静かな晩餐
はあ、とため息を漏らしたのは誰か。
その繊細な彫り物のされている長いテーブルを囲む数人――フルグリット・トル・ティリアトス辺境伯爵とその第一夫人、第二夫人、第二夫人の娘と息子のうち、いつもの明るい顔をしているのは第二夫人の息子、アーロンだけであった。
「申し訳ありません、まさか、食事はおろか寝室までも一緒にいらっしゃるとは思わず……」
と、沈黙を破ったのはアーロンの母で辺境伯の第二夫人であるアイダである。
美しい黒髪と同色の瞳をわずかに揺らし、目を伏せ、静かに謝罪を口にする。
本来ならばこの場にはティリアトス辺境伯の娘であるカトリーヌも同席しているはずであった。
明るくおしゃべり好きなカトリーヌは食事中もよく喋るため、彼女がいると自然と場が明るくなり会話もはずむ。
しかし現在、彼女はリネッタと食事しており、ここにはいなかった。そしてそれは明日も、明後日も、カトリーヌがリネッタを解雇するまでずっと続くという。
さすがにそこまで考えが及ばなかったアイダは、リネッタを雇うことを歓迎した手前、肩身を狭そうにしていた。
「アイダ、お前のせいではないよ。私でさえ……いや、誰にもそんなことは予想できなかっただろう。そもそも、護衛を雇うことを許可したのは私なのだから、責任の所在は私にある。」
辺境伯はナプキンで口元をぬぐいつつ、静かにそう告げる。
「そもそもカティを一人だけで行かせたのが間違いだったのだろうな。」
「申し訳ありません、私が兄を嫌がったばかりに。」
次に口を開いたのは、カトリーヌの実母である第一夫人のエレオノールだった。俯いた拍子に下ろしたほのかにピングがかった金髪がさらりと頬を撫でる。
彼女は連合王国アトラドフよりも向こうの国から遠いこの家へと嫁いできたのだが、エレオノールの兄は周辺国家に良くも悪くも有名であり、彼女はその兄のことをひどく嫌っていた。
しかしなぜかその娘であるカトリーヌはそんな兄のことを気に入っており、エレオノールの代わりにはならないものの、たまに父について遊びに行くことがあった。今回、カトリーヌがトリットリアで襲われたのは、そのエレオノールの兄の家からの帰りであった。
「お前のせいでもない。本来ならば私の代理としてクロードが行かなければならなかった。どうせカティも一緒に行っただろうが、クロードがいたのならばもう少しまともな騎士が同行できただろう。
あいつはいつまでも体が弱くていかんな――ああ、いや、エレオノール、母親であるお前を責めているわけではないよ。慣れない土地に嫁いで来たにも関わらずすぐに嫡男を産んだお前には感謝こそすれど、腹をたてることなど全くない。」
はあ、と隠さずため息をつきながらも、辺境伯はエレオノールを気遣った。
「体が弱いというのはもともと生まれ持ったものもあるだろうが、意志の弱さにもよる。特別どこか悪いわけではないのだから、どうにか体力をつけさせれば少しくらいは強くもなるだろう。もう子どもではないのだ、騎士団長に話して簡単な訓練をさせてみるのもいいかもしれんな。
あいつは頭がいいし、魔術師の才能もある。領主の資格は充分に持っているのだから、あとは人並みの体力さえつけば言うことはない。」
「そう、ですわね。わたくしもいい加減、子離れしなければ。」
辺境伯の言葉に、ふふ、とエレオノールが微笑んだ。
「それにしても、カティはどうしましょうか。同じベッドで眠りたいだなんて、獣人は愛玩動物ではないというのに……。それほど……よほど襲われたのが怖かったのね、可哀想に。」
「傭兵ギルドに圧力をかけ調べてみたのだが、どうやらあの獣人の子どもが傭兵で、ランクがEというのは本当らしい。だがそのランクを付けたのが連合王国の中でも特に獣人に甘いマウンズの傭兵ギルドというのがな。」
「E……上から数えて5番目、下がどこまであるかは知りませんけれど、下から数えたほうが早いくらいなのでしょう?カティが言うほど、役に立つのかしら?」
「わからんな。ギルド側の言い分としては、ランクEから害獣……そうだな、血牙狼あたりは倒せるという程度らしい。護衛としてはほぼ役に立たんと思っていいだろう。血牙狼なぞ、門番でも倒せる。」
血牙狼は、ティリアトス領ではごく一般的な害獣で、家畜を襲う大きな狼である。
狼は集団で狩りを行うが、血牙狼は基本的には一匹で行動しているため討伐の難易度は低い。赤黒い、血が固まったような色の毛で、普通の狼より二回りほど大きいのが特徴であった。
「そんな程度でしかないのに、なぜカティはあんなにも信頼しているのかしら?」
「同年代の友達がほしかったのではないか?」
「あら、話し相手ならエイラがいるでしょう?」
「エレオノール様、申し訳ありません、私がもう少しカトリーヌ様と遊んであげられたら――」
「いいのよ、エイラ。」
第二夫人の娘であるエイラが見るからにしょげているので、エレオノーラはゆっくりと首を横に振り、エイラの言葉を遮った。
「勉強の合間にカティと遊んでくれているのは知っているわ。それにあなただって自分の時間がほしいでしょう?いくら仲が良くても、ずっと一緒にいたら疲れてしまうわ。
あの子にはもったいないくらい、あなたは良いお姉さんよ。クロードがカティを避けているぶん、あなたにカティの相手をさせてしまっているのは申し訳ないと思っているの。だから、そんな悲しい顔をしないでちょうだい、あの子が獣人を連れ帰ったのはきっといつもの気まぐれで、そのうちその新しい遊びにも飽きるでしょう。」
「娘にはもったいないお言葉ありがとうございます、エレオノーラ様。」
そうエレオノーラに答えたのは、アイダであった。
アイダは嬉しそうに顔をゆるめ、エイラもそれに倣うように微笑んだ。
「獣人の娘については、カティが熱を上げている間は無理に追い出すこともできまい。ずっと一緒に居られては手もだせんし、しばらくは様子見をする。マウンズから来たのなら、扱いの違いに自分から出ていくかもしれないがな。何かしらの目的がありカティに近づいたのなら、しっぽを出したときにどうにかすればいいだろう。
そういえばカティが、屋敷の魔道具をアレに見せると言っていたが……ハールトン、相手は精霊様に嫌われている獣人だ。使われることはないだろうが高価な魔道具を壊されてはかなわんからな、安価なものだけにしておけ。」
「承知いたしました。」
ぴし、と背筋を伸ばしたまま微動だにしないで会話を聞いていた執事長ハールトンは静かにそう応えると、背筋を伸ばし直してから再び石像のようになった。
執事長ハールトンは考える。
辺境にあるこの地の屋敷に収蔵されている魔道具の中で、壊されても良い魔道具などは存在しない。
ぬくぬくと平和な地で暮らしている貴族らの倉庫とは違い、この屋敷に保管されているのはもしもの時に使用する実用的なものばかりなのだ。
その中でも安価なものとなると、選択肢はほぼない。
主である辺境伯やその家族ひとりひとりを注視せず全体を見渡し、会話も自分に向けられたもの以外には一切の反応を見せずに、執事長ハールトンはあのリネッタとかいう子どもに見せるという魔道具をどれにするかを思考しはじめた。




