リネッタは
雨天の昼下がり。カトリーヌは勉強のために部屋にはいなかった。
明かりの灯らない(灯してもらえない)薄暗い部屋の中、私はけだるい気分でベッドに横になったまま小さくため息をつく。
雇われてからはや3月、月に2日はシルビアのために夜中に抜け出してはいるが、運動不足にもほどがあるのでちょっとどうにかしたいと考えていた。
できればシルビアが満足するまで狩りをさせてやりたい。カトリーヌの家のご飯ももちろん美味しいのだけれど、この国の庶民の味も気になるし、三大珍味鳥の青鉤鳥も気になる。つまり、お貴族様の食事に飽きたのだった。
と、ふと、魔素の揺らぎを感じて、私は何気なく窓の外に視線を向けた。
浄化妖精が、何かしらに解毒の魔法を使ったらしい。
浄化妖精の視線と交信すると、そこには様子を伺うようにこちらを見ているクロードの姿があった。鳥かごの扉は空いているらしく、小鳥は丸い小さなエンドテーブルに置かれたティーポットの前にいるようだった。どうやらティーポットの中身を浄化したようだ。
魔法を使うと魔素が揺らぐのはもちろんのこと、魔法がきちんと発動した場合は光ったりなんだりしてどうしても魔法が“視えて”しまう。それをクロードに伝え忘れたので、小鳥が魔法を使うところを誰かに見られてしまう可能性を危惧していたのだが、部屋の中にはクロードの他には誰もいない。
お茶を用意しただろう侍女の姿すら見えないので、クロードは人払いでもさせたのだろうか。
そんなクロードは、恐る恐るといったふうにカップを手に取り、自らティーポットからお茶を注いで匂いを嗅ぐ。そして、一口。眉をひそめて――もう一口飲んで、首を傾げる。
浄化妖精が使ったのは、浄化の魔法ではなくその下位魔法にあたる解毒の魔法だった。つまり、クロードが飲ませられていたのは相当弱い毒だった。カトリーヌいわく、医者も魔術師もクロードが毒に侵されていることを見抜けなかったというのだからよっぽどだ。魔術師がどう見抜くのかはわからないが。
クロードはしきりに首を傾げながら紅茶を飲んでいる。
解毒すると味が変わるとでも思ったのだろうか。無味無臭の毒があるかはわからないが、刺激が強ければ口に入れた瞬間ばれてしまうのだから味も匂いも薄いほうが良いし、クロードは長期間飲み続けていたにも関わらず毒の存在に気づかなかったので多少の匂いはあったとしても無味だった可能性は高い。つまり解毒しても味は変わらないだろう。
まあ、もし毒に味があったとして毒素がなくなったからといって味も消えるかはわからないのだが。……それを考えるとシルビアの鼻の良さには感服するしかない。同じ体なのになぜこうも差がでるのか。
小鳥の方はもう大丈夫だろうと私は浄化妖精との交信を切った。また毒が混入されたものがあれば同じように解毒するだろう。その回数でどれくらいの頻度で毒を仕込まれているのかわかるだろうし、毒を仕込んでいる誰かにも見当がつくはずだ。
さて。
クロードの部屋にはクロードしかいなかったのだが、その隣の部屋で壁に寄り添っている誰かは一体誰なのだろうか。
私が常に空間把握の魔法(狭)を展開するようになってからずっと気になっていたことがあった。それは、結構な頻度でクロードの部屋の隣の部屋で聞き耳を立てている誰かがいるということだった。
気になるのはわかるのだが、ちょっと仕事をサボり過ぎだと咎められるほどずっと壁に寄り添って聞き耳を立てているのだ。誰かが。
空間把握の魔法はそこにいるモノの大きさや魔獣かそうでないか程度ならわかるのだが、さすがに顔の区別はつかない。なので、そこにいる誰かが従僕なのか執事なのか侍女なのかはたまたカトリーヌなのかはわからない。しかし、確実に誰かがそこにいて、クロードの部屋の音を盗み聞いていた。
私がカトリーヌに雇われたときはそうでもなかったのだが、最近はこのカトリーヌの部屋の私とカトリーヌの会話も聞かれるようになってしまった。噂好き、というよりかはもう諜報活動なのではないかと思うくらいである。
しかもクロードの部屋で聞き耳を立てている誰かと同時進行でこの部屋に聞き耳を立てている。つまり複数いるのだ。暇なのだろうか。
クロードに預けた浄化妖精には必要に応じて遮音結界の魔法を使うように指示しているものの、浄化妖精の居ない場所での会話はどうしようもない。
何を知りたくてそんなに聞き耳を立てているのかはわからないが、なぜ誰も気づかないのか不思議でならなかった。
まあ私とカトリーヌの場合は、カトリーヌが今日何をしていたのかをえんえんと話していたり、こっそりカトリーヌが持って帰ってきたお茶のときのお菓子を2人で食べたりと、至って面白みのないものばかりなので聞かれても問題はなかった。
カトリーヌがアイダの話をするのは、街を視察するという名目で外出するときの馬車の中だけである。もしかしたらカトリーヌは誰かが聞き耳を立てているのを気づいているのかもしれない。
嫡男であるクロードは長期間毒を盛られているし、カトリーヌは不自然に盗賊に襲われるし、頻繁に誰かが聞き耳を立てているし、アイダの簒奪計画というのもあながち間違ってはいないのかもしれない。
とはいえ、まだカトリーヌの思い込みという余地もある。簒奪を考えるにしてもクロードの毒が弱すぎるし、いつから飲ませているのかは知らないがまだまだクロードは死にそうにない。カトリーヌを襲った盗賊も突発的な犯行だった可能性も捨てきれないし。
とりあえずクロードのほうもアイダのほうも様子見でいいかななどと考えていると、カトリーヌの帰ってくる気配を感じて私はベッドから起き上がり、それでも寝てるよりはいいかなとわざわざ私用に用意してもらったちょっと高そうなクッションのはめてある木のイスに座る。
とりあえず外に出たいし、体を動かしたいし、この国の料理を食べたい。そのためには、カトリーヌをどうにか言いくるめて屋敷から出さなければならない。私にとってはそれが今一番大事な事なのだ。




