マウンズの十年禍 1
【擬態魔林】という木の魔獣が初めて発見されたのは遥か昔、主都マウンズがまだマウンズ王国の王都であった頃である。
マウンズの森にはその土地がら、虫や植物型の魔獣が多く見られた。
【擬態魔林】も擬態木の亜種として存在は知られていたが、当時はネームド魔獣ではなく、現在のように“十年禍”などという大層な名前でもなかった。
【擬態魔林】が“十年禍”として認識されるようになったのは、今から数百年前。
猟師と傭兵による大規模な害獣の囲い込み猟の最中に、突如として周囲の木々が人々を襲い始め、結果的に70名近い死傷者を出した事件がそのきっかけであった。
【擬態魔林】は擬態木とは違い、移動しない。
そのぶん擬態は完璧に近く、誰よりも木に詳しいであろう木こりでさえ擬態を見抜けず、霊獣化した獣人でなければ発見は不可能に近い。
予め追い込み猟予定地点近くに魔獣が住み着いていないかの調査が行われていたものの、稀にしか見つからない【擬態魔林】については特に対策はされておらず、見回りも前日と前々日にざっと森を歩いただけであった。
その後、死者20余名という被害を深刻視したマウンズの軍部が傭兵ギルドと協力して行ったのが、【擬態魔林】の一掃作戦である。
傭兵ギルドとマウンズ小国の軍部が協力して霊獣化の使える獣人をかき集め、主都マウンズ周辺の森をくまなく探し回った。それはいわゆる人海戦術のような形態で行われ、主都マウンズから森の中腹にかけての隅々にまで兵士や傭兵が入り、他の魔獣の討伐も行いながら半月ほどかけて【擬態魔林】を掃討した。
その結果、森の中に点々と【擬態魔林】が確認されたほか、2キロ前後の狭い地域に10体程度が集まっている地帯もいくつか発見されたのだった。
見つかった【擬態魔林】は全てが討伐された。
それ以降【擬態魔林】の被害は嘘のように見られなくなり、たまに擬態木は見つかるものの、【擬態魔林】は森から完全に姿を消した。
木こりや狩人たち、そして【擬態魔林】を見分けることの出来ない人の傭兵たちは安心して森へと出ることができるようになったのだ。
しかしそれからちょうど10年が経ったあたりで、【擬態魔林】の悪夢は蘇る。
死者は、狩人と傭兵が合わせて19名にも上った。
再び傭兵ギルドと軍部が協力して森を一斉捜索したものの、見つかったのは広大な森のごくごく一部、たった2キロ程度の狭い地域に【擬態魔林】が12体と擬態木が1体のみであった。
それから数十年に渡り傭兵ギルドによる【擬態魔林】の調査が続けられ、【擬態魔林】が十数年に一度まとまって発生する魔獣だということがわかったのだった。
その辺りで【擬態魔林】は傭兵ギルドにネームド魔獣として登録され、8年から12年に1度は必ず現れる魔獣として“マウンズの十年禍”と呼ばれるようになった。
しかし、現在。
相変わらず【擬態魔林】は定期的に発生するものの、“マウンズの十年禍”の脅威は薄れつつある。
主都マウンズを囲む森の中、2パーティーに分かれた12人の傭兵らによって【擬態魔林】が計6体(うち1体は他の魔獣と戦いすでに討伐済扱いになっている)が見つかった。
その日のうちに主都マウンズの軍部と傭兵ギルドが協力して周辺2キロほどを封鎖し、一般人の被害者は過去低記録を更新して最初に発見された狩人が2人(と犬が5匹)に留まった。
被害者が見つかった時点で傭兵ギルドの上層部が【擬態魔林】が発生していると予測し、予め“黄煙を確認し次第対応してもらいたい”とマウンズ軍部に通達していたこともあり、軍部からの討伐依頼の受注もスムーズであった。
そのため【擬態魔林】が確認された次の日には【擬態魔林】討伐の仕事は掲示板に貼り付けられ、多くの傭兵、狩人、そして一般人も“マウンズの十年禍”が起ったことを知ることができた。
ネームド魔獣である【擬態魔林】の討伐は、傭兵は参加するだけで銀貨5枚が確約される。討伐の仕事全般で言えることだが、参加するだけで報酬が発生するのは異例である。
擬態系魔獣ということで1体“見つけた”時点で見つけた者に銀貨5枚、さらに討伐すれば1体につき一人あたま金貨10枚が追加で支払われる仕組みである。
