癒やしの精霊(?)
「申し訳ございません、このことは誰にも言うなとおっしゃっていたのに……ですが、リネッタ様、わたくしは、どうしても……どうしても、兄を助けたいのです!」
「カトリーヌ、いい加減にしないか。お前が獣人差別を快く思っていないのは理解はできるが、さすがにそんな嘘を信じ込み、あまつさえ様付けで呼ぶなど……」
「嘘ではありません!お兄様はわたくしが凶刃に倒れたときのドレスを見ていないから、そんなことが言えるのです!」
カトリーヌの言葉に、クロードがぴくりと反応した。何かを思案するように右手を顎にやり、それから眉をひそめてハールトンに視線を向ける。
「……ハールトン。」
「はい。私はそのドレスを旦那様とともに確認いたしましたが、切り口だろう箇所には夥しい出血が見受けられました。カトリーヌ様のお付きの侍女2人の服も同じような有様でした。なぜあの状態でカトリーヌ様がご無事だったのか……精霊様の起こした奇跡としか言いようがありません。」
「なぜすぐに僕に報告しなかった……っ!」
「旦那様がそうお決めになられましたので。」
憤るクロードに、しかしハールトンは冷静に応える。
「……わたくしは斬られる直前に精霊様に助けていただいた。そういうことになったのです。しかし実際は、わたくしと侍女らは死のふちにおりました。」
「それでも、そこの獣人が精霊様に願ってカティを助けたという証拠にはならないだろう?精霊様が獣人を嫌うのはカティでも知っているはずだ。獣人が精霊様から精霊の祝福を賜ることはなく、魔法陣も使えないのだから。」
「では、さきほどお兄様が感じた“魔素の動き”は、誰が起こしたのですか?」
「それは――」
クロードが言葉に詰まり、視線を私に戻す。
「そういえば、そうだな。なぜ、お前が魔素を動かせるんだ?僕が感じたのは魔素ではなかったのか?」
「いえ、間違いなく魔素です。私は獣人で霊獣化が使えますが、魔法陣も使えます。精霊も見えますし、精霊にお願い……“精霊魔法”も使えるのです。」
「はっ、そんな世迷言を信じるのはカティくらいだ。もっと真実味のあることを言え。」
「……見ていただくのが一番早いですね。」
私は右手を目の前にかざし、僅かな魔素を消費して魔法を発動する。
ぽわ、と私のかざした手の先に淡い光が灯った。
それは空中を滑るように小さな光の円を描き、それから中央に小月を表す小さな丸が重ねられ、最後に古代語が入った。
空中に浮かぶ淡い温かみのある独特な光で満たされた魔法陣は完成するとゆっくりと回転し始め、光を溢れさせていく。
――ピピ……チチチ。
光の中からそんな囀りがしたかと思うと一瞬にして光の魔法陣は消え失せ、ただそこに、雪のように白い小鳥が生まれていた。よく見ればその瞳は、青空のような済んだ色をしている。
生まれた小鳥は羽ばたき、窓辺にあった木の椅子の背もたれ部分にとまった。
「今、何をした?」
「“精霊魔法”を使いました。」
「その鳥は何だ。」
「小月の眷属、“癒やしの精霊”です。」
「精霊様っ!?」
「はい。」
嘘だけど。
これは影妖精と対を成しているような感じの浄化妖精の召喚獣だ。だいぶいい加減な説明だが、浄化妖精がいるところに影妖精は生まれず、相対すると戦うこともなくなぜか双方が消滅するらしいのでそうなんじゃないかなーということにされている。
影妖精が暗く湿った場所を好むのに対し、浄化妖精は明るく乾いた場所を好む。出現率は影妖精に比べてひどく低く、美しく管理された庭園の日当たりのいい場所や神殿などにごく稀に湧くだけだ。そして無差別に癒やしを振りまいては、いつの間にかどこかへ消えていく。
その癒やしの力は絶大で、浄化妖精によって死人が生き返ったという話もあるほどだ。見た目の可愛さも相まって“幸運の白”と愛称がつくほど幸運の象徴として愛されている。
しかし、その絶大な癒やしの力も召喚獣にするとあまり役に立たない。回復量が召喚者の力量に左右されるためだ。そもそも魔法使いは回復魔法を覚えているのが当たり前であり、わざわざ召喚獣を介して回復魔法を使うのはただの手間なので戦場で使われることはまずない。
