カトリーヌの兄
「こほっ、こほっ……。」
僕はベッドの上で上体を起こし、いつものように咳をしながら騎士団長から上がってきたという報告書を読んでいた。
これは父であるティリアトス辺境伯が膨大な報告書に目を通したあと、その中でも僕に読ませなければならないと判断した重要な報告書の一部である。あまり外出できず知識のない僕一人ではわからないこともあるため、執事のハールトンが先に目を通し、気になることがあればそのつど聞くようにしていた。
「クロード様、もう休まれては?」
「いい。それより、この獣使いというのは何だ?」
「聖王国お抱えの錬金術師なるものが作り上げたという特殊な薬を使って、獣や、ときには魔獣を操る者たちのことです。」
「錬金、術師?」
聞き慣れない言葉に、書類から顔を上げてハールトンに視線を向ける。
「はい。なんでも土塊を金に変える薬を作ることができるとか。それで、金を錬成するという意味合いで“錬金術”という名前になったとか。」
「胡散臭いな。」
「本当に土塊を金にできるかどうかはわかりませんが、獣使いの使っている薬の性能は相当高いようですね。」
「狼が30頭、か。本当にそんなに集まっていたのか?」
「全て傭兵ギルドに持ち帰り解体したという記録が上がってきていますので、数頭の差はあるやもしれませんが、概ね正しいでしょう。」
「もしその数の狼が街に侵入していたら……」
「大きな被害が出ていたでしょうな。」
「……仲間割れの原因は、何だと思う?」
「さあ……狼は無差別に住民を襲うでしょうから、街に住んでいる獣人にも被害が及ぶことを恐れたのではないかと。」
「ああ、なるほどな。」
小さく舌打ちし、僕は書類をばさ、と手近なテーブルに投げ置いた。
「忌々しい。そんなにこの土地が気に入らないのなら他国で生きればいいだけだ。それこそマウンズにでも行けばいいじゃないか。それか、魔獣の巣のあるヒュランドルの街に行けばいい。あそこは仕事もあるし、ここよりもだいぶ獣人の扱いがまともなんだろう?」
「はい。他国から流れてきて居着いた人も多く、傭兵ギルドも獣人に寛容ですね。」
「事を起こそうとしたのが街の獣人ではなく流れの傭兵、というならば、この領地を狙った他国の差し金の可能性もあるのか?」
「……。」
ハールトンが難しい顔をする。
「たしかに、その可能性もなくはないでしょう。しかし、国境から離れたこの街を襲う必要はないでしょう。国境に一番近いのは傭兵の集うヒュランドルの街ですが、他に手薄な街はいくつかあります。わざわざ領主と騎士団のいる街を狙ったのですから、他に理由があると考えた方がよろしいかと。」
「……他の理由、か。領主の屋敷のすぐそばにある街が獣人に襲われ大きな被害を出せば、父上の立場が揺らぐと思うか?」
「立場は揺らがないかもしれませんが、獣人の扱いは変わるかもしれませんな。しかしこの地は――」
「獣人がいなければ回らない。しかし、排除するわけにもいかない……そうか、排除派の連中が獣人を上手く騙して誘導した、と。父上の、そしてこの領地の力を削ごうと。」
ただの暴動ならば考えすぎだと一笑されるような話だが、今回は、聖王都でしか手に入らない薬が使われたのだ。しかもそれは、人しか手に入れることのできない厳密に管理されたものだという。
「くだらないな。どんなに気に入らなくとも、獣人を雇わなければ他国に魔獣の巣の恩恵を奪われるだけだというのに。」
敵は血縁以外にもいるのか、という言葉を、クロードは盛大なため息をはいて言葉にはしなかった。
執事長ハールトンは、信用のできる男だ。しかし、アイダやエイラに完璧に騙されている父や母を見ると、どうしても信用する気にはなれなかった。
侍女ひとりとっても、アイダの息がかかっているかもしれないのだ。うかつなことは言えない。
「獣人か……カティの連れてきた獣人は、どうしている?」
僕は、一月ほど前に実の妹であるカトリーヌが連れて帰ってきたという獣人の少女をまだ見たことがなかった。ただ、獣毛と髪の色が違うとだけ、聞いている。
「はい。今もカトリーヌお嬢様の護衛として一緒に過ごしているようです。護衛以外にやることはありませんので、お嬢様がお勉強をなさっているときやエレオノール様とお茶をされているときなどは、お嬢様のお部屋で待機しています。」
「そうか。」
まあ、下手に獣人に屋敷内をうろつかれるわけにもいかないからな。
「……どう思う?」
「どう、とは?」
「いや……カティがいない間、部屋で何をしているか知っているか?」
「聞いてみたのですが、魔法陣のことをずっと考えているそうです。」
「は?」
「曰く、彼女は“魔法陣研究者”だそうで。」
「獣人だろう?」
「ええ。ですが、魔道具を見せたときの知識は確かに魔法陣研究者のそれでした。」
「知識だけあってもどうしようもないだろう。」
「使い方次第でしょうが……この地で活かすことはできないでしょう。」
どうやってカティに取り入ったのかはわからないが、僕は、その獣人の少女はアイダの差し金だろうと考えていた。
アイダは――獣人に容赦がない。獣人排除派の貴族生まれである彼女は、獣人は害虫か何かだと思っている。そして彼女は獣人を養護する人にも容赦がない。
しかし、嫌いなものでも使えるものは使うのだ。あの演技力で害虫が相手だろうが優しげな笑みを湛えて言いくるめ、協力者に仕立て上げ、使い倒した後にまるで何事もなかったかのように叩き潰す。そういう女なのだ。
だから、カティの護衛としてこの屋敷に入り込んだ獣人の少女も、どうせアイダに上手く騙され、何かしらの役目を追っているのだろう。僕はそう確信していた。
「一度、話をしてみるか。」
「それは……獣人とでしょうか。」
「ああ。父上や母上には挨拶したのだろう?屋敷に来たのはちょうど僕が伏せっているときだったからな。本来ならば僕が回復してすぐに、あちらから挨拶しに来なければならない立場のはずなんだが。」
「……それは、“獣人の毛がクロード様のお体に障るかもしれないので、クロード様と獣人が接触しないように”と、アイダ様から家令全員にお達しがありましたので、カトリーヌお嬢様にもそうお伝えして挨拶はやめていただいたのです。」
「アイダ様が?」
「はい。髪の毛などと違い獣人の耳や尾の毛は動物の毛ですので、稀にそれで肺を病むものがいるとのことで。クロード様はよく咳き込んでおられますので、心配されているのですよ。」
「そうか……。」
接触させないように、か。ますます怪しいな。
「もし僕が獣人の毛に対してそうなるのであれば、とうの昔に悪くしているだろう。小さかった頃は街にもよく出向いていたのだからな。だが、アイダ様がそうおっしゃっているのならば僕のところに呼びつけるわけにもいかないか。ハールトン、誰も罰せられないよう人払いしろ。僕が直接会いに行く。」
「そ、それは……」
「カティが母上とお茶をしていることは知っている。母上の話は長いからな、しばらくは戻らないのだろう?」
何、少し話をするだけだ。
僕はそのとき、カマでもかけたらすぐに口を割るだろうなどと考えていた。




