クロード
「クロード様。」
クロードが自室に戻ってベッドで横になっていると、ハールトンが真っ白な小鳥を入れた鳥かごを持って部屋へとやってきた。
小鳥は落ち着いた様子で鳥かごの中の止まり木でじっとしているように見えるが、小鳥の周辺の――リネッタ曰く――魔素が揺らいでいるような感覚があった。何をしているのかはわからないが、とにかく普通の小鳥ではないことは確かなのだろう。
「何だ、そんなにあの獣人のリネッタを信用したことが不思議か?」
ハールトンが複雑そうな顔でいたのでクロードがからかうようにそう言うと、ハールトンは困惑気味に、しかししっかりと頷いた。
「確かに、リネッタの力は未だかつて見たことのないものです。しかし、この小鳥が精霊様だという証拠はどこにもありません。容易に信用すべきではありません。」
「そんなことはわかっているさ。」
クロードは一旦言葉を切って、白い小鳥に視線を向けた。
「僕にはもう後がないんだ。」
「……後、といいますと?」
「何人もの医者や魔術師が僕を見てきたが、誰もが口を揃えて“もともとお体が弱いのだと思います。”と言う。“力のつくものを食べ、運動すれば体力がついて病気に負けない体になるでしょう。”と。
しかし、どんなに養生しようと何を食べようと僕の体は弱いままだ。それどころか年々病気にかかる回数が増え、騎士見習いの子どもがやっているような訓練すらままならない。
僕はもう18だぞ!……政務“だけ”できても、領主は務まらない。書類だけを見てすべてを判断するのは愚か者のすることだ。
相手が獣人だろうが精霊様の偽物だろうが、今の僕から少しでも脱却できるというのなら、この際何でもいい。この忌々しい体質をどうにかしてくれるのならばな。」
「クロード様……。」
「それに、周りから見れば、僕が小鳥を飼い始めたというだけだろう。僕がこのまま回復すれば、小鳥は本当に精霊様なのかもしれないし――ただ僕の体が強くなっただけなのかもしれないが、まあ、リネッタの功績としてもいいだろう。
僕が回復しなければカティの目が覚めリネッタを屋敷から追い出せる。どっちにしろ僕に害はない。それとも何か?この小鳥を使ってリネッタが僕を監視しているとでも?」
「さすがにそれはないでしょうが……」
「だろう。それに、魔法陣を勉強している僕でも、あのリネッタの使った魔法陣は気になる。今まで彫るにしろ縫い付けるにしろ、魔道具師が魔法陣を直接その“道具”に描くことでしか作ることしか出来なかった魔法陣が、あのようになにもないところに光で描かれるというのは、どういった原理なのか……。」
そもそも、魔法陣は誰もが見える場所に溢れているが、それを読めるものは魔術師の中でも特に魔法陣を勉強しているものだけである。傭兵が使う招雷の魔法陣でさえ、地面以外に――例えば壁などに――彫る場合は、専門家がやらなければならないのである。
もし素人が壁に灯りの魔法陣を掘れば、またたくまとは言わないが、魔素の毒で壁自体が脆くなっていずれ壊れてしまう。さらにいえば、精密な魔法陣は精霊の加護を持った特別な魔道具師しか扱えない。
「で、ハールトン。毒の件はどう考える。」
「クロード様の食事は、料理長が消化の良いものや栄養価の高いものを使って特別に作っております。もちろん料理長のクロード様への忠誠は疑うべくもありませんので、そこで毒などが混入されることはまずありません。」
「知っている。」
料理長は、クロードが生まれる前からこの屋敷で働いているハールトンの幼馴染であった。
頭はかたいが誠実な男で、料理への愛の深さゆえに、毒など入れようものなら男だろうが女だろうが人だろうが獣人だろうが身分ですら関係なく怒り狂ってその場で叩きのめされるだろう。
「その後、その日の毒味の当番になっている侍女が大皿から少しずつ取り分けて食べ、同じ皿のものをクロード様にも取り分けてお出しします。」
「じゃあ怪しいのは、料理が運ばれている間か。」
「そうはなりますが、果たして本当に毒なのかどうかもわかりません。」
「僕だって完全には信じてない、全ては結果次第だ。なんでも、精霊様が食事を浄化してくださるそうじゃないか。つまり毒も犯人も探す必要はない。……犯人が気づいて行動にでるまでは、な。」
クロードは半信半疑であったが、犯人がいるとしたらそれはアイダだろうと予想はついていた。娘のエイラにはまだそういうことはできない、はずだ。
クロードは考える。
クロードの食事に毒が入っているとリネッタが言ったとき、カトリーヌはハッとした顔をしていた。最近は顔すら合わせていなかったので気づかなかったが、もしやカトリーヌはアイダの本当の顔を知っているのだろうか。
将来的には嫁に行かせるカトリーヌにアイダの魔の手が及ばないよう、クロードはあえてカトリーヌと距離をおいていた。クロードがカトリーヌと距離を置くようになってから、なぜかカトリーヌがエイラとの距離も置くようになったらしいが……
クロードはふと、恐ろしい考えが浮かんだ。
もし、カトリーヌがアイダの本性を知ってしまい、それをアイダ側も知ったとしたら――?
