訪れた人の先生は、この街に住むどの人とも違っていた。
俺たちを見る目つきが優しかった。外壁の外側にある危険なスラムの中で、こっそりと食事や酒を提供してくれた。そして、この国の現状を憂いていること、精霊王の望みは獣人の王国の再建だと教えてくれた。
そんな先生がこの街の代官に囚われたのはひと月も前のことだ。
先生が連れていた人の弟子らは言った。
直ぐに行動を起こしてはならない。怪しい動きをすれば、全員が捕まり処刑されてしまうだろう、と。
そして、俺たちに青く輝く小石を渡した。
俺は、逸る仲間たちを押さえつけながら待った。代官の監視が緩むときを。
先生は代官の屋敷から出てきていない。もしかしたら処刑されてしまったのかもしれない。
しかしその遺志は、確実に俺達に受け継がれている。
――この国を、取り戻す。
やらなければならない。周到に準備を進めていたが、今夜が、行動を起こすときだ。
隣町の騎士が3人ほど代官の屋敷に入ったという連絡を受けたが、この街の騎士団は今、盗賊の討伐にでかけていて戻るのは明日の昼だ。たかだが騎士が3人増えただけでは、俺たちは止まらない。
「用意はいいか。」
「本当にこれを飲めば、本来の霊獣化の力が出せるのか?」
「ああ、力に飲み込まれなければな。」
俺は、ゆっくりと頷いた。
先生の弟子たちは、力に飲み込まれてしまえば最後、その場で死ぬか死ぬまで暴れ続ける魔獣となるだろうと言っていた。その覚悟がある者のみ、この輝石を飲め、と。
“精霊の小石”と呼ばれるらしいそれに目をやる。透き通った青い、美しい輝石だった。
“精霊の小石”の伝説は、さすがの俺でも知っている。
精霊の落とし物、精霊の力の根源、精霊に愛されし者が受け取るという、幻の輝石。
小石は7つ。飲むのは俺を含めて、腕っぷしに自信がある者たちばかりだ。
もしものときのために、飲まない者たちは拠点にしている孤児院に残してきた。もし俺たちが魔獣になってしまっても、俺達の意思を継いでくれる者を残さなければならないからだ。
この作戦は成功する。
俺は人どもに復讐し、本来の霊獣化の力でこの国を取り戻すのだ。
__________
――商人すらも眠りについている深夜、リリヒルズの街を魔獣の咆哮が揺らした。
突然、外壁に守られているはずの街の中に魔獣が現れたのだ。
全身を硬い毛で覆われた一つ目の巨人が、二体。首はなく肩から頭が生えていて、足はやや短く、代わりに腕が長い。
一つしか無い大きな目はぎょろりと周囲を睥睨し、その視線はひとつの建物でピタリと止まった。
代官屋敷にほど近い広場と、屋敷を挟んで正反対に位置する公園に現れた魔獣2匹は、吸い寄せられるように代官屋敷に向かって進みはじめる。
周囲は何事かと起き出した人びとの悲鳴があちらこちらから上がったが、それよりも早く宿から飛び出すいくつもの影があった。
それは、対魔獣用に完全武装し、魔法陣の輝きを武器に宿した傭兵たち。
傭兵たちは二手に分かれており、連携してすばやく魔獣らを包囲した。
しかし魔獣はその姿を見ても全く怯まず、それどころか傭兵など気にもとめず、傭兵たちを一瞥したかと思えばすぐに視線を代官の屋敷方面に向けた。そして、おもむろに移動し始めようとして傭兵たちに道を塞がれる。
「魔獣使いがこのあたりにいるはずだ!何人かは探しにいけ!」
「単眼巨人は魔眼を使うぞ、気をつけろ!」
傭兵らのリーダーらが周囲の傭兵に指示を出している。
……それらを少し離れた高所から眺めながら、人の男が「7分の2か、思っていたよりも少なかったな。」とぼやいた。
その場にいるのは灰色のローブを纏った人が4人、いずれもスラムに現れた“獣人開放に尽力する人の師”の弟子たちである。
