ことの起こりは道中で
ど う し て こ う な っ た 。
私は今、可愛らしいリボンのついた薄桃色のドレスを着て、部屋の隅っこにある大きな鏡の前で突っ立っている。
鏡越しに、雇い主の少女が満足そうな笑みを浮かべ私を眺めているのが見えていた。
――いや、わかってる。わかってるよ。
気を失っている相手だからといって、反射的に魔法を使ってしまった私が悪かったのだ。まあ、目の前で死なれるのは後味が悪いししょうがなかったんだけど。
でも、そのあとのとっさの苦しい言い訳のせいで私の長ったらしい設定がさらに増えてしまうし、なんだか興味を持たれてしまったらしく熱烈なお誘いを受けうっかり雇われてしまった。
しかし、雇い主の家に行ったら獣人への差別がすごくて周囲からの視線が突き刺さってくるし、風呂の中ではねちねちと嫌味も言われるし、そんな針のむしろの中、雇い主のお下がりのドレスを着させられるもんだからさらに視線がアイアンメイデンだし、もう帰りたい。帰る場所はないけど。
事の起こりはひと月前、トーラムやサーディスたちと、商人のおじさんの商隊を護衛しながら主都なんとかトリアに向かっている最中だった。
特に魔獣も盗賊もただの獣も出ず平和そのものの道中、先行させていた魔女の梟が見つけたのだ。盗賊っぽい何者かに襲われている、一台の立派な馬車を。
すでに戦闘が始まっており、どう見ても傭兵ではなさそうな立派な格好をした護衛が馬車を守りながら奮闘していた。
しかし、盗賊の数が多かったようですでに護衛は何人か倒れていて、危険な状態だった。
馬に乗って周囲を警戒していたトーラムとサーディスを含めた商隊を護衛していた傭兵のうちの半分、そしてサーディスの背中にしがみついて付いてきた私が現場に到着したときには、盗賊の1人が馬車の中へと侵入していて、若い悲鳴が響いたところだった。
あ、これやばいやつだ。と、私は無意識に身体強化の付与を自分にかけ、馬から飛び降りる。後ろからサーディスの慌てた声が聞こえたが、飛び出してしまったものはどうしようもない。
護衛と盗賊が戦っている間をすり抜けてまっすぐ馬車へと向かったが、周囲の盗賊や護衛たちは私にぎょっとした視線を向けたものの、私が小さい上に武器のようなものも持っていなかったのでひとまず放置して戦闘を続行してくれて、問題は起きなかった。
馬車の入り口に張り付くようにしていた盗賊のベルトをひっ掴んで力だけで入口からひっぺがすと、「んがっ!?」と声を上げて暴れかけたので睡眠の魔法をかけ、邪魔なので街道へとぽいっと転がす。
馬車の中に視線を向けた瞬間、「うわっ。」と思わず声が出てしまった。
中に居たのはメイド服を着た女性が2人とドレスを着た少女が1人。
侍女と令嬢だろうか、3人ともが剣でばっさりと斬られ、馬車内は床も壁も血まみれであった。
「――局地的治癒の魔法!」
私が反射的に使ったのは治癒の魔法の応用魔法で、一定の範囲内を治癒するタイプのものだ。その中でも、治癒する範囲が極端に狭いのが今使った局地的治癒の魔法である。
治癒の魔法系は、治癒する範囲が広ければ広いほど、そして治癒する対象が多ければ多いほどその効果は落ちる。魔法を発動する範囲が広いとそれだけで魔素を消費するし、治癒する対象が多ければ多いほど1人に消費される魔素が少なくなるからだ。
そのため、重症人が複数いるのに魔法使いが1人しかいないときなど、できるだけ魔法の効果を高い状態に保ちつつ範囲指定もしたいということで作られたのがこの局地的治癒の魔法である。
効果の出る範囲は車内がギリギリ収まるか収まらないか程度で、馬車の外で倒れているだろう護衛や盗賊などには一切効果を及ぼさない。
暖かな治癒の光が車内に溢れる。
魔法抵抗が全くないのも相まってかその効果は絶大であり、みるみるうちに傷口はふさがり血もすぐに止まったようだった。失った血が多いのか顔が青ざめていたので、一応、継続回復の魔法もかけ、一息つく。
傷が深いところは傷跡が残るかもしれない。もし傷跡が残れば貴族の令嬢としてはその価値がかなり下がってしまうだろうが、まあ、死ななかっただけましということで。
あとはこの3人を睡眠の魔法で簡単には起きないようにして、何事もなかったかのように馬車から出れば……という私の計画も虚しく、令嬢っぽいドレスをまとった少女がすごい勢いで目覚めた。
「っ!?むぐっ!?」
ばちっと目を見開いたかと思うと周囲に広がる血まみれの世界に悲鳴をあげるべく息を吸ったのを見て、私は慌ててその口をふさぐ。
外ではまだ盗賊と傭兵たちが戦っている。ここで馬車の中のこの少女が生きていることを周囲に知らせるのは、よろしくない。