「……。」
いや、あの女が本性を表すとは思えない。
あるとしたら、娘のエイラが口を滑らせたかなにかだろう。
(エイラならあり得る。)
クロードは内心でそうつぶやいた。
クロードがアイダが優しい仮面を被っているだけだと気づいたのも、もとはといえば風邪を引いたクロードの部屋にエイラがいきなり入ってきてクロードの体の弱さを罵り始めたのがきっかけだった。
そのときアイダはエイラを止めようとしつつも、じっとクロードを観察していたのだ。そして、クロードはそこにアイダの本性を見た、気がした。
アイダはクロードに本性を表していない。あまり話す機会自体ないのもあるが、家族で食事を摂るときはもちろん、廊下ですれ違うときもアイダはクロードのために廊下の端に寄り会釈し、その日の体調を心配するよくできた第二夫人だった。
クロードのために遠方から体に良いとされるハーブを取り寄せてみたり、聖王都からわざわざ医者や魔術師を呼び寄せてみたりと、本当に疑う余地がないのだ。
エイラがクロードを罵ったときその場にいたのはアイダとエイラ、そして彼女らの侍女だけだった。ハールトンがそこにいれば少しは違ったのかもしれないがハールトンは屋敷におらず、結局その場でアイダが謝り、落ち着いたのかその日のうちにエイラも謝り、この件は有耶無耶になった。
考えてみれば、クロードの侍女がその場にいないのはおかしい話なのだが、クロードがそれに気づいたのは後日だった。
そんな用意周到なアイダに、カトリーヌがエイラを通してアイダの計画を知ってしまったことが露見すれば、アイダはどうするだろうか。
もし、本当にクロードに長期間毒を飲ませ続けて計画的に殺そうとしていたとして、そんなアイダがカトリーヌを邪魔だと考えるようになったら……?
他国で――それも聖王国とは仲が悪い連合王国アトラドフで――不自然に襲われた、貴族の馬車。
確かに連れている護衛の数は少なかったが、この彼らもこの領地を護る騎士だ。そこらへんの盗賊に簡単に負けるとは思えない。
――切り口だろう箇所には夥しい出血が見受けられました。
なぜあの状態でカトリーヌ様がご無事だったのか。
ハールトンの言葉が蘇る。
もしリネッタが現れなければ、カトリーヌは確実に死んでいただろう。
盗賊もリネッタもアイダの差し金という可能性も捨てきれないのだが、その線は薄いのではないかとクロードは考えていた。
どう対処すべきだろうか。
難しい問題だな……と、クロードは静かにため息を吐いた。
__________
突然考え込んでしまったクロードを、ハールトンは静かに見守っていた。
次期領主であるクロードは体は弱いが聡明である、とハールトンは考えている。
毒を混入した犯人のことを考えているのだろうか。それとも、精霊様だというこの白い小鳥をのことを考えているのだろうか。あるいは、リネッタの使っていた魔法陣のことだろうか。
――クロードが思いのほか自身の体を心配していることに、ハールトンは驚いていた。
子供の頃に体調を崩しやすいというのはよくあることだ。体の強さは生まれつきのものなので血族などは関係なく、普通は大人になるに連れて体が丈夫なり病気になりにくくなるものだからだ。
しかし考えてみればクロードは年々体調を崩しやすくなっていた。命の危険はないだろうと医者は言っていたが……毒によるものだったならばこの先どんどん体は弱くなり、領主を継ぐことすらままならなくなるかもしれない。最悪、死ぬ可能性も、ある。
カトリーヌの、“アイダは簒奪を計画している”という言葉が頭をよぎる。
クロードが倒れた場合、次に領主になるのはアイダの長男であるアーロンだ。アーロンはまだ10才だが、アイダの要望で将来クロードの補佐をするべくすでに英才教育を始めていた。
今、クロードを診ている医者も魔術師も、アイダが聖王都から呼び寄せた者だ。
ハールトンは今までカトリーヌの言葉をほぼ信じていなかった。
しかし、リネッタが毒だ何だと言い始めたときクロードはあまり驚いていなかった。それは、クロードが毒の存在を“あり得る”と思ったからかもしれない。
ハールトンは、ティリアトス辺境伯が幼少の頃からこの屋敷で執事として働いていた。
屋敷のことは誰よりも詳しいと自負していた、のだが。
――まさか、私が気づかぬ間に、本当にお家簒奪の計画が?
まさか、という考えと、あり得ない、という思いが渦巻く中、ハールトンはふとそろそろ夕食の時間だと気づきクロードに声をかける。
執事長として、やらなければならないことは多い。考え事はあとだ。
「そうか、今日も部屋で食べるから、そのようにしてくれ。」
「承知いたしました。」
「毒の混入などは特に気にしなくていい。もし本当に毒が仕込まれていたのだとしたら、変に見張って犯人に感づかれる方が困る。」
「……はい。」
ハールトンは一礼して、部屋から出ていった。
クロードは僅かな期待を瞳に滲ませながら、白い小鳥に視線を向ける。
小鳥からはすでに魔素の揺らぎは感じられなくなっていた。何をしていたのか聞きたいところではあったが、言葉が通じるとも思えないので言葉を飲み込む。
ふと、カトリーヌの部屋にいくまでは辛かった咳が出なくなっていることに今さら気づく。
熱っぽかった体も、そういえば少し軽い。
「流石に偶然か。」
クロードは苦笑気味にひとりごちて、食事を待つあいだ書類に目を通すために自室にしつらえてある執務机に向かった。




