マウンズの十年禍 3
結局、犬耳のセブルスと猫耳のアークが先に出て、そのサポートとして遅れてうさぎ耳のテイラーと側頭部に短い角の生えたサイルズが入ることになった。
「い、行きます……!」
「行ってきます……。」
緊張気味にそう言って、ゆっくりと2人が【擬態魔林】に近づいていく。
――【擬態魔林】は動かない。
さらに2人は【擬態魔林】に近づく。
――【擬態魔林】は動かない。
2人の目と鼻の先まで【擬態魔林】は迫っている。
しかし【擬態魔林】は動かない。
「あ、あれ……?」
「???」
とうとうセブルスとアークが【擬態魔林】に触れる位置まで来ても、【擬態魔林】は動く気配を見せなかった。
困ったように離れた位置にいるテイラーとサイルズを見やる2人。
「気を緩ませるな!相手は魔獣だぞ!」
というサーディスの言葉に2人ははっとしたが、【擬態魔林】は不意打ちするでもなく、ただそこに突っ立っているだけであった。
「セブルス!アーク!ちょっとそいつから離れろ!」
「は、はい!」
「テイラー、サイルズ、お前らもあっちにいって2メートルほど離れたあたりで4人で【擬態魔林】を囲んどけ。くれぐれも油断はするなよ!」
「はい!」
と獣人に指示を飛ばし、獣人らが【擬態魔林】を囲んだのを確認してからトーラムは口を開いた。
「……案外、知能が高いのかもなー。」
「根の範囲外でもある程度の人数を把握できる、ってか。」
「振動でも感知すんのかな?」
「あり得る話ではあるな。」
「どうすっかなー。」
「うわっ!?」
「あっ!?」
突然、【擬態魔林】の方から上がった焦ったような声。
2人が声の方に視線を向けると、アークとサイルズの足に【擬態魔林】の根が巻きついていた。それに慌てて、セブルスとテイラーがそれぞれに駆け寄っていく。
しかしその間にも【擬態魔林】の周囲4メートルほどの土がボコボコと波打ち、枝はザワザワと確たる意志を持って獲物を定めたように4人に襲いかかりはじめていた。
セブルスがアークに絡みついた太い根を踏み潰す。
「ご、ごめん!」
根から抜け出したアークがそう謝りつつ、セブルスに迫る枝を殴りつけて逸らした。
サイルズもテイラーと協力して足に絡みついていた根を無理やり引きちぎり、反対の足も絡め取ろうと地を這い寄ってきていた根をステップで躱し、枝を叩き払いながらさらに根から距離をとった。
「固まるぞ!」
セブルスが声をあげたが、あっという間に擬態木よりも遥かに多い手数で囲われ、襲い掛かってくる根と枝の攻撃をさばくだけでいっぱいいっぱいになっているサイルズとテイラーには聞こえていない。
セブルスとアークも、根を踏みつぶし枝を躱して手当たり次第に折るので手一杯で、2人に近づくことができないでいた。
戦いの幕は【擬態魔林】が落とし、セブルスとアーク、サイルズとテイラーは正反対の位置でそれぞれ戦うことを余儀なくされていた。
それでも相方の背中を守りつつ、途切れることのない枝と根の攻撃を躱し、払い、踏み、4人は細い枝でも1本1本確実に折っていく。
しかし、枝の先や根の先だけを折っても【擬態魔林】のリーチが少し短くなるだけで、手数が減ることはない。【擬態魔林】はその圧倒的な物量を持って相手の体力を削りきるまで攻撃の手を止めることはないのだ。
とはいえ【擬態魔林】の枝や根は無限ではない。辺りには破壊された枝や根が散乱して、最初は細かった枝もかなり根本に近づき【擬態魔林】のリーチも手数も減りつつあった。
獣人の4人は、そんないつ終わるともしれない戦いに少しずつだが心身ともに疲弊が見え始めていた。傍から見ていれば十数分の攻防であったそれは、本人たちにとっては何十分にも感じられる戦いだった。
枝を叩き払う音や根を踏み折る音が絶え間なく続き、それはいつまで経っても終わる気配を見せない。
「痛い!」
足元に転がっていた根に足を取られバランスを崩したテイラーの太ももに細い根が刺さる。その根をサイルズが踏み折るが、それでできてしまった2人の隙は見逃されることはなく、サイルズの右腕に枝が巻き付きその鋭い先端が肩口に突き刺さった。
「しまっ!?」
テイラーがサイルズに刺さった枝の先端は引き抜いたものの、絡みついた枝は腕にしっかりと巻き付いたまま離れず、サイルズをテイラーから引き剥がすように【擬態魔林】の方へと引きずり寄せはじめた。
サイルズはもがくが、さらに細い枝や根が体に絡みつきその自由を奪う。助けるべく動こうとしたテイラーの足にも一瞬で太い根が巻き付き、動けなくなったところに首にも枝が巻きついてその動きを止める。
