その影で
「食事を摂るときに部屋に誰も入らせない?」
「……はい、そのようです。」
「そう。」
アイダはその日の毒味係であった自らの侍女にそっと銀貨を一枚握らせると、侍女を下がらせた。
「……。」
座っていたソファの背もたれに背を預け、アイダは考えを巡らせる。
今日の昼過ぎあたりにクロードが帯剣してカトリーヌの部屋に入ったところまでは、アイダにも情報が入ってきていた。その部屋にはカトリーヌはおらず、カトリーヌの獣人しかいなかったという。
その後カトリーヌが部屋に戻り扉が閉められてからは、会話の内容は一切わからなかった。聞き耳を立てていたらしい侍女が全員、示し合わせでもしたかのように“聞こえなかった”という報告をしたのだ。
アイダは、実家のある領地から連れてきた侍女だけを側仕えにしている。新しく迎える侍女も実家できっちりと教育してからこっちに呼ぶように徹底していた。
その実家での教育の一つに、“情報をもたらした者には報酬を与える”というものがある。
侍女は様々な場面に遭遇することが多いため、その情報は馬鹿にならない。こちらの領地で雇われた何も知らない侍女にそういったことをさせるわけにはいかないので、実家の領地で教育してからこの屋敷に送り込んだ侍女を使うのだ。
“噂好きな侍女”はどこにでもいる。やりすぎれば注意を受け、酷ければクビになるだろう。しかしこの屋敷をクビになったとしても、手に入れた情報によってはアイダから報酬を得ることができ、その上アイダの父親の領地で雇われることを約束してもらえるので、アイダに雇われた侍女たちは情報収集に余念がなかった。
しかし今回は、誰も、何の情報も手に入れられなかった。
普段であれば隣の部屋などに隠れて聞き耳をたてているはずなのだが、部屋の中にいた3人と1匹の声は一切聞こえなかったというのだ。
――何かの魔道具を使ったのだろうか。
もしそうならそれは、聞き耳を立てていることがバレているということだ。しかしアイダは眉をひそめ、ゆるやかに首を横に振る。
あり得ない。聞き耳に気づいているのならば、わざわざ魔道具まで持ち出して“聞き耳がバレている”ということをこちらに気づかせるようなことをする必要などないのだから。
そう、あり得ないはずなのだが――今度はクロードの部屋の隣で聞き耳を立てていた侍女が、やはり“何も聞こえなかった”と報告してきた。
これは確実に何かがある。わざわざこちらに知らせるような形にしているのは、牽制のつもりなのだろうか?
先程の侍女が、クロードがどこからか手に入れた小鳥を飼い始めたという話もしていた。動物の毛は体に悪いとエレオノーラが犬を飼うことに大反対したのはいつの話だっただろうか……それからというもの、クロードはペットのようなものに一切興味がないようなふうだったし、乗馬にも手を出していない。
となると、小鳥はフェイクでハールトンが用意していたという鳥かごあたりが怪しいだろうか。魔道具について詳しいことはわからないが、鳥かごくらいの大きさであれば魔法陣を彫り込むことは可能だろう。
しかし、もし本当にクロードが聞き耳に気づいてした対処だとすれば、なんともちゃちでずさんな計画だろうかと、アイダは首を傾げざるを得なかった。
しかも鳥かごを用意したのは執事長のハールトンで、つまりは鳥かごが魔道具ならばハールトンも一枚噛んでいるということになる。
ハールトンはこの屋敷の家令のトップだが、信用しているのか何なのか侍女が聞き耳を立てていることに気づくこと自体少なく、自らが情報を漏らすことは無いものの噂好きの侍女に対しては寛大な対処をしている。
もしそのハールトンが、侍女が聞き耳を立てているのが単なる“噂話の種”のためではないと知れば……アイダとしてはそちらのほうが不味かった。なぜならば、聞き耳を立てているのは全員が全員、アイダの実家から呼び寄せた侍女らなのだから。
いや、わざわざ聞き耳を立てていることがバレていると知らせるような対処をするというのは、行き過ぎた侍女らの聞き耳を牽制してのことかもしれない、か。
アイダは腑に落ちない相手の行動に、様々な可能性をあげていく。
――カトリーヌがそそのかした可能性も、ある、わね。
アイダは眉をひそめて、軽く下唇を噛む。
カトリーヌは、前々からアイダやエイラに対してよそよそしい態度をとっていた。まあ、義母や義姉とうまく関係を保てないというのは、貴族としては問題だがよくあることだ。しかし、アイダが気になったのは、エイラの鬱憤が爆発してクロードに詰め寄ったあとくらいから更にカトリーヌの態度が硬化したことだった。
同じ頃にクロードがカトリーヌと距離を置くようになったのでそのせいかとも思ったのだが、エイラの暴言を聞いていた可能性はあった。カトリーヌは普段からお転婆で、その日も侍女から逃げて屋敷の何処かで隠れていたらしいのだ。
アイダは彼女の性格からしてすぐに母親であるエレオノーラに告げ口するかと思ってヒヤヒヤしていたのだがそんなことはなく、カトリーヌはエイラの暴言を聞いていなかったのだとアイダは安心していた。
しかし、カトリーヌがもしアレを見ていて、あえて口を閉ざしていたとしたら?
