ダンカンとスネイル
シルビアが自然落下し、カトリーヌが本を読んでいる頃、ダンカンは防音を施している自らの執務室で屋敷に訪ねてきたスネイルの報告を聞こうとしていた。
スネイルは執務机の前に立ち、いつものように報告事項をすべて頭に入れてきているために手には獣皮紙の一枚も持っていない。
「で?昨日の今日で何がわかったと言うんだ?泊まっている宿か?まだ朝といってもいい時間だぞ?」
ダンカンはやや呆れた顔をしていた。前回の報告を受けたのが昨日の夜なので、当然である。
対してスネイルは飄々と「泊まっている宿は唸る角獅子亭ですね。」と報告した。
「そうか。他には?」
「いやー、それが……」
スネイルが苦笑いを挟む。
「あのリネッタっていう子、なかなかの曲者ですよ。」
「10才の小娘だと聞いたが?」
「ええ、まごうことなき10才の小娘ですが、霊獣化も使えるれっきとしたランクE傭兵です。」
「ほう?」
ダンカンの小馬鹿にしたような声に、スネイルはしっかりと頷いた。
「ええ。ランクも無駄に……うん、無駄ですね、無駄にしっかりと保証されていましたから間違いありません。」
「どういう意味だ、はっきり言え。」
「実はリネッタとお近づきになりましてね、傭兵ギルドでのランクの確認も含めていろいろと聞かせてもらいました。
はっきり言って、あの娘をただの10才児だと思わないほうがいい。ランクEってのも年齢的な制限でそうなっているだけで実際はDでもいいかもしれません。もしかしたらそれ以上かもしれませんが。」
ダンカンは、執務机の背もたれに背中を預け「馬鹿も休み休み言え。」とため息混じりに言った。
傭兵として生計を立てていた時期もある自分だからこそ、それがおかしな話だと自信を持って言える。10才児が戦えるわけがない。よしんば幼い頃から訓練していたとしても、ダンカンでさえ傭兵デビューは13才だったのだ。例え体力で勝る獣人といえども、10才でランクEはありえない。ダンカンはそう思っていた。しかし。
「いやいや本気ですよ。なんてったってその実力をマウンズのガーネル・グランロードが認めていますからね。」
「……なんだと?」
ガーネル・グランロード。それは、ダンカンと同時期に活躍していた、当時最もランクA傭兵に近いと言われていた獣人の豪傑である。彼がリーダーを努めたパーティー“咆哮”は数々のネームド魔獣を屠り、連合王国アトラドフを中心にしてその名を轟かせていた。
彼は、シマネシアの魔術師協会に一人で殴り込み半ば攫うようにしてサリアという魔術師を一人引き抜いたことでも話題になった。その名目は自らのパーティーへの引き抜きということになってはいるが引き抜いたのは傭兵を引退した後であり、その後彼女は傭兵ギルドの副ギルドマスターに落ち着いたことから実際には傭兵ギルドの差金だったというのが定説である。しかし、知っている者は知っている。あれは彼の一目惚れである。
そんなガーネルは完全なる実力主義であった。サリアに惚れたのもひとえにその実力によるものである。
そのガーネルが認めるという少女、リネッタ。ダンカンは少しだけ興味を持った。
「しかもランクE傭兵のランクの確認に、主都マウンズの傭兵ギルドマスターと副ギルドマスター2人がサインしてんですよ?トナーさんと一緒に確認しましたし、サインは間違いありません。」
「ギルドマスターのサイン?」
「ええ。聞いたところによると、リネッタは傭兵というより狩人としての能力が高いようです。」
「狩人……」
「狩人としてあの有名どこのトイルーフ家とも繋がりがあるらしいですよ、指名依頼が来る程度に。」
「あのトイルーフが指名依頼だと?何かの間違いではないのか?」
「普通ならそう考えるんですけどね。今朝、意気揚々と一人で青鉤鳥を狩りに行っちゃったんですよね、リネッタ。」
