クロードとリネッタとカトリーヌと
お母様とのお茶の時間は、遠まわしにリネッタとばかり一緒にいることをチクチクと言われたものの始終和やかなまま終りを迎えた。
ひとつ問題があるといえば、聖王都へと遊びに行っていたという隣領のお友達が2人、お土産を持ってこの屋敷に遊びに来るということだろうか。
私が主催するごく個人的なお茶会になるのだが……2人の家はそれぞれ獣人中立派だが、最近排除派に傾いているとも聞く。お茶会にリネッタを連れていくと、それが変なふうに親元に伝わって、お父様が擁護派になったのでは?と噂をされるとお父様に迷惑がかかってしまうかもしれない。
本当はお母様とのお茶にはリネッタも連れてきて、一緒にお茶は無理でも部屋のすみにでもいてほしかったのだが、それはお母様が許可をくださらなかった。お茶の相手がおばさんやエイラではなかったので私はリネッタを連れてくることを諦めたが、お友達とのお茶会でもそうせざるを得ないだろう。さすがのオバサンでも、他家の子どもを使って私を殺そうとは考えていないだろうし。
お母様はどちらかといえば獣人擁護派だと私は思っていた。生まれが獣人に寛容な国だったからだ。お母様の実家や私の大好きな叔父様の領地では獣人を雇用している。差別はあるだろうが、この聖王国ではときどき起こる獣人の排除運動などはまず起こらないだろう。
私はまず、お母様から取り込もうと考えていたのだが……だいぶ難航している。
お母様は、獣人に寛容だ。たぶん、屋敷で働く家令たちのほうが獣人に対して厳しいだろう。
しかし寛容だからといって、獣人を受け入れているわけではなかった。お母様はただ単に獣人に興味がなく、獣人が居ることは知っているし領地にも必要な存在だと知ってはいるが、関わりが一切ないどうでもいい存在だったのだ。
そして、聖王国の貴族であるお父様に嫁いで来てさらに獣人と関わらなくなり、それに拍車がかかる。
私はこれからどうすべきか頭を悩ませながら、リネッタの待つ自室へと帰ろうとしたのだが……
なぜか私は廊下で侍女に止められた。なんでも、廊下にねずみが出て私の部屋の前におり、侍女らが大捕物をしているという。
そんな嘘が私に通ると思っているのだろうか。侍女を問い詰めると、お兄様が人払いをして、ハールトンを伴って私の部屋へと入ったとすぐに吐いた。
侍女が言うに、お兄様は帯剣していたらしいという。
「な、なんですって!?」
――精霊様に愛されるリネッタに剣を向けるなんて!
私は問答無用で侍女を押しのけ、自室へと走った。
お兄様は、相手が獣人だというわけで殺したりはしないはずだ。なぜ剣なんて持ち出したのか……
そして部屋の扉を開け放ち見たのは……
「カティ!あなたのお兄様は素晴らしい方ね!!!」
と、なぜか興奮気味のリネッタと、困惑した顔のお兄様、そして同じく困惑した顔でこちらに視線を向けるハールトンであった。
「リネッタ?一体……お、お兄様!?」
見れば、お兄様の手には抜き身の剣が握られていた。
しかし、振るう気もないのかその腕はだらりと下がったままである。
「カティ、あなたのお兄様は素晴らしいわ!」
「それはわかったわ、リネッタ。何をそんなに興奮しているの?」
「あなたのお兄様は、魔素を感じることができるの!!」
「……魔素?」
ああ、どこかで見た顔かと思ったら、リネッタに魔道具を見せたときの反応と似ているのね。
私は少しずれたところで変に納得したものの、リネッタの言葉はさっぱりわからなかった。
私には魔術師の才能がなく、魔素が毒ということを少しだけお兄様に聞いたことがあったが、それ以外は全く勉強していなかったのだ。
「ええ、そうよ。まさかこの世界に魔素を感じることのできる人がいるだなんて……ねえカティ、あなたのご家族に魔術師は多いの?」
「……気にしたことはなかったけれど、いま、この屋敷で魔術師の才があると分かっているのはお兄様だけね。」
「じゃあ突然変異か何かかしら……理由があれば……」
「おい。」
ぶつぶつ言い始めたリネッタに、お兄様が声をかけた。
「妹を愛称で呼ぶな。お前は雇われたただの護衛で、そこらへんのごろつきと変わらない傭兵で、獣人だろう。」
「お、お兄様……それは……」
「カティは黙っていろ。」
「……はい。」
「リネッタとかいったな。お前は貴族どころか領民でもない汚らしい孤児だ。どんなに妹が親しくしようと、身の程をわきまえろ。10才でも、お前を雇っている妹は貴族だが、貴族に雇われたからといって身分が高くなるわけではないことくらいは分かるだろう。
あと、僕の名前はクロードだ。雇われた家の嫡男の名前くらいは覚えろ。」
