確信
「お嬢様、あの獣人は何者ですか。」
カトリーヌとワルツを踊りながらおもむろにそう聞いたのは、辺境伯の子どもたちへの作法の指導を任されている執事長のハールトンであった。
カトリーヌは、もっと魔道具を見ていたいというリネッタを宥めつつ昼食をとったあと、部屋にリネッタを残しハールトンにワルツを習っていた。彼女は14歳であり、そろそろ社交界デビューに向けて本格的に勉強しなければならない年齢である。
とはいってもカトリーヌはダンスが得意で、その他の作法に関しても食事中によく喋ること以外は特に問題はない。誰にも言わないが、カトリーヌがダンスに関しては第二夫人アイダの娘であるエイラよりもすでに上手であるとハールトンは考えている。
ハールトンのリードするワルツにそつなくついていきながら、カトリーヌは口を開く。
「私が雇った専属の護衛よ。傭兵ランクはEで、霊獣化が使えるわ。魔法陣に詳しいのは“趣味”だと、リネッタの保護者だとかいう人の傭兵に聞いたの。」
「それ以外にも、なにか隠しているでしょう。」
「隠してなんかいないわ、ただ、聞かれないから言わないだけ。」
「またそんな事をおっしゃって。」
ハールトンとワルツ独特の三拍子に合わせてくるくる回りながら、カトリーヌはくすりと笑った。
「そうね、ハールトンなら特別に教えてあげるわ。リネッタは幼いから傭兵ランクが低いだけで、逃足鶏も捕まえられるくらい有能な狩人なのよ。」
「いくらなんでもそれは。」
「その腕は、あのトイルーフ魔道具商会のルーフレッド・トイルーフのお墨付きなのよ。
彼がリネッタに逃足鶏を依頼したら、8羽も納品したんですって。嘘だと思うでしょう?でも、本当なのよ。ここだけの話、首都トリットリアで調理された逃足鶏をいただいたの。わたくし、あれほど美味しいものを未だかつて食べたことはなかったわ。」
「……あの年で、どうやって?どうせ他の傭兵に手伝わせたのでしょう?」
「わたくしも最初はそう思ったのだけど、逃足鶏を捕まえられる狩人や傭兵なんて“美食家”くらいしかいないらしいの。つまり、誰かが手伝うとか手伝わないとかそういう話ではないのよ、そもそも誰も捕まえることができないのだから。
リネッタは赤羽鳥を狩るのも得意らしいの。そのうち三大珍味鳥の最後のひとつも制覇したいってリネッタが言ってたわ。青鉤鳥なら領内に生息しているし、いつか連れて行こうと思っているの。」
「おやめください、あそこには獣人も多い。また襲われるかもしれません。」
「リネッタが守ってくれるわ。あの子は気配にも敏いし、鼻も良い……何より強いもの。護衛のみんなが賊と戦っているその真ん中を突っ切って、一人で馬車まで来てくれたのよ。勇気もあるわ。それに、彼女には精霊の祝福もある。」
「――精霊の祝福?」
ワルツの真っ最中だったがハールトンはぴたりと足を止めた。ハールトンの射抜くような視線を、カトリーヌは真正面で受け止める。
「そうよ、ハールトン。あの娘は精霊の祝福を持っているの。お父様と貴方だけは知っているでしょう、私が一度、賊に斬り殺されかけたことを。あの、切り裂かれて血まみれのドレスを見たでしょう?」
「ええ、知っています。そのあと精霊様に命を救っていただいたことも。」
「表向きは、わたくしが精霊に愛されているから救われたのでは、ということになってはいるけれど……私が精霊様に命を救われたのは、リネッタのおかげなの。」
「何を――」
「リネッタが馬車に乗り込んできたとき、わたくしは声も出せないほど弱っていただけで……死にかけていたけれど、おぼろげながらにでも意識はあったの。でも、リネッタは気絶していると思っていたようね。リネッタはそこでわたくしの知らない言葉を使い、わたくしを救ってくださったのよ。」
「……。」
「そのあとリネッタは、『私は精霊を視ることができる精霊の祝福を持っている、貴女は精霊に愛されている。』なんて言い繕っていたけれど、どう考えてもその場で思いついたみたいな言い方だったの……あれで本当にわたくしがリネッタの言いぶんを信じたなんて思ってしまっているのは、まあ、10歳らしい思考ね。
でも、リネッタが何か言葉を発してから光が溢れて、私と侍女たちの傷が癒えたの。リネッタが精霊様に頼んでくださったのよ、きっと。
だからわたくしは、あの子をどうしても手元に置いておかなければならないと思ったの。彼女は獣人だけれど、世の中には三ツ月の取り替え子というものもあるでしょう。彼女は自分の両親が人なのか獣人なのか分からないと言っていたし、その可能性だってあると思うの。」
「そう、ですか……つまり、精霊様に愛されているのはお嬢様ではなく、リネッタの方だと……お嬢様は考えていらっしゃるのですね。」
「もし私が精霊様に愛されているのならば、そもそも賊に斬り殺される前に――死にかける前に、救ってくださるはず。」
まあ、リネッタを手元においたのはそれだけではないのだけれど。と、カトリーヌは内心で付け加える。
「到底信じられない話ではありますね。」
「私だって、話だけ聞いたのならそうなるわ。」
「それにもし見た目だけが獣人で中身が人だとすると、魔法陣を扱うこともできるのでは?」
「霊獣化が使えると聞いたわ。」
「獣人であり、人でもある、と?」
「いいとこ取りね。」
「そういう話ではありませんが。」
「知ってるわ。」