【擬態魔林】へと引きずられていくサイルズの体が枝で覆われていくのを目にし、テイラーは反射的に“終わった”と思った。
サイルズは一人で抜け出せない。
セブルスもアークもいない。自分が助けるしかない。
しかしテイラーの心配をよそに、恐怖に引きつっていたはずのサイルズの表情はなぜか少しほっとした顔になっていた。
――こんなときに何を、
と、テイラーが拘束されていることも半ば忘れたようにサイルズを助けるべく前に進もうとした、その時。
バサッという音とともにテイラーに巻き付いていた枝や根に力がなくなり、テイラーは力んだ勢いのまま前のめりに倒れてしまった。
「っ!?」
慌てて顔をあげると、視線の先にあったのは、枝や根を切り払うサーディスの背中であった。
すでにサイルズに巻き付いていた枝も根も切り落とされ、自由になったサイルズが慌ててこちらに走り寄ってきているのも見える。
「あ、あ……」
自分たちは、4人で仕事を受けたわけでは、なかったんだった。
ようやくそう思い出して、テイラーはへなへなとその場に座り込んでしまった。
「よく頑張ったじゃないか。あとはやっとくから、2人はちょっと根が届かないとこまで離れててくれ。」
しゅりん、という透き通った音とともにもう片方の剣も引き抜き魔法陣を発動させたサーディスは、指示に従うことも忘れて座り込んでいる獣人2人の見ている前で、それぞれ違った色合いの光の尾を引く魔剣を振り回しては枝や根をまとめて“処理”していく。
先程まで獣人らと死闘を繰り広げていた枝や根が剣のひとふりでまるで雑草のように刈り取られていくさまに、サイルズもテイラーも言葉を失うしかなかった。すでにトーラムに助けられ少し離れた場所で様子を見守っていたセブルスとアークも同じである。
「……いやあ、それにしてもすげえ量。」
途中から参加したトーラムも両手に光る剣を持ちつつ参戦したが、お互いの背中を守るような位置というよりかは、相手をあまり気にせず好きに戦っているようであった。
襲い掛かってくる枝や根をまとめて切り落としては、【擬態魔林】へと確実に進んでいく。
「ネームドっつっても、擬態木をでかくして攻撃の密度を上げただけだな。」
「最初に4人を別れさせたのは偶然そうなっただけって感じか?それにしちゃ4人同時じゃなくて2人を狙ったのは何だったんだか……」
「まああんまり頭がいいって感じじゃあないなあ。」
「所詮、木だからな。」
ほとんど根本に近い位置まで切り落とされてしまった枝や根をギシギシ言わせながらトーラムとサーディスを襲う【擬態魔林】だったが、2人は焦ることもなく迫りくる攻撃を淡々と剣で切り払っていた。
打撃しかなかった獣人とは違い、2人には強靭な魔獣の皮さえも切り裂く刃物がある。その為、単純に向かってくるだけの攻撃ならば避ける必要もなければ叩き落とす必要もない。
そもそも獣人とは根本的に戦い方が違うのだった。
「それにしても、あいつらが最初に枝や根をある程度落としてくれてなかったら、2人だけじゃ相当きつそうだなーこれ。」
「わっさわっさあったからなあ、枝も根も。まあ、蔓とか実まであったらあの4人じゃあそこまでは粘れなかっただろうが……。」
「あんだけ戦えてたら擬態木なら余裕だろー。」
「擬態木はなっ――っと!」
いつの間にか片方を剣を収めて両手でロングソードを持っていたサーディスが、下から斜め上にかけて【擬態魔林】の太い幹を切り上げた。瞬間、その傷からどろりとした黒い液体が溢れる。
「ん?浅かったか?」
「いけるだろー。」
軽くそう言いながらトーラムが踏み込み、サーディスとは正反対の位置から真横から斧を振るように【擬態魔林】の幹に剣を叩き込んだ。しかし、がづん、という鈍い音が周囲に響いたかと思うと、トーラムの剣は幹の中心に届く手前で近くで止まってしまった。
「ありゃ? 時間切れだー。」
トーラムの剣は、幹の中心に到達する直前に光を失ってしまっていた。魔素切れである。
それでも充分な致命傷であり、【擬態魔林】の傷からはどろどろと黒い液体が絶え間なく流れ落ち、残っていた枝はざわざわと震え、地中では幹に近い太い根がぼこぼことのたうち回っていた。
「そんな使い方してっから折れるんだろーが。」
トーラムのあまりにもなうっかりに半眼になったサーディスだったが、そんな苦言を吐きつつももう一度剣を一閃し、【擬態魔林】のかろうじて残っていた幹のつなぎ目を完全に断ち切る。