お兄様が厳しくそう言うと、リネッタは目をぱちぱちしてから……首を傾げた。
「何だ。」
不機嫌を隠そうともせずお兄様がため息混じりに口を開く。
その手には、未だ抜き身の剣が握られていて、お兄様はいきなり人に切りかかったりはしないと信じてはいるが、若干不安がよぎる。
――その時、お兄様がおもむろに剣を構えた。
「クロード様!?」「お兄様!?」
ハールトンと私の声が被る。
確かに貴族を凝視することは失礼なことではあるが、それでも問答無用で斬り伏せるのは野蛮人のすることだ。そもそもお兄様はどちらかといえば優しく、剣で人を傷つけるような人ではない、はずだ。
しかしお兄様はリネッタに剣を構えたまま動かない。
「カトリーヌ様、扉を閉めてください。」
剣を向けられているにもかかわらず、リネッタがこちらへ向いてそう言った。
「え、ええ、わかったわ。」
私は少し圧のあるリネッタの声に、慌ててすぐ背にしていた扉を閉める。
「……妹を雑用に使うとは……いや、その前に。……お前、今、何をした。」
低い、聞いたこともないようなお兄様の声音に、自分に向けられているわけではないが、思わず身がすくむ。
「聞き耳を立てている者がいると困るので。」
ちらりと剣を向けたままのお兄様に視線を向けたリネッタはそう言うと、私に視線を戻した。
「カトリーヌ様、今から大事なことを言います。」
「え、ええ、わかったわ。」
「僕を無視するんじゃない。」
「……。」
リネッタは困ったような顔でお兄様を見た。
「ちょっと気になることがあります。でも、たぶん、私がお話するよりも、カトリーヌ様と、あと、えと、……。」
「ハールトンです。」
「ハールトンさん。そう、カトリーヌ様とハールトンさんのお二人から聞いたほうがいいと思います。」
「何のことだ。」
こくりと頷き、リネッタはハールトンの方を向いて口を開く。
「ハールトンさんは、私が今、何かしたように感じましたか?」
「……といいますと?」
「私は今、剣を向けられるような事をしたでしょうか。」
「目上の方を凝視するのは失礼なことではありますが、剣を向けるのはやりすぎではありますね。」
「申し訳ありません。」
お兄様に向かってぺこりと頭を下げるリネッタ。
しかしお兄様はリネッタではなく、ハールトンを怪訝そうに見やる。
「……ハールトン?お前は何も感じなかったのか?」
「何がでしょうか。」
「今、このリネッタが、何かしただろう?」
「……何か、といいますと……」
「僕にもわからないが、何かした、はずだ。目には見えない何かを。……したのだろう?」
「はい。普通なら誰にもわからないようなことをしました。」
「……は?」
「普段なら、絶対に誰にも悟られないようなことをしました。クロード様は、それに気づかれた。これは魔術師なら誰もが羨む、稀有な力です。ですが……」
リネッタが目を伏せる。
「その力は、たぶん、後天的なものです。カトリーヌ様からお聞きしたのですが、クロード様のお体が弱いのは産まれたときからではないそうですね?」
「カティはそんな話までしていたのか。」
「……申し訳ありません。」
お兄様の冷めた視線に、思わずうつむく。
数年前、お兄様に“兄妹でも馴れ合う必要はないだろう”と一方的に避けられるようになってから、私に向けられるのはいつもこの冷たい目だけだった。
私とお兄様は、以前はとても仲が良かった。いきなり関係が悪化したのは、きっとお兄様はオバサンやエイラに何か吹き込まれたに違いないと、私は確信していた。
今はこうでも、きっと関係を修復してみせる。
私がそんなふうに考えているさなかにも、リネッタの言葉は続く。
「たぶん、体が弱くなったのは毒か何かの影響です。その副産物として、魔素の動きを感じることができるようになったのだと思います。」
いきなりリネッタがとんでもないことを言い出した。
「リネッタ、何を言っているの。毒なんて……」
と、そこで私は言葉を止めた。
オバサンならやりかねない、と思ったのだ。
「そのようなことは絶対にありません。」
リネッタの言葉には、ハールトンが答えた。
「厨房の者がクロード様に毒を盛るなどまずありえません。そもそも、クロード様が食べる前に必ず誰かが毒味をいたしますが、それで体調を崩した者などおりません。」
「毒味は三食、同じ人が、何日も続けてするのですか?」
「……それは、毎日、少しずつ毒を盛り続けていると?」
ハールトンの視線が厳しくなった。
「私もそんな毒は聞いたことがありません、でも……」
つい、とリネッタの視線がクロードに流れた。
顔を見、体を見て、リネッタはすんすんと何かを嗅ぐ。
「するんですよ、毒の、匂い。」