「なんっ……正気か!?」
さすがに驚いたのか、ダンカンが避難めいた声を上げる。
青鉤鳥といえば、低ランクの傭兵が挑めば100%返り討ちに遭うという魔獣よりも厄介な相手である。
ガーネルは何回か狩ったことはあるが、できるだけ出会いたくない相手であった。
「トナーさんが“止める必要はない”って言っちゃいましたからね、それで彼女を引き止められるのはギルドマスターか、ダンカン様くらいですよ。」
「なんということを……あの少女は、カトリーヌ様の持ち物なのだぞ……?」
「カトリーヌ様も青鉤鳥を狩りに行くことを知っておられるみたいですよ。」
「危険を知らんからだ、アレの毒が普通ではないのは、お前も知っているだろう。」
そう言われたスネイルは青鉤鳥と戦うリネッタを想像したが、当然のごとく全く浮かばずに断念した。そしてそんなことよりも青鉤鳥に関連して報告しなければならないことがもうひとつあったことを思い出す。
「ああ、そういえば、下の森に新たなネームドが現れたらしいって、傭兵ギルドから上がってきてますよ。」
「何?」
「赤い爪を持った青鉤鳥のでかいやつらしいです。今はまだ魔獣の巣の上空を旋回しているところしか目撃されていないらしいので被害はないんですけど、一応ネームドとして登録したいとトナーさんから相談を受けました。」
「青鉤鳥のネームドだと……」
「似てるだけかもしれませんけどね、遠目での目撃ばかりなので。」
「毒はあると思っておくべきだろう。」
ダンカンは唸った。解毒剤を作るのに必要な青鉤鳥は常時不足している。しかし特別に街が買い取りなどを出すと毒の危険を顧みない無謀な挑戦者が現れてしまう可能性が高く、街は下手に動けないというのが現状だった。
対策として傭兵ギルドを通して青鉤鳥を専門に狩りをするパーティーを募集しているのだが、優秀なパーティーは青鉤鳥の厄介さを身に染みて知っており、応募してくるのは主にランクCで構成された若いパーティーばかりで話にならない。
「どうにかして安定して青鉤鳥を狩れないものか……それか、解毒の魔法陣を森の入口に設置できれば……。」
「あー……。」
ダンカンのつぶやきに、スネイルはこの街の精霊神殿に設置してある大掛かりな魔法陣を思い浮かべた。
4級の魔素クリスタルを消費して発動するそれは、どんな毒でもたちまち消してしまうという夢のような魔法陣だ。しかしいかんせん大きすぎて持ち歩くことができず、森で毒に侵された者では絶対に解毒が間に合わない。しかも4級の魔素クリスタルの代金のほかに別途使用量がかかるために普通の傭兵では使えさえできない無用の長物であった。
精霊神殿にはどんな怪我をも治すと言われている治癒の魔法陣もあり、こちらは3級の魔素クリスタルを消費するさらに大掛かりな魔法陣で一般人が使うことはまず無い。治癒の魔法陣と比べるとはるかに劣るものの、十分実用的なレベルで怪我を治せて持ち運びもできる回復の魔法陣というものもあるが、こちらも高価で、なおかつ回復薬のほうが手軽なので所持しているパーティーはほんの僅かであった。
「いや、俺ら傭兵には使用料が払えないんで、あってもどうしようもないですね……。」
「そのあたりは俺の仕事だ。街と傭兵ギルドが一部を肩代わりするなりなんなりすればいい。」
傭兵ギルドもか……と、スネイルは内心で苦笑したがそんなことはおくびにも出さず、「なるほど、それはありがたいですね。」と神妙に頷いた、そのとき。
誰かがドンドンドンと扉を叩いた。部屋が防音仕様のため外に誰がいるのかはわからないが、扉を叩く勢いが尋常ではなかったためにダンカンは「開けろ。」とスネイルに指示を出す。
スネイルが扉を開けると、そこにいたのは裏門で門番をしているはずの男であった。