つまり【擬態魔林】討伐に参加し、1体でも倒せば金貨10枚と銀貨5枚が手に入る。
苦戦しているパーティーに助けに入った場合も報酬が別途支給されるので、1体倒したあとに体力に余裕があれば他の【擬態魔林】を探して森を捜索してもいいだろう。
報酬につられて多くのランクC傭兵たちが受注窓口に群がったが、装備が整ってない者や霊獣化の使えない獣人などもいたため傭兵ギルド側が精査し、バランスなども考慮した結果、最終的に各ランク合わせて30数名の傭兵がこの仕事を受けることになった。
相手はネームド魔獣ではあるが、“移動しない”魔獣であるため難易度はどちらかと言えば低いほうに分類される。
【擬態魔林】の最低受注人数は、ランクBであれば4人。ランクBとCの混合パーティーの場合は、ランクBが2人ならランクCは4人、ランクBが3人ならばランクCは2人である。
ただしそれは擬態木との戦闘経験がない場合であり、主都マウンズを拠点とするランクB傭兵のなかで擬態木と戦ったことのない者は皆無で、実際はもう少し人数を減らすこともできる。
ランクB傭兵2人とランクC傭兵3人を基本の形として傭兵ギルド側がパーティーを構成し、6パーティーができた。各パーティーには必ず擬態木の討伐経験者と獣人が1~2名入るようにし、獣人には【擬態魔林】の“発見”漏れがないよう傭兵ギルドから何度も念押しがなされた。
10年前後に1回発生する【擬態魔林】は、多い年でも15体に届かなかった。
傭兵の集まりが悪い場合は討伐に数日間を要した年もあったが、今回は傭兵6パーティーに加えて追加戦力として軍部から兵士も出るので、討伐に1日、倒し漏れがないかの確認にもう1日の計2日で今年の“マウンズの十年禍”は収束するだろうというのが、傭兵ギルドとマウンズ軍部の共通認識であった。
トーラムとサーディスも【擬態魔林】討伐に参加しているランクB傭兵である。
森を歩く2人の後ろには、前回【擬態魔林】を探して一緒に森を歩いたランクCの獣人らが4人ついて歩いている。
6人は、他の討伐パーティーに先行して森を進んでいた。彼らはすでに【擬態魔林】を何体も発見しているので、そのうちのどれか一体を倒したあとは他のパーティーの補助や【擬態魔林】以外の魔獣が出た時の対処などを任されているのだ。
サーディスは森を歩きながら、先日、リネッタが言っていた話を思い出していた。
それは、トーラムとサーディスらが【擬態魔林】を探して森を歩き、狼に似た魔獣を倒した次の日の夜のことであった。
その夜はちょっとした事情があり、リネッタも含めた3人はトーラムとサーディスの部屋で夕食をとっていた。話のきっかけは何気ない会話の中でトーラムが【擬態魔林】の話を出したことだった。
「私も逃足鶏を見つける前に【擬態魔林】を見つけました。」
黙って話を聞いていたリネッタが、そう、ぽつりと口に出したのだ。
「そうか。」
「まあ、霊獣化が使える獣人なら見つけられるらしいからな。」
「俺らは全く見分けがつかなかったけどな!」
あごをぽりぽりかきながら頷くサーディスと、なぜか誇らしげに宣言するトーラム。
【擬態魔林】と何かが戦っただろう跡で見つけた小さな足跡のことは、2人とも口には出さなかった。
目の前の逃足鶏の内臓と香草の炒め物があまりにも旨すぎて夢中になっていたからではない。3人がいるのはトーラムとサーディスの部屋であり、他の客の耳を気にしたためでもない。
ただ、リネッタが自分から言い出すまでは2人とも何かを聞き出そうとは思わなかったからだった。
「動かないのでじっと観察していたんですが、そしたら、その根本から小さな虫みたいなのが這い出てきて。」
「小さな虫?」
「はい。でも、木に寄生する虫なら分かるんですが、魔獣に寄生するのは珍しいなと思って。あまりにもすばしっこくて、捕まえられなかったのが残念ですが。」
「い、いやいやいやいや。」
「危ないからやめてくれ。」
リネッタの言葉を、トーラムとサーディスは全力で否定する。
魔獣に寄生しているかもしれない虫を捕まえるということは、【擬態魔林】に近寄るということである。