ふむ、と考え始めたカトリーヌに、ハールトンは小さくため息をついた。
このお嬢様は、考えているようであまり考えていない。考えていないようで考えていたりもするのだが、いかんせん考えが浅い。
カトリーヌにとって生まれたときから辺境伯の執事長であるハールトンは、何でも――それこそ、第二夫人であるアイダの企みなども含めて――すべて話せる相手であるらしいが、もしハールトンが辺境伯を裏切るつもりだったらどうするのだろうか。
カトリーヌにはそういった考えは一切浮かばなかったようだが、実際のところお家乗っ取りを企むのならば執事長であるハールトンは取り込んだほうがうまく事を運びやすくなるわけで、取り込まれているかもしれないハールトンに一切合切すべて話してしまうというのはかなり危険であった。
もちろんアイダが何と言おうがハールトンが簒奪に加担することはない。しかし、カトリーヌの話を辺境伯に漏らしたりもしないし、アイダやエイラに対してもごく普通に接している。それは、カトリーヌの話がカトリーヌの主観のみによるものであり、ハールトンから見たアイダとエイラはごくごく普通の気立ての良い母子であるからだ。
特に娘のエイラは、カトリーヌが言うような尖った性格ではない。作法の勉強も頑張っているし、カトリーヌよりもよっぽどおしとやかである。たまに獣人に対して厳しすぎる一面も垣間見えるが、聖王国の貴族ならばそれが普通であり、カトリーヌが異端である。
アイダについても調理場で料理長に習って料理を手伝ったり、病弱なクロードのために遠方から体に良いとされているハーブを取り寄せるなど、到底、簒奪を考えているようには見えない。それに、もしカトリーヌが言うようにクロードに対して罵倒していたというのなら、クロードもその2人を嫌いそうなものだがクロードにもそういった様子はないのだ。
カトリーヌを襲った賊に関しても、カトリーヌはアイダが仕組んだものだと断言していたが確証などは一切ない。アイダは第二夫人であり多少エレオノールよりも自由ではあるが、傭兵などといった野蛮な輩と繋がりをもったり、人を殺す指示ができるほど神経が図太いようには見えない。
そう、ハールトンにとって賊がアイダの仕業など、信じられない話ではあったのだが……実際、カトリーヌを殺して利のある者などそうはいないことも確かであった。
盗賊は、行きずりで騎士が護衛しているような馬車は狙わない。狙うとしたら確実に積荷を奪えるような商隊や女子供をたくさん載せているような相手だけだ。
カトリーヌの馬車についていた護衛の騎士の数は少なかったが、貴族を狙えば討伐隊が組まれる確率も跳ね上がるというのに、荷物目的でもなく奴隷目的でもない盗賊らが貴族の馬車を襲うのはリスクしかない。
つまり、賊は仕込まれたとしか考えられない。
では、カトリーヌが死んだことで、誰が得をするかである。
辺境伯は関係者を必死に探してはいるが、賊を仕込んだ犯人が見つかる気配はない。当然だがアイダのことは微塵も疑ってはいないので、アイダに捜査の手が伸びることはない。
しかし、カトリーヌを消したい相手、と考えると……たしかに問題児ではあるが、今のところ――屋敷に獣人を入れたことは問題ではあるが――カトリーヌが生きていると困る者はいないのだ、簒奪の計画が本当に存在しないのならば。
ハールトンは考える。
カトリーヌは、自らの敵はアイダとその娘エイラ、あとはアイダが実家から連れてきた侍女たち“だけ”という認識のようだが、アイダがこの家に嫁いできてもう十数年、アイダに可愛がられているのは実家から連れてきた使用人だけではない。
料理を教えている料理長もそうだし、花が好きだというアイダは庭師ともよく話している。アイダは使用人らのよき理解者である。そして、この家に出入りしている商人とは実家であるランクリッジ子爵家からの付き合いだ。
もしクロードに何かあってアーロンが辺境伯を継ぐことになったとしても――最悪、社交を一手に担っているエレオノールがふさぎ込んでしまったとしても――ティリアトス家的にはあまり問題がないと言ってもいいほどである。
そう考えると、ハールトンはアイダの行動に空恐ろしいものを感じずにはいられなかった。
もし本当にアイダが簒奪を考えていたとすれば、すでに使用人らの心をつかみ、辺境伯と第一夫人にも可愛がられているアイダの邪魔をするのはかなり難しい。カトリーヌ一人が声を上げても、全く意味を成さないほどに。
しかし、アイダ側としては、カトリーヌに簒奪計画を知られてしまった場合、予測不可能な問題が起こる可能性も捨てきれないだろう。スムーズなお家乗っ取りのためにカトリーヌを消そうとするのは、妥当かもしれない。
「まあ、リネッタは大丈夫よ。家の魔道具を勝手に使ったりはしないと思うわ。」
カトリーヌは自分の中で納得したらしく、うんうんとうなずきながらハールトンに視線を向けた。
「敵ならばともかく私が雇ってる側なのだし、勝手に魔道具を使ったりはしないでしょう。それに、精霊の祝福のことも隠しているし、もし魔道具が使えたとしてもそれは秘密にしているはずよ。彼女には秘密が多いみたいだから。今はそれでいいの。」
「そうですか。」
ハールトンはいろいろと言いたいことがあったが、ひとまずカトリーヌの言うことに肯定し、静かに頷いた。アイダの問題は今のところどうしようもないし、リネッタについてはこれから観察すればいい。そう思いながら。