たまに召喚されることがあっても、大抵は結婚式などの慶事のときばかりである。
「……この小鳥さんが……わたくしを癒やしてくださった精霊様……?」
ぽつりとカトリーヌがつぶやく。
「はい。」
できるだけ真面目な顔で頷く。
賽を投げてしまったからには最後までやり遂げなければならない。ここで下手に疑われないよう、きっちり信じ込ませなければならない。
レフタルでは縁起物としてしか使われることのない召喚獣・浄化妖精だが、“精霊”を信仰しているもののその実物は見たことがない(はず)のラフアルドの人々ならば、どうか。
魔法陣もなしに浄化や回復の力を使う、愛らしい白い小鳥。
精霊の眷属は小動物の姿をしている、というのは、精霊を信仰している人なら誰でも知っている。言ってしまえば、そのほうが“あれは精霊の眷属だったに違いない”と思い込みやすいからだ。
しかし、本当に精霊を見た人はいない(だろう)から、私が召喚した“癒やしの精霊”こそ、この世界でおそらく初めて目に見える精霊ということになるのだろう。まあ、精霊じゃないけど。
ちなみにこの世界にも使い魔召喚の魔法陣はある。いや、なくはない、といったほうが正しいかもしれない。
こちらの世界での使い魔召喚は、魔法陣がかなり大規模だ。これは私がレフタルの遺跡に籠もっていた頃にそこにあった本に載っていたので知っていた。当然魔素クリスタルも相当数必要になるわけで、今しがた私がやったようなお手軽な感じではない。
「まさか、そんな。なぜ精霊様が……魔法陣から出てくるんだ?」
「精霊を召喚するのが“精霊魔法”です。これにはいろいろと制約があり、誰もが使えるわけではありません。精霊の祝福が必要なのはもちろん、この魔法を覚えるにあたっては精霊に精通している魔術師様の協力が不可欠です。」
「精霊魔法……精霊術とは違うのか?」
「精霊魔法は、精霊を召喚し、願いを聞き届けてもらうための魔法です。こちらの願いに対し、精霊が力を使う場合、精霊術が使われるのではないかと――」
――いうような説明だと、それっぽいかなと思います。とはもちろん口に出さない。
ふとティガロのことを思い出した。私に精霊や精霊の祝福について教えてくれた彼は今、何をしているのだろうか。いや、今はそんなことを考えている場合ではないか。
「私は幼いころ、とある獣人の村に捨てられました。そのとき私はすでに精霊を見るという精霊の祝福を授かっていたそうです。
獣人と人の力を持ち合わせているから精霊魔法が使えるのだと、私に精霊魔法を教えてくださった魔術師様が言っておられました。」
唐突に過去語りをして、“誰にでも使える力ではない”と暗に釘を刺しておく。
実際は、さっき私が空中に描いた魔法陣さえ覚えれば、魔法陣が扱える人なら誰でも浄化妖精を召喚することができる。魔法陣は自分で魔素を構成する必要がないのだから当然だ。まあ、召喚したあとに使役できるかは不明だが。
何にせよ、誰にでも召喚できることがバレるとまずいので、特別感を全面に押し出していく。
「……。」
私が話しているあいだ、クロードも、カトリーヌも、ハールトンも、背もたれにとまってじっと動かない“癒やしの精霊”を凝視していた。なかなかいい反応である。
うんうん、目の前に信仰の対象である精霊がいるだけでだいぶ説得力は増すね。
「こ、この精霊様が、お兄様を救ってくださるのですね……!」
感極まったようにカトリーヌが言葉を漏らすが、残念ながらそう簡単にはいかない。
「カトリーヌ様、残念ながら、今すぐに良くなるわけではありません。」
「えっ?」
「クロード様は、毒により長い期間をかけて体質を変えられてしまっています。癒やしの精霊には、体質の改善は出来ません。」
「そんな……ではどうすればお兄様を救えるのです!?」