「所詮2本足で歩いているだけの獣だ、2匹でも上出来だ。」
「それより傭兵どもだ。あれは待ち伏せていたんじゃないか?どこから漏れた?」
「夕方ごろに騎士の格好をした奴が3人ほど代官の屋敷に入っていったが、まさか……」
「どこの騎士だった?傭兵ギルドからは何も聞いてないぞ。」
「本当に魔獣は2匹か?こっちの死体が一匹足りない。」
「――まさか魔人になったわけではあるまい、一匹逃げたんだろう。」
「隻獣の中に裏切り者がいたのか?」
「いや、必ず全員が一緒に飲めと“命令”した。何の疑いもなく口に入れるはずだ。」
「仲間に喰われたのではないか?」
「……ありえない話ではないが、人造魔獣βが人や獣人を喰った記録はない。」
4人が顔を突き合わせて唸るが、すぐにリーダー格のような男が声のトーンを少し低くして口を開いた。
「まあ、それはおいおい考える。ここにはもう用はない、騒ぎが沈静化する前に街を離れるぞ。裏切り者は見つけ次第殺せ。」
それを聞くないなや残りの4人は静かにうなずく。そして、それぞれが別々の方角へと散った。
__________
俺はわけもわからず走っていた。
膝に力が入らずガクガクと揺れているが、それ以上に今目に見たものが信じがたく、恐ろしく、どうすればいいのかわからず脚をもつれさせながらも、走る。
手には仲間たちと一緒に飲もうと約束した――握り込んだ手が震えて開かず、とうとう捨てることの出来なかった青い輝石。
場を和ませようと「俺が一番な!」と輝石をナッツのように軽く放り投げ口に入れようとしたのだが、輝石は口の端に当たり、しかもうまく手で受け止めることが出来ずにとり落としてしまった。
それを横目に、仲間たちは「お前らしい。」と笑いながら先に輝石を飲み込んだ。
「お、おいちょっと待ってくれよ!」と慌てて俺もそれに続こうとしたとき。
次々に苦しみ悶え、血を吐き倒れる仲間たち。
その惨状に狼狽え輝石を口に入れることを躊躇していると、倒れた仲間のうちの一人が聞いたこともないような金切り声を上げ、それは起こった。
口にするのも憚られるような、悍ましい、変化。
それをまともに見てしまった。仲間が仲間だったものになる、その瞬間を。
そして同時に確信めいたものが頭をよぎる。
――輝石を飲んだら最後、確実に自分も“そう”なる。
輝石はそういったものだ、と。
目の前で、ついさっきまで仲間だったものが咆哮をあげた直後、我に返った俺はソレに背を向けて全力でその場から逃げた。
仲間だったものは、追いかけてはこなかった。
走る、走る、走る。ひたすら、走る。
なぜ逃げているのかわからない、でも、みんなが待っているだろう孤児院にはもう、戻れない気がした。
街の裏門の狭い隙間をなんとか抜け、街道に出る。
それは俺たちが代官の屋敷の襲撃に失敗したとき、すぐに逃げるために開けられた隙間だった。
しかし、失敗した俺たちに待っていたのは逃げようのない死だった。
なぜ?この青い輝石は精霊の小石ではなかったのか?
俺たちは精霊王の意思に従っていたのではないのか?
人の先生は大丈夫だって言っていたじゃないか!!!
弟子たちだって、俺たちを信じているって……
それとも、本当に精霊の小石は本物で、ただ俺たちが侮っていただけなのだろうか。
本当にこの小石を飲み下し試練に打ち勝つことができれば……?
三つ月の月明かりの下、はたと足を止め、肩で息をしながらゆるゆると握りしめたままの手に視線を落とす。
「なわけないよな。――はは。」
思いのほかかすれた声に、白けた笑いが漏れた。
もしこれが本当に精霊の小石だったとしても、あの場から逃げた俺が試練に打ち勝つ可能性は、皆無だ。