もともとあまり好きではなかったアイダやエイラが、大好きな兄であるクロードに対してあんな態度をとっているところを見て、彼女はどう思うだろうか。
アイダはできるだけ最悪な状態を考えてみる。
エイラの暴言以降エイラは大人しくさせているし、エイラとクロードの関係は良好だ。
アイダもクロードのために魔術師やら医師やらを呼び寄せ、他国から体に良いと言われるハーブを取り寄せ、表向きは渾身的に尽くしている。クロードがアイダを疑う余地はない。
しかし、エイラの暴言を聞いていたかもしれないカトリーヌは、アイダとエイラを避け続けていた。カトリーヌをただのやんちゃな小娘と考えていたアイダは情報収集をあまり行っていなかったのだが、悪手だったのかもしれない。
カトリーヌが他国の叔父に会いに行くと聞いた時、ここで始末してしまえばあとが楽になると考えすぐに計画を立てた。しかし、計画は失敗してカトリーヌは生き残った。
あり得ないとは思うが、もし襲われたカトリーヌがあの事件をアイダの手引きだと考えていたとしたら……さすがに誰かに話すだろう、カトリーヌ1人では何もできないのだから。そして、話す相手としては、アイダを信じ切っている両親よりもエイラに罵倒されたクロードのほうが信じてくれる可能性が高い。
そしてクロードに話し、それをクロードが信じてハールトンに相談を持ちかけたのだとしたら。聞き耳を立てている侍女の後ろに、アイダがいると気づかれてしまったとしたら?
「……さすがに考えすぎね。」
アイダは細く長いため息を付いて、自分の考えを一笑に付した。
ハールトンは、アイダがどれだけクロードの体調を心配しているかや、辺境伯とカトリーヌとの関係が良好にいくようアイダがどれだけ常に気を使っているかなどをよく知っている。エイラの気性の激しさですら知らないハールトンが、アイダやエイラを疑うなどあり得ないだろう。
カトリーヌにそそのかされ、クロードの話を聞いたとして、アイダを多少疑ったとしても、ハールトンが行動に出るほどの理由にはならないはずだ。
ハールトンの他にも、アイダはできうる限り執事や侍女、庭師や料理人、御者とも交流を持つようにしていた。それは情報収集も兼ねてはいるものの、何より、この先なにかがあったときに疑われないことと、アーロンが家督を継いだときにスムーズに事を運べるようにするためだ。
本来、嫡男が家督を継げない・継がないというのは往々にして何かしらの問題をはらんでいることが多い。嫡男の性格に難があったり、病気や事故などで死んだりすることはもちろん、アイダのような簒奪も無くはない。
もちろんアイダがやろうとしていることは重罪であり、露見すればアイダやエイラ、幼いアーロン、そしてアイダの父母にも責任は及ぶ。しかし、できるだけ波風を立たせず周りから固めていき満を持して継げばいいのだ。煙さえ立たなければ、誰も薄い壁の向こうにある火には気づかないのだから。
ではなぜ、クロードの部屋に魔道具が設置されたのか。
そして、なぜクロードは食事の際、ひとりきりになることにしたのか。
疑問は尽きないが、ここで考えていても何もわからない。
アイダはちらりと、自らの宝石箱に視線を向けた。
あの箱の中には、聖王都の錬金術師から贈られた特別な薬が入っている。
透明でサラサラしたその水薬は匂いも味もなく、食器を変色させることもないクロード専用の毒であった。火を通すと効果が薄まるので焼き菓子などには使えないが、多少熱めの紅茶などには入れることができる。
その真価は、医者にも魔術師にもこれが毒ど気づかれることはない、という点であった。クロードのために調合された、何年もの間飲み続けなければ効果の出ない特別な毒なのである。
その水薬を5日程度に1回、ひとしずく。それを何年も続けることで、クロードの体はじわじわと弱っていき、このまま続ければ25才に届くかどうかで、死ぬ。
あと2、3年続ければクロードは今以上に体調を崩しやすくなり、辺境伯もクロードを跡継ぎにすることを諦めるだろう。跡継ぎにすることを諦めるのならばクロードを生かしてもいいかもしれないと、アイダは悩んでいた。
薬を止めればじわじわとクロードの体力も戻るが、時間はかかる。完全に戻られると困るので薬を完全にやめることはできないが、クロードは頭が良いので、アーロンの相談役には適任であった。
アイダは、けしてクロードを殺したいわけではなかった。問題は血統であり、純粋な聖王国の貴族であるアイダの息子のアーロンがこの領地を継げさえすればいいのだ。
しかし、もし簒奪に気づいたのだとしたら。
緩やかな死を早めなければならないかもしれない。
リネッタをどう計画に利用するかを考えていたのだがここにきて別の問題が起こり、アイダは静かに目を閉じて小さくため息を吐いた。




