プロローグ とある貴族の少女
ところかわって聖王国。
「あら、思ったとおり、とっても似合っているわね。」
雇った少女を屋敷にある浴室でぴかぴかに磨かせ、侍女の大反対を押し切ってお下がりのドレスを着させると、もともとの見目がいいのも相まってその少女は見違えるほど可憐になった。
――この国には獣人の貴族はいませんし、さすがに“どこかの令嬢か”などと考える者はいないでしょうけれど、この10歳前後の美しい少女が幼いながらに霊獣化を使いこなし、恐ろしい害獣も一人で退治できる傭兵だなんてことも誰も思わないでしょうね。
雇った自分の判断に満足しつつ、少女を上から下までじっくりと観察する。
浴室で洗い流したとはいえ、これっぽっちも傷んでいなさそうなサラサラした金髪、そしてふわふわとした耳や尾はどう控えめに見てもただの女の子だ。さらには肉体を武器に戦うという霊獣化を使うというのにその体つきは華奢で白い肌には傷一つ無い。
傭兵だといっても、良識ある大人ならば疑う以前に子どもの冗談かなにかかと笑われるレベルだ。
「ありがとうございます。」
少女がぺこりと頭を下げる。
着慣れないのだろうドレスに困った顔がまた可愛らしい。尻尾はスカートの中にきちんと収まっているようで、一番心配していた“スカートが持ち上がって中が見えてしまう”なんてことはなさそうだ。
年下で、可愛くて、しかも護衛にもなる。
リネッタは“お友達”としてはこれ以上ない適役であった。
ここは、アリダイル聖王国の端にあるティリアトス領の領主の屋敷だ。
その領主であるティリアトス辺境伯の本妻の娘で、カトリーヌ・トル・ティリアトスというのが、リネッタの雇い主であるこの令嬢の名である。
その令嬢の目の前で背筋を伸ばして立っているのは、ひと月ほど前に令嬢と知り合い、わざわざ令嬢が領地まで呼び寄せて“お友達”になったリネッタだ。
カトリーヌが14歳でリネッタが10歳と多少の差はあるものの、カトリーヌは背が少し低くどちらかと言えば幼い顔立ちであり、隣に並べば“お友達”としてはおかしくない。
なぜカトリーヌがリネッタを雇ったかはさておき、そもそもカトリーヌがリネッタを雇うことに問題はあった。
アリダイル聖王国は、今の歴王であるディストニカのオルカ王が推進している“獣人への差別の禁止”に賛同していない。それにも関わらずアリダイル聖王国の貴族であるティリアトスの屋敷で獣人を雇うことを、家族はもちろん、使用人ですら、いい顔をするはずがなかった。
しかも、リネッタはどこの生まれかもわからず、親も居ないという。言い方は悪いが貴族からすればリネッタは“薄汚い獣人の孤児”である。
もう、問題しかない。
それでもカトリーヌがリネッタを雇えたのは、ひと月前のとある事件でカトリーヌに対して負い目のある父親に、カトリーヌが半ば強引に約束を取り付けることができたからだ。
カトリーヌは14歳なりに頭を働かせたが、それは穴が多く稚拙な交渉であった。しかし、その事件に対してひどく狼狽していたティリアトス辺境伯は交渉どころではなく、獣人だと知らないままリネッタを雇うことを許してしまったのだった。
薄汚れた白いワンピースをきたリネッタを初めて見たティリアトス辺境伯もその第一夫人であるカトリーヌの母親も絶句していたが、カトリーヌは“約束は約束”と押し通した。
それ以外にも、ティリアトス辺境伯の第二夫人が諸手を挙げてリネッタを歓迎したのも、カトリーヌがリネッタを雇えた理由である。
ティリアトス辺境伯の家は今、後継者問題で揺れている。
本妻の第一子であり嫡男であるカトリーヌの兄は今18歳だが、頭が良く、魔術師の素質もあった。しかし異様に体が弱く、急に寒くなったりすると未だによく体調を崩しては床に伏せっていた。
そのカトリーヌの兄から未来の領主の座を奪おうとしているのが、第二夫人の息子である。第二夫人の息子はまだ10歳であり、本人にはその気があるのかないのかははっきりしていないが、第二夫人はやる気満々であった。
第二夫人には16歳の娘もおり、第二夫人に似て性格が悪く、カトリーヌはこっそりとリトルオバサンと呼んでいた。リトルオバサンも、カトリーヌの兄を蹴落として自分の弟を辺境伯にしたいと考えているようだった。
しかし、カトリーヌにとって何よりも恐ろしかったのは、第二夫人もリトルオバサンも、カトリーヌの父や実母、そしてカトリーヌ本人の前ではびっくりするほど大人しく、カトリーヌの両親からはとても可愛がられていることであった。
本性を表すのは、自分の味方だということがはっきりしている実家から連れてきた使用人たちと、カトリーヌの兄の前だけである。
カトリーヌの前ではまだ優しい第二夫人の皮をかぶっているが、カトリーヌは兄を罵倒している義姉とそれを満面の笑みで眺めているオバサンをうっかり見てしまったことがあった。そして気づいたのだ、自分と大好きな兄とを仲違いさせたのはこの2人なのだと。
今はオバサンのせいで兄から一方的に嫌われているカトリーヌだが、カトリーヌは今でも兄のことが大好きであり、兄を蹴落とさんとしている2人は許せないと考えている。機をうかがいつつ、最終的にはいろいろと暴いてこの家から追い出してやろうと決めていた。
そのためには、まず自分の身を守れるようになることが大切だとカトリーヌが知ったのは、つい最近、ほんのひと月前あたりのことだった。
第二夫人がまさかカトリーヌの命まで狙っているとは、これっぽっちも考えていなかったのだ。
――そのおかげでリネッタと知り合えたのだから悪いことばかりでもなかったけれど。
カトリーヌはそんな事を考えながら、侍女たちの冷たい視線にさらされて居心地悪そうにしているリネッタに、少しだけ申し訳なく思った。




