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隣世界のリネッタ  作者: 入蔵蔵人
森の国のリネッタ
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閑話 傭兵ギルド直営宿の料理番の話 2

 10才の傭兵が誕生した。


 例え宿のただの受付嬢であっても、傭兵ギルド直営店で働く限りは全員が傭兵ギルドの職員扱いとなる。

 それは傭兵の秘密の厳守やら滞りない情報共有やらなんやらのためなのだが、つまり傭兵ギルドの職員が知っておかなければならないことは、例え直営宿のキッチンで芋の皮むきをしている者にでさえも必ず情報が回ってくるということだ。


 そしてその日、朝一番で回ってきたのがそれだった。


 その子どもの存在は前々から知っていた。

 名前は知らないが、森で2人組の傭兵に保護されたとかでこの宿にずっと泊まっていた少女だ。


 よく話す傭兵ならともかく、俺も他の料理人たちもランク未なんて特に気にしないのだが、その少女は特別だった。

 なぜならば、大食らいの獣人(ビスタ)でも2つは食べきれない“満腹おまかせコース”を5人前(・・・)、平気でぺろりと平らげるのだ。一体小さな体のどこにそんな量の飯が入るのかさっぱりわからない。腹が膨れた様子もないのだ。


 “満腹おまかせコース”はその名の通り、満腹になるためのコース料理であり、パンとスープの基本セットが2つに、大きなサラダボウルと作りおきの小鉢が3つ、そして一品料理が2皿もつく。

 ランクに関わらない定額での値段の高さもさることながら、一品料理は肉料理が圧倒的に多く、つまり肉料理が2つつくことが当たり前なそのボリュームには誰もが苦笑するしかない。


 それを多い時は7人前も食べた。目の前のテーブルに所狭しと並ぶ山盛りの食事を、休憩もせずにひたすら口に運び続けるのだ。

 しかもその表情はしっかりと食事を楽しんでいる顔であった。嬉しそうににこにこと微笑みながら、延々と食べ続ける。

 それはもう、食費も全額払っているだろう2人の傭兵が気の毒になるほどの食べっぷりであった。1人前でランクB傭兵がこの宿に一泊できるくらいの価格なのだ。それを夜だけとはいえ、毎日5人前は食べるのである。


 後から聞いたのだがその2人の傭兵はランクBであり、だからこそその少女を養えていたようであった。

 とはいえ毎日が莫大な出費ではあるので、森で大きな熊などの獣を狩っては自分たちで捌いて宿に直接卸すなどの工夫をしながらやりくりしていたようだった。


 それがとある日の朝から、突然少女の様子がおかしくなった。


 見るからに大人しくなり、片言だったのが普通に言葉を喋るようになり、そして食事の量が“普通”になった。朝も夜も、パンとスープの基本セットしか食べない。朝などはあっさりスープの方を頼むのだそうだ。

 気になりそれとなく食堂の方を窺ってみれば、髪の色がなぜか茶色から金色へと変わっていて、なるほど顔は変わらないのに雰囲気ががらっと変わっていた。


 もちろんギルド職員から傭兵への過剰な情報収集は禁止されているので、ギルド職員である宿の店員たちは誰も突っ込んで聞くようなことはしない。

 しかし見るからに食事の量が減ったので給仕の女性などはかなり動揺していたし、料理人の間でもかなり話題になった。

 そしてとどめの、“傭兵ランクを取得した”である。


 詳しい話は聞けなかったが、今まではどうやら事故かなにかの影響で記憶が曖昧になっていたのが、ようやく元に戻ったということ(?)らしい。

 しかも霊獣化(バーサーク)が使えて骨角猪(ボーンボア)を倒せる実力があるので、特別にランクFを取得できたとのことだった。

 “少女に霊獣化(バーサーク)について聞くことを禁ずる”という一文がまた余計に気になる。


 そんなことを考えていた矢先、その問題の少女が最初の仕事を終えて宿に戻ってきた。

 手には、一角兎(ホーンラビット)の肉。

 どうやら記憶が曖昧だった頃の食事の味はあまり覚えていないらしく、いろいろな食材を食べてみたいとのことだった。


 ちょうど一角兎(ホーンラビット)が持ち込まれたその日が当番だった俺は、その申し出を快く引き受けた。

 一角兎(ホーンラビット)は癖が強いが、親父の店でも出していたしそんなに難しい食材ではない。それに、今日の夜のうちに中鍋に仕込んでおけば明日の朝のスープで出せる。

 一角兎(ホーンラビット)の肉は精力がつくので、いつもの基本セットにほんの少し料金を足せば一角兎(ホーンラビット)のスープに変更できるとでもいえば頼む傭兵も多いだろう。

