夜遊びのその後の話
シルビアが狼と戯れた(?)、その日。夜明けとともに起き出してきたフィーダムの街の住人が見たのは、いつもならこの時間はまだ閉められているはずの大門がわずかにずらされ、人が2ほど並んで出入りができる程度の隙間が空いているところだった。門番は詰め所にいるのか、見当たらない。
しかし、お偉いさんでもこっそり通ったのかな等と首を傾げながらも、住人らはそこまで深く考えることもなくいつもの仕事へと向かっていく。
しかしそのとき、大門の上にある門番の外の見張りも兼ねて作られている夜間の詰め所では大問題が起こっていた。
夜通し詰めるはずの門番の2人が何者かに殺され、いつ頃からかはわからないが、街を護るはずの大門が開けっ放しになっていたのである。
この街に出入りするのには確かに手続きは必要ではあるが、たとえ獣人であっても通行料さえ払えるのならよっぽどのことがない限りは門をくぐることが許される。つまり、その“よっぽどのこと”で通れないような何か――例えば賊のような輩――が、この街に入ったかもしれないということだ。
寝ぼけ眼をこすりつつ見張りの交代として来た門番二人のうち一人はすぐさま騎士団の詰め所に走り、もう一人はギシギシと音をさせながら門を閉めた。本来の開門まではあと数時間はあるし、もし街に賊が入り込んでいるとしたらこの門を閉めることで街に閉じ込めることができるだろう。……もう事を済ませて逃げてしまっている可能性のほうが高くはあるのだが。
そうこうして街を守る騎士団に情報が回ると、騎士団は休日の団員も叩き起こして全員で街の見回りを開始した。そこで街の住人から上がってきたのが、“街のいたるところに臭い袋が置いてある”という苦情であった。
騎士団が確認すると、それは強い異臭を発生させているボロボロの麻袋であった。それ以外は窃盗や殺人など表向きには特に何も起こっていないように見える街に騎士団員は警戒を強める。しかし、いくら探しても街に異常は見当たらなかった。
そうすると気になるのは、街中に散らばるただ臭いだけの“何か”だ。開けてみればそれは、何かの肉のようであった。
しかし、それを見たある団員が、「これは獣寄せの腐肉ではないか?」と言い出した。
“獣寄せの腐肉”とは、肉食の獣や魔獣をおびき寄せるときに使われる専用の餌のことである。獣の肉と内臓を特殊な液体に漬け込むことで作られるそれは、魔獣を専門に討伐する傭兵らが使うこともあるが、使い所を誤ると意図せず大量の獣を集めてしまうこともあるためかなり使い勝手の悪い部類のものであった。
そんなものが街中に置いてある。そして、門が開かれていた、ということは。
「すでに門は閉まっている。街に獣が入ることはないだろうが、開門は街の安全が確保されてからだな。」
騎士団長はそう言い、傭兵ギルドへ使いを出した。街の周辺をくまなく探し、街の周囲を警らする傭兵を雇うために。
――そうして昼前には、街にほど近い丘の裏にそのままにしてあった狼の群れが発見されたのだった。
「仲間割れでしょうかねー。」
フィーダムの街の傭兵ギルドの職員の一人が誰にともなくつぶやいた。
今、この場には、フィーダムの街の騎士団の団長と団員が数名、そして傭兵ギルドから確認のために派遣されたギルド職員が二人いた。
「その可能性は大いにあるな。刃物の傷がひとつもないことからしても、狼を殺ったのは畜生どもだろう。」
そばにいたフィーダムの騎士団長が答える。
もうひとりのギルド職員と騎士たちは少し離れた場所で周囲を捜索していた。
ギルド職員は、あたりをぐるりと見渡す。
あたりには、血牙狼が30頭ほど転がっている。殆どの狼に息があるものの動くほどの力は残っていないようで、近寄っても弱々しく唸るだけであった。その狼の群れの中央付近で、狼に押しつぶされたらしい獣人が一人死んでいた。
「いろいろと疑問はありますけど、血牙狼が群れてるって、問題、ですよね。」
「自然に群れになったわけではないだろう。聖都のほうには、特殊な薬を使って獣を使役する“獣使い”がいると聞く。」
「あー、噂では聞いたことはありますが、もしそれがこれに使われていたとしたら、その薬ってのはすごい威力なんですね。」
「……そうだな。」
感心したような顔の職員に対して、騎士団長は苦々しい表情で頷く。
獣使いは、この聖王国で人のみが就くことを許されている職である。獣使いが使う薬は国が管理しており、製法は門外不出だ。それと同じ薬をもし畜生が使っていたのだとしたら、人の協力者がいるということである。
騙されたのか絆されたのか、何にせよ人の獣使い以外に売ることを禁じられている劇薬が畜生に渡ればどうなるか、渡した人は考えなかったのだろうか。
その人がもし他国の出ならば、この獣人が人の街を襲おうとしていることを知った上で薬を渡したという可能性もあるだろうが。
と、傭兵ギルドの職員が狼の群れの中央で死んでいる獣人の顔をまじまじと見て、「あ。」と声を上げた。
「この獣人、ひと月くらい前にこの街に来た傭兵ですよ。ランクはたしかCで……獣人ばかり5人でパーティー組んでましたね。てことは、ここの狼は他のメンバーがやったのかな。Cランクでもこの数となると厳しいと思うんですけど。」
「……街で、門番が2人殺られている。そこのを除いて、門番を殺った奴が1人だと仮定してそいつも除くとなると残りは3人だ。3人で血牙狼30頭は不可能だ。」