暴れる少女に、しまったなと考えつつもとりあえず「大丈夫?」と声をかけてみる。
「むぐ、むっ!!んっ!!!!!」
少女は暴れようとするが、身体強化の付与のかかった私の力には勝てない。
涙目の少女の視線は、向かい側で倒れている侍女っぽい2人の女性に向けられていた。
「安心して、生きてるわ。血まみれだけど、傷はもう塞がってる。貴女だって、斬られたでしょう?でも、……まだ痛い?」
「!?……っ?……、……!?!?」
混乱しつつも話はちゃんと聞いているようで、少女は目を白黒させたのち、少しおとなしくなった。
「まだ外で盗賊と私の仲間が戦っているの。盗賊は、貴女が死んだと思ってる。叫べば、また殺しに来るわ。」
「……。」
こくこくとうなずく少女に、私はようやく口をふさいでいた手を話した。
「あ、貴女はわたくしを助けてくれたの?……どうやって?」
「それは――」
ど、どうしようかなー……
頭を抱えたいところであるが、さすがにここではできない。
今回は霊獣化のせいにはできないので、何かしら新たに考える必要がある。
何か、いい言い訳があるはずだ。そう、この世界で、よくわからないのに手放しで誰しもが信じるもの、それは……
「せ、精霊!そう、精霊の加護が、あるんじゃないかしら?あー、貴女、に。」
「……加護?」
「そ、そうよ、きっとそうよ。私、精霊が視えるの!精霊の……祝福?……そう、精霊の祝福があるの!」
「貴女に……精霊の祝福が……?」
我ながらなかなか良い言い訳のような気がする……ここは押し通せるんじゃないだろうか。
別にここで助けて主都なんとかトリアまで一緒に行ったとしても、そこからは別行動なのだ。しかも私は雨が多いらしいなんとかトリアにとどまる気はないのだから、ここで言いくるめれば逃げ切れるっ!
「貴女は精霊に愛されているみたいだから、精霊が助けてくれたんじゃないかしら。その証拠に、私、まばゆく光る精霊を見たわ!」
「わたくしが精霊様に……」
「そう、そうよ。でも精霊は気まぐれだから、助けてくれるのはこれが最初で最後かもしれないわね!」
少しうつむき、考える令嬢っぽい少女。
そして僅かな間のあと少女が私に向けたのは、やや訝ったような視線だった。
「……あなたは獣人でしょう?なぜ精霊の祝福を?」
「……。」
あー……。
そうだったー……。
そういえば私、精霊に愛されてない獣人だったー……。
「わっ、わ、わからないの。私にもわからないけれど、なぜか感じるのよ、精霊の存在を。そう、私はなぜか精霊の祝福で精霊が視えるけれど、でも、私にもわからない。でも、視えるのよ。そしてそれは周りの人には秘密にしているから、貴女も誰にも言わないでほしいの。」
「……獣人で精霊の祝福を持っていると言っても、誰も信じないでしょうから、そうでしょうね。」
あ、これ、だめなやつかなー、と私は頭が痛くなったが、私に視線を向けている少女はにこりと笑顔を浮かべた。
「貴女の秘密は守ります。……わたくしの名前はカトリーヌ。カトリーヌ・トル・ティリアトス。貴女は?」
「私はリネッタ、……傭兵よ。」
「リネッタ?その名前はどこかで…………え?傭兵?」
「そう。私、こう見えても霊獣化が使えるの。だから、特別に傭兵になることができたのよ。ランクはまだEだから、害獣退治くらいしかできないけれどね。」
「まあ、小さいのにすごいのね!」
小さくはないんだけどね。
「おいリネッタ!いきなり飛び出すなんて危ないだろー!」
と、いつの間にか盗賊との戦闘が終わっていたらしい。トーラムが外から声をかけてきた。
……そういえばサーディスの馬から飛び降りて走ってきたんだった。
「あの、精霊の祝福の話は……」
「ええ、貴女が視えるという話は秘密ね。」
「ありがとうございます。」
というような会話をコソコソしつつ、私は「ごめんなさい。」と謝りながら馬車から顔を出した。
「中は……うお、大丈夫か!?血まみれじゃないか!」
「問題ありません。」
車内を覗いたトーラムが声を上げたが、中にいるカトリーヌは落ち着いた声で答える。
「いや、問題ないっていってもなあ。顔色は良さそうだけど……」
「私が馬車に入ったときには、もうこんな感じで……。」
とりあえず、カトリーヌらが血まみれなのに元気であることと私とは関係ないことを主張しておく。
「血のりってわけでもないんだろ?」
「ええ。わたくしたちは間違いなく賊に斬られました。でもその後、精霊様が現れて私たちを癒やして下さったのです。」
「精霊が?」
「はい。なぜかはわかりません。ですが、こうして生き残ることができたことが何よりの証拠でしょう?