 俺は、少女が自分たちのぶんだけではなく肉をちゃんと全量持って帰ってきて、“持ち込みで料理してもらう場合には基本的に他の傭兵に振る舞うことが前提”だと知っていたのには驚いた。まあ十中八九(じっちゅうはっく)、保護者の入れ知恵だろうが。


 次の日の朝、俺の見込み通り、一角兎(ホーンラビット)のスープはあっという間に売り切れた。

 もちろん、朝のうちに少女とその保護者2人も食べた。

 少女の口には合わなかったようだったが、保護者2人は好物らしく喜んで食べていた。


 それからまた数日後、少女は今度は別の肉を持って帰ってきた。

 その数日後には、また別の肉。

 少女は少女が食べたことがないという様々な肉を持って帰ってきては、俺に調理を頼んだ。

 その中には保護者が好物だという一角兎(ホーンラビット)や、以前食べてから気に入ったのだろう大鍵尾リス(キーテイルスクイレル)もあったが、毎日パンを焼いてスープを煮るだけの生活だった俺にはちょうどいい刺激であり、料理人としての修行にもなったのでありがたかった。


 ありがたかったのだが……たまにとんでもない食材が登場することもあった。

 そう、今、俺の目の前に鎮座している逃足鶏(エスケープチキン)もその一つである。


 いつもどうやって獲っているのか分からないが、少女が持ってくる肉はかなり状態が良い。たぶんきれいに殺しているのだろう。

 目の前の逃足鶏(エスケープチキン)も完璧な状態である。そう、手を出しにくいほどに。


「なんでこんな店でこんなもん調理させんだよ……」


 逃足鶏(エスケープチキン)は、高級食材である。そう、けして傭兵の口になど入らないほど高級品なのだ。

 青鉤鳥(ブルーホックバード)赤羽鳥(レッドビーク)と並ぶ三大珍味鳥のひとつ、逃足鶏(エスケープチキン)

 俺は親父が祝いの席に持ち込まれたこれを調理しているのを見ていたことが数回だけあるが、実際に手を付けるのはこれが初めてだし、まさかこの店で自分がこんな高いものを触る日がやってくるとは思わなかった。


 本来ならば狩人ギルドなどを通して然るべき場所に卸されて完璧な調理を施され、高い値段で提供されるはずの高級食材。

 まあ、傭兵ギルドにそんな繋がりがあるとは思えないが、それでも絶対にギルドに売っぱらったほうが儲かるはずだし、こんな中途半端な料理人しか居ない店で調理するものではない。


 俺はそう少女に伝えたのだが、彼女から帰ってきた言葉はただ一言、「食べてみたいので。」だった。


 唖然とした。

 この少女は自分の儲けよりも食欲を選んだのだ。

 食べる量は減ったが、それでも食事に対して並々ならぬ思いを、俺は確かに感じた。


 そしてその思いを伝えられた今、俺にはこれを調理して、料理にしなければならない。

 親父がどの香草を使っていたのかは大体覚えている。そもそも逃足鶏(エスケープチキン)はくさみがまったくなく、そこまでドバドバ香草を入れるというよりも素材本来の味を楽しむものだったはずだ。

 つまり、いかに柔らかく、いかに旨味を出してやるかがキモになってくるわけだ。


 これは、この仕事は、絶対に俺の身になる。

 俺が料理人として一皮むけるための試練でもあった。


 そうして結局俺は夜半過ぎまで逃足鶏(エスケープチキン)の仕込みをし、その後は宿の職員の仮眠用の狭い部屋で寝た。


 夜遅くまで起きていたというのに、次の日の朝は早朝に目が覚めた。

 2時間も寝ていないのではないだろうか。興奮して眠りが浅くなっていたのかもしれない。

 しかし、そのおかげで仕事に遅刻することもなく、俺はパンといつものスープの仕込みをしつつ、逃足鶏(エスケープチキン)を煮込み続けた。


 キッチンに充満する得も言われぬ芳醇な肉の香りに、他の料理人や下働きがチラチラと鍋に視線を向けている。

 僅かな空き時間を見つけては必死にアクをとったので、そのスープは他のスープとは違いほぼ濁っていない。もちろんつきっきりでやればもっと透き通ったものになっただろうが、朝は様々な仕込みで忙しいので、そんな暇がなかったのが多少残念だった。


 スープの味見をした俺は、言葉を失った。


 濃厚な肉の味が染み出したスープだったがけしてしつこくはなく、鼻から香ばしい匂いが抜けていく。

 肉の破片は普通なら溶けるか固くなるかというほど煮込んだのに柔らかい中にほどよい噛みごたえを残していて、噛めば噛むほどに肉の味がして飲み込むのがもったいないほどだ。