「癒やしの精霊をそばに置き続ければ、毒の入った食事が出されてもすぐに浄化され、夜はぐっすり眠ることができ、病気にかかりやすくても治りは早くなるでしょう。時間はかかりますが、そうした生活を続けていれば体質も元通りになるかと。」
「そんなことが可能なの?そんな、ずっと精霊様とともに過ごすなんで……」
「私と精霊が長期間離れなければ問題はありません。お屋敷の敷地内であれば私がそばにいなくとも大丈夫ですし、どこか視察に行く場合でも10日ほどなら、よっぽど精霊が力を使うような――カトリーヌ様を癒やしたときのような大規模な精霊術を使わない限り――大丈夫です。ただし、」
「ただし?」
「精霊は、自らが“精霊”だと知られることを嫌います。だからこそ、小動物の姿をしていることが多いのです。ですから、同行するのはいいのですが、他言はしてはいけません。もちろん、領主様にもです。」
バレたら絶対面倒くさいしね。
「なので、白い小鳥を飼いはじめたことにして、鳥かごの中に入れておいてください。」
「少し待て。」
私とカトリーヌの会話に、クロードの言葉が挟まれた。
「もろもろの疑問は、いや、疑問しかないが……リネッタ、まず、お前に聞きたいことがある。お前は精霊魔法を使い、精霊様を召喚し、精霊様に助けていただくのだろう?」
「はい。」
「ならばなぜ、精霊を敬わない。」
は?
「精霊を精霊様と呼ぶのはこの聖王国独特だから仕方のないことだとしても、お前は精霊様を軽視しすぎている。もっと敬意を払い、“精霊が力を使う”ではなく、“精霊に力を使っていただく”だろう。」
あー……ああね。なるほど。
「私の師事していた魔術師様がそうだったのでうつってしまったのだと思います。」
先生のせいにしておいた。
クロードは納得したらしく、「そうか。以後、気をつけるように。」と続けた。気をつけないといけないのか、そうか。まあ、そっちのほうがそれっぽいか。
「あとは、そうだな。精霊様を鳥かごに入れるというのはあまりにも扱いが悪いのではないか?」
「精霊は精霊だと知られることを嫌いますし、鳥かごに入れたからといってそこから出られないわけではありません。小鳥の姿はあくまでも世を忍ぶ仮の姿なので、そのあたりは気にしなくても大丈夫です。小鳥を飼うように接してください。」
「そうなのか……精霊魔法とやらを使うお前が言うのなら、そうなのだろう。」
信じてもらうためにもっといろいろしないといけないと思っていたのだが、意外に好感触である。
貴族は獣人は害悪と思い込んでいるようなイメージだったのだが、考えてみれば、侍女などの家令は当然のごとくそうなのだが、カトリーヌやクロード、そしてその父母であるティなんとか辺境伯夫妻などは、私に対して困惑は見せたものの、そんな毛嫌いするようなふうは見られなかった。
嫌な顔を表に出していないだけなのかもしれないが。
「他にも疑問は絶えないが――すべて答えるというわけではないのだろう?」
「本当は、精霊魔法のことも口外してはならないのですが……カトリーヌ様に見られてしまったのは私の責任ですので。」
「ごめんなさい、リネッタ様。でも、本当のことを言ってくれて嬉しいわ。」
「様はやめてください。」
一切本当のことを言っていないので、なんとなく後ろめたい。
「そうかしら……いえ、そうね、人前で言ってしまうのは問題ね。擁護派に傾いたと思われてしまっては大変だもの。」
「そう、いつもどおりでお願いします。」
私がペコリと頭を下げると、ハールトンが「クロード様、そろそろ。」と声をかけた。
「ああ、そうだな。リネッタ、追っていろいろと説明はさせるぞ。」
「はい。」
「鳥かごが用意できるまで、癒やしの精霊様はカティの部屋に。」
「呼び名は精霊ではなく、小鳥とお呼びください。今は精霊魔法で部屋の外に声が漏れないようにしていますが、外では誰が聞いているかわかりませんので。」
「……そうか。気をつけよう。ハールトン、すぐに鳥かごを用意してくれ。」
クロードがそう呼びかけると、ハールトンはしぶしぶといった顔で、静かにうなずいた。
「承知いたしました。」