たかだか珍しいだけの虫を捕まえるのに、そんなリスクを冒す必要は全く無い。というか、すでに捕まえようとしていたのだろうと予測もできたが、それについては突っ込まないでおくことにした。
「でも街に帰ってきてから【擬態魔林】の話を聞いて、なんで10年に1度しか現れないのかまだ分かってないって聞いて、やっぱりあの虫が気になって。」
「魔獣の発生に理由なんてあるのか?」
「魔獣は魔獣の巣から出てくるもんだよな?」
「でも、【擬態魔林】は“動かない”わけですよね。擬態木は移動するので分かるんですけど、動けない【擬態魔林】はどうやって魔獣の巣から出てくるのか、不思議じゃないですか?」
「あー……言われてみれば、まあ、そうだよなあ。」
「動けない魔獣がいきなり発生する理由か。」
そう考え始めたトーラムとサーディスを観察するように見つめるリネッタ。
色々と思考をめぐらしながらも、サーディスの頭には、リネッタがさらに深く【擬態魔林】の発生について知っているのではないか?という疑問が浮かんでいた。
さすがに全て知っているわけではないだろうが、もしかしたらリネッタの中ではある程度予測ができているのかもしれない。
シルビアならば何も考えずに突拍子もなく話しそうなものだが、今、2人と話しているのはリネッタである。虫の話を出したのは、何かしらの理由があるのかもしれない。
とはいえトーラムもサーディスも【擬態魔林】の名前すら数日前に聞いたばかりなのだ。魔獣について調べている専門家ならまだしも、リネッタが導こうとしているかもしれない答えに近づけるわけがなかった。
結局その晩に出た結論は、逃足鶏はびっくりするほど旨いということだけだった。
「虫、か……。」
「え?何か言いました?」
サーディスがぽつりとつぶやくと、獣人の一人で4人のリーダー的存在の犬耳のセブルスがその声を拾ったらしく、そう声をかけてきた。
「あ、ああ。【擬態魔林】についてちょっと気になることがあってな。【擬態魔林】に寄生している虫がいるって話を小耳に挟んだんだよ。」
「寄生……って、魔獣に、ただの虫がですか?」
きょとんとするセブルス。
トーラムはその顔に苦笑しつつ、サーディスの言葉を補足するように続ける。
「ああ。なんでも、【擬態魔林】から這い出てきたのを見たやつがいるらしいんだ。」
「【擬態魔林】から?」
「獣や魔獣に魔獣が寄生するってのは知っているんですが……魔獣でもない虫が魔獣に寄生かあ。」
「でも、普通の魔獣の肉も汚染されてるし、【擬態魔林】だって汚染されてる木材?になるよな?……普通の虫が食べるのかな。」
意外にも、獣人たちは興味をそそられたようだった。
その中で茶色い猫耳のアークが首を傾げながら「じゃあ、」と口を開いた。
「寄生してる虫が魔獣という可能性もあるんじゃないですか?
僕、全く違うタイプの魔獣が共存してる話、どっかで聞いたことありますよ!」
「虫も魔獣、か。」
「確かに木の魔獣を食う虫の魔獣なんてのはいるかもな。」
トーラムとサーディスも、なるほどと頷く。
この森にも木を食い荒らして枯れさせてしまう害虫がいるのだ、魔獣の世界にいてもおかしくはない。
リネッタが“見た”のも、そんな魔獣なのかもしれない。
いや、虫が魔獣となると、リネッタは魔獣と追いかけっこをしたということになるが……
しかもそれは先日の話であり、未だにこの森にはその魔獣もいることになる、ということだ。リネッタにすら捕まえられないほどすばしっこい、小さな虫の魔獣が。
「あー。」
サーディスはそれをここで言うべきかどうか少しだけ悩んだ。
しかし、いかにリネッタが規格外であろうが、普通の魔獣がリネッタ相手に逃げるわけがないだろう。サーディスはそう考えた。
それに虫の魔獣が本当に【擬態魔林】に寄生していたとしても、傭兵ギルドからはそんな情報は一切入ってこなかった。つまり、その虫の魔獣による森や人への被害が今まで確認されたことがなかったということだ。つまり、もし魔獣だったとしてもリネッタすら相手にできないほど小さく弱いということだろう。
サーディスはそう結論づけて、「その虫がもし魔獣だったら、今回の【擬態魔林】にも寄生してるかもしれないから気をつけような。」とだけ言った。