倒れている2人も、気を失っているだけでちゃんと生きております。」
「……そりゃすごいなあ?」
ちらりとトーラムの視線がこちらを向いた気もするが、きっと気のせいだろう。私は獣人だし、霊獣化で治癒なんてできるわけがないしー。
「それで、賊はどうなりました?」
「ああ、自死したやつも居たが、逃げようとしたやつも含めて全員捕まえたぞ。」
「まあすごい!」
「もうちょっと早けりゃ、もう何人かは生き残れたかもしれないが……。」
「いえ、十分です。助けていただきありがとうございました。」
「あー、礼なら俺より、リネッタに言うんだな。」
「え?」
「俺たちは商隊の護衛をしていて、普通の馬車よりもゆっくりと進んでたんだ。でも、リネッタが襲われてるあんたたちに気づいたから俺らは助けに来れた。もしリネッタが気づかずに俺たちがそのままの速度で進んでいれば、確実に間に合わなかった。
精霊のことがあったとしても、皆殺しにするような盗賊は最後にちゃんと死んでるか必ず確かめるからな。結局あんたは2回も死ぬほど痛い目に遭うことになるだけで、結局は助からなかっただろうし。」
「……。」
カトリーヌはしばし考え、私に静かに視線を向けた。
「……本当に、ありがとうございました。」
「……はい。」
「……。」
「……。」
気まずい沈黙。
私からは特に何も言うことはないので、そんなにじっと見つめられても困る。
そんな雰囲気に一番最初に耐えられなくなったのは、私でもカトリーヌでもなく、トーラムだった。
「あー、まあ、なんだ。とりあえず生きててよかったな。さっき報告に走らせたからそのうち向こうで待機してる本隊も来るだろ。そしたらまあ、ルーフレッドさん次第だが一緒にトリットリアまで行けばいいんじゃないか?」
「……ええ、そうですね。助けていただいたお礼もしなければなりませんし。」
静かにうなずいたカトリーヌは、血まみれのドレスには似つかわしくないやんわりとした微笑みを浮かべ、そう答えた。
その後しばらくしてルーフレッドの商隊が追いつき、商隊はカトリーヌと侍女2人、そして生き残っていた護衛を乗せて主都なんとかトリアまで向かうことになった。
道中、トーラムやサーディスに、カトリーヌがアリダイル聖王国の辺境伯の娘であること、アリダイル聖王国では獣人差別が堂々と行われていることなどを聞いた。アリダイル聖王国は先代の歴王と先々代の歴王が収めていた国であるらしく、アリダイルというのも先々代の歴王の名前なのだそうだ。
他にも、普通の盗賊が貴族の馬車を襲うことはまずないこと、もし盗賊だったとしたら馬車内の女性は殺さず攫うだろうということ、盗賊の中に貴族の護衛と同程度の手練がいたこと、その手練は身元を探られないためか捕まった直後に自死したこと、それらを併せて考えると、今回の件はたぶんどっかの誰かがカトリーヌを殺すために画策したものだろうから気をつけろ、というようなことも教えられた。
なぜ懇切丁寧にそんな説明までされたかと言えば、主都なんとかリアに向かっている間、カトリーヌから専属の護衛として雇わせてくれと何回も何回もなんっかいも頼まれ、結局押し切られるかたちでOKしてしまったからである。
そう、私は押し切られてしまったのだ。けして、屋敷にあるという魔道具を見せてくれるというから仕事を受けたわけではない。
国自体が獣人差別をしているようなところの貴族が獣人を雇うなんてどうかとも聞いたのだが、国境を守る辺境伯の領地では獣人を雇うこともあるのだそうだ。魔素クリスタルを消費しないで魔獣ともやりあえるのだから、安上がりといえばそうかもしれない。
というわけで、主都トリなんたらに到着した数日後、私はカトリーヌについて、すぐに主都トリなんたらから出発することになったのだった。
結局トーラムとサーディスにはまともなお礼ができなかったので、2人には魔素クリスタルを渡した。
あの大きさであの透明度なら、3級は堅いはずだ。お金に困れば売ってもいいし、2人は魔剣を使うのだからもしものときに使ってもいい。3級ならば、5級や4級の魔素クリスタルよりかは効果が長持ちするはずである……が、そういえば多すぎる魔素は魔法陣が耐えられずに、発動した瞬間に魔法陣が壊れるという可能性もある、のか。……ああ、あー、まあ、えっと、そこらへんは考えないことにしよう。……壊れないといいなあ、剣。
魔素クリスタルを生成したのは、もちろん、流浪の大魔術師ヴァレーズ・サニティ・ステライト様である。2人は見慣れない魔素クリスタルに半信半疑ながらも、喜んでくれたのでよかった。
いつか改めてお礼ができればいいなあとは思うが、主都マウンズに戻ってくる可能性は極めて低いので、実現するかは怪しいところだ。
そんなこんなでひと月が経ち、現在。
護衛という話だったのに、なぜか私はカトリーヌの“お友達”として、カトリーヌのドレスを着させられていた。どうやらこれから、一緒に馬車に乗って領内の視察に行くらしい。
ドレスを着た護衛ってなかなか新しいなーなんて現実逃避しながら、私は突き刺さりすぎて体を貫通しそうな勢いの侍女からの視線を無表情で受けていた。