おぞましい死霊の唸り声のような断末魔が辺りに響いた。
ズズ、と【擬態魔林】の幹がずれ込み、周囲の木々に覆いかぶさるように倒れ込む。
地表に出ていた根や枝は力を失って動かなくなった。
「幹を切り倒せば、魔核は放置でいいんだったよな?」
黒い液体でどろどろになってしまった剣に多少ショックを受けつつ、トーラムが確認する。
「ああ、ギルドではそう説明があったし、いいんじゃないか?」
サーディスが剣を片手に持ったままそう答えると、トーラムは続けて「よくわからん魔獣だなあ。」とぼやくように言った。
サーディスが討伐完了を示す青煙を上げる準備をしている間も、トーラムは「魔核残ってんだったら根だけでも動きそうなもんなんだけどなー?」と【擬態魔林】を眺めながらしきりに首を傾げていた。
「よし、んじゃ、あとは他のパーティーの見回りに行くか。」
「あ、そういやお前ら、刺されてたけど大丈夫か?」
ふと思い出したようにトーラムがサイルズを見やる。
「あ、は、はい。」
「止血も終わりました。」
獣人2人はこくこくと頷いて、「ありがとうございました。」と頭を下げた。
サイルズの肩の傷は深かったが、すぐに引き抜いたおかげで体液を吸われているわけでもなく、出血も患部の圧迫だけでどうにかなったようだった。
「毒はなかったようだが、一応、毒消し塗っとけなー。」
「はい。」
「ありがとうございます。」
「それにしても疲れただろ。別の魔獣でも出てこない限り、お前たちは他の【擬態魔林】を探しつつあとは他のパーティーの戦闘を見てればいいからな。他人の戦闘はなかなか見る機会もないだろうし、勉強になるぞ。」
「戦った感じ、他のパーティーがちゃんと全員で挑んでりゃあ俺達が手を出すことなんてほぼないだろうけどな!」
「おーい!セブルス!アーク!お前らもこっち来い!他の【擬態魔林】見に行くぞー!」
「はい!」
「今行きます!」
トーラムの声に、少し離れた場所に居た2人も駆け寄ってきた。
「すごかったな二人とも!」
「僕たちなんて、もっと早くトーラムさんに助けてもらちゃって……」
「いや……テイラー、足引っ張ってごめんな。」
「そんなことないよ!僕だって、慌てちゃって。」
そう、口々に言う。
実際、セブルスとアークはサイルズとテイラーよりも5分ほど前にピンチに陥り、トーラムに助け出されていた。
そのあとはトーラムも適当に枝や根を切り払っていたものの、大半の枝や根が標的を“弱そうな”サイルズとテイラーに定めたため、それまでどうにかこうにか凌いでいた2人も量に押されてしまう結果になってしまったのだった。
「反省会はまた後だ。この森にはまだ【擬態魔林】が隠れてる。見落とすなよ。」
「んじゃ、行くぞ。セブルスとアークが先に歩け、で、後ろはサイルズとテイラーだ。いいか、周囲を国の兵士が見回ってるとはいえ、【擬態魔林】以外の魔獣だって出るかもしれないし、野生の獣だって普通に遭遇するからな、気を抜くなよー。」
「は、はい!」
それから6人は他のパーティーを探しつつ、【擬態魔林】も探すために移動をはじめたのだった。
森を歩きつつ、トーラムもーディスもこの獣人4人に関する傭兵ギルドへの“報告”はかなりいいものになるだろうと考えていた。
この若さで霊獣化を一定時間以上発動させ続けることができて、しかも【擬態魔林】のあの量の枝や根をある程度捌ける獣人は少ないはずだ。
主都マウンズの傭兵ギルドにとって、彼ら4人は期待の新鋭であった。ランクB傭兵であるトーラムもサーディスも、傭兵ギルドにとっては彼らに経験を積ませるための“護衛”扱いである。
もちろんそんなことを言えば反発するランクB傭兵も少なくはないが、“若手傭兵の護衛”として傭兵ギルドからこっそりと護衛に指名されるのは信用されている証であるため、それに関して何か言うつもりは全くなかったし、むしろ楽しいとさえ感じていた。
【擬態魔林】の討伐報酬とは別に、心ばかりだが護衛の報酬も加算されているのももちろん大きいが。
それからトーラムとサーディス、そして獣人ら6人は指定された範囲をぐるっと周るように見回り、新たな【擬態魔林】は見つけなかったものの、厄介な麻痺毒を持った木に擬態した【擬態魔林】や、偶然2本並んで生えていた【擬態魔林】の討伐などに手を貸しつつ1日じゅう森を歩きまわり、街に戻ったのは日が暮れて空に三つ月が浮かび始めたあたりであった。
なお、全員が虫のことなどすっかり忘れていたのは言うまでもない。