「じゃあ協力者がいた、と。」
「そうだな。だがここは国境が近い。何人だろうが計画が失敗した時点で全力で逃げた可能性が高い。ここがどういった国か理解しているのなら、潜伏することが難しいことくらいわかっているだろうしな。
門番は殺されたが、大々的な襲撃は未遂か……パーティーメンバーと突然いなくなった傭兵がいればそいつも併せて傭兵ギルドで指名手配するくらいしか手はないだろう。
あとは領主様への報告書をどうするか、だな。まさかこんな形で畜生が街を襲おうとするとは。」
「まあ……そうですね。」
傭兵ギルドの職員は、ぶるりと身震いしてみせる。
「僕、傭兵ギルドの職員なんであんまり大きい声では言えませんけど、正直、街に獣人がいるってだけでなんか問題が起こりそうで怖いんですよ。」
「他の亜人より多少知恵があって2本足で歩くというだけで、あいつらは亜人だ。本来は人と肩を並べさせることが間違いなんだ。魔核がないだけで“亜人ではなく人の仲間”だなどという輩もいるようだがな。
私も立場上あまりこういうことは言わないほうがいいんだろうが――最近カトリーヌ様が畜生にご執心らしくてな。あの方もこの聖王国の貴族のお一人なら、もう少し考えていただきたいものだ。最近では、高貴な馬車に着飾った畜生を乗せて、何を考えていらっしゃるのか。」
「えっ、カトリーヌ様が獣人を飼ってるって噂、本当だったんですか!?」
ギルド職員は目をまんまるにして驚いた。
獣人を屋敷の敷地内に入れるだけでも聖王国の貴族としてはかなり異端である。にも関わらず、獣人を着飾って同じ馬車に乗るなど、たとえそれが愛玩動物扱いだったとしても聖王国では考えられないことであった。もし獣人と外出をするのならば、獣人は歩きか馬に乗せるのが常である。
「まさか、お屋敷にも?」
「ああ。メイドの話では、風呂にも入れているそうだ。」
「うわっ。……辺境伯様、お可哀そうに。」
アリダイル聖王国での獣人の人権など、無いに等しい。それはもともと存在した獣人の王国跡を完膚なきまでに破壊し尽くして更地にしてから新たに作られたこのアリダイル聖王国の成り立ちから見てもそうだろう。
そこに住まう人々は根っからの人至上主義であり、獣人はコボルトなどと同じ亜人のひとつと信じられ、教育にも当然のようにそう書かれている。その選民思想は他国から来た人が驚くほどであった。
とはいえ時代の流れは変わっていくもので、当時アリダイル聖王国の王であった先代の歴王が“奴隷解放”を宣言したのをきっかけに、聖王国の貴族の中にも獣人容認派なるものが出てきた。もちろん大多数の国民や貴族からの反発は大きかったものの、“歴王”の権限を最大限に活用して動いた王により、じわじわとそれは広がりを見せていた。
しかし聖王国の貴族内では容認派と排除派で派閥が出来上がり、結局それは歴王が崩御するまで続いたのだった。
そして現在の聖王は――排除派である。
彼は、現在の歴王であるディストニカ王国のオルカ王が歴王の宣言とともに発表した“差別禁止”を真っ向から拒否。結果、聖王国内の容認派は発言力が落ちることとなった。
そのせいで容認派から中立派や排除派になる貴族が増え、排除派に鞍替えした貴族の屋敷で雇われていた獣人は全てが解雇。聖王国内の主たる街では“傭兵ギルドは中立”と言ってはいるもののギルドの掲示板には【獣人お断り】の文字が並び、もとから少なかった獣人の傭兵はあっという間に駆逐されたのだった。
現在聖王都にいる獣人は傭兵や商人ではなく、奴隷と同じような扱いをされている者と、愛玩用として飼われている獣人だけである。
そしてこの地の領主であるティリアトス辺境伯はというと、今も昔も変わらず中立派であった。先代も先々代も、獣人が奴隷から開放されたときから変わることなく中立を貫いている。
広大な領地と発言力を持つ辺境伯が中立というのは、貴族間のバランスのためということもあるが、何よりもここは辺境で、隣国との国境であり、さらに国境近くには魔獣の巣まであるというのが主な理由であった。
魔獣の巣から出てくる魔獣は最寄りの街に常駐させている騎士団や人の傭兵だけでは処理しきれず、どうしても獣人の傭兵を雇わなければならない。
もちろん人だけでどうにかしようと思えばもっと資金を投入して兵士を増やすなりなんなりしてできるだろうが、その魔獣の被害が隣国まで及ぶと、“そちらの国で処理できないのならば魔獣の巣のある土地をこちらに寄越せ”と、隣国との領地問題に発展する恐れがあるのだ。魔獣の素材は全てが魔獣の巣のある領地のものとなるため、空を飛ぶような魔獣を除いてその領地がある国でどうにかしなければならないというのが各国の暗黙の了解であった。
魔獣の巣のある場所は人が足を踏み入れることのできない深い深い谷があり土地は豊かではないが、魔獣の素材には高い価値がある。だから、この領地ではどうしても獣人を雇わなければならないのだ。それがわかっているからこそ、ティリアトス辺境伯が中立を貫いても現聖王も何も言わないのであった。
しかし、排除派にはなれないとはいえ、容認派になれるかというともちろんそうではない。
ティリアトス辺境伯が容認派になれば、下火に成っている容認派が少なからず力を盛り返し、必ず聖王に粛清されるだろう。聖王は――獣人を心から憎んでいるのだから。