 親父が調理したなら、きっともっと旨くなるのだろう。

 しかし俺は今、自分の作り上げたこの料理に満足できていた。

 こんな機会を与えてくれたあの少女に感謝しなくてはならない。


 あまりの逃足鶏(エスケープチキン)のスープの旨さに、俺は半ば溶けるような思考でそう思った。

 その姿を見ていた他の料理人にも僅かずつスープをおすそ分けし、全員が「これ、値段どうするんだよ。」となったのは言うまでもなかった。


 結局、逃足鶏(エスケープチキン)の価格は銀貨2枚となった。高級店ならば金貨1枚はくだらないだろうが、これは傭兵によって持ち込まれた、いわゆる“タダでもらった”食材であり高い値段で出せるわけもなかったのだ。

 それでもギルドの直営食堂で一品料理ですらないスープが一皿銀貨2枚というのは、近年稀に見る高値であることは確かだった。

 もちろん肉を持ち込んだ少女とその保護者2人は無料であるが。


 朝、保護者2人と食堂が開く前に降りてきて待ち遠しそうに待っていた少女は、そのスープを口に含んだ瞬間、満面の笑みを浮かべた。そして聞いたものをとろけさせるような可憐で可愛らしい声で、「しあわせ。おいしい。」ともらした。

 その隣では保護者2人が少女の言葉にうんうんと頷きながら、大事そうに一口一口スープを食べている。


「お前、ほんとすごいよ。こんな料理、死ぬまでに1回食べれたら良い方なんだぞ。」

赤羽鳥(レッドビーク)はそれでも市場に出回ることもあるが、こいつは狩人ですら仕事を受けないって話だからなあ。」

「まさか、ギルドの直営宿(こんなとこ)で食えるとは思ってもみなかったよ。」

「お貴族さまの食いもんだからなあ。」


 そんなことを口々に言っている。

 こんなとこ、と言われたが悪い気はしなかった。俺だって、傭兵専用の食堂(こんなとこ)逃足鶏(エスケープチキン)を調理する日がやってくるとは夢にも思っていなかったのだから。


 その後、どこからか逃足鶏(エスケープチキン)の話を聞きつけてきた傭兵たちで食堂は溢れかえ……ることはなかった。

 当然だ。獲れたのは一羽だけでありスープの量は限られている。それにギルドの職員は誰も直営宿に逃足鶏(エスケープチキン)が持ち込まれたなんてことは言わないし、当然メニューの看板にも書かない。


 だからそのことを知っている傭兵も開店直後辺りにそわそわしながら宿に入ってきて、小さな小さな声で給仕の女性に「アレはあるか?」と聞いていた。

 少女とその保護者の知り合いであるらしい(ヒュマ)が2人と獣人(ビスタ)が4人のパーティーらしき傭兵たちもいたが、そんな傭兵たちにまぎれて傭兵ギルドの職員の姿もあった。まあ、しょうがないだろう。ここに逃足鶏(エスケープチキン)のスープがあるのが悪いのだ。


 そんなわけで、朝、食堂が開店してから1時間ほどで逃足鶏(エスケープチキン)のスープは完売した。食堂が開くのが朝の6時前後で、普段傭兵たちが朝食を食べるのが朝の7時前後なので、逃足鶏(エスケープチキン)を食べられた幸運な傭兵たちは他の傭兵たちからやっかみを受けることもなくそそくさと立ち去ったのだった。


 俺はそんな傭兵たちをどこか微笑ましい気持ちで見送っていることにはたと気づき、自分自身の心情の変化に驚いた。

 傭兵はがさつで、粗暴で、教養がなく、酒癖が悪くて、乱暴で、女癖も悪く――などと決めつけていた、宿場町で働いていたあの頃の俺には絶対に浮かばなかっただろう、思い。


 もちろんここで働きながら傭兵たちと多少なりとも交流を持ちある程度考えが変わっていたこともあるが、それでも今まで悪いイメージしかなかった傭兵に対して“微笑ましい”だなんて考えは今までになかったものだった。

 たしかに傭兵の大半はがさつで粗暴だが、出来る限り傭兵ギルドが決めたルールの枠の中から出ることがないよう努めている、気さくな連中なのだ。それがなんとなく分かった気がしたのだ。


 そろそろ、別の店で働いても良いかもしれない。


 俺はそう思い始めていた。

 この数年で、傭兵のことはある程度理解出来たと思う。しかしここでは、まともに料理の修行ができないのだ。

 他の店に移れば皮むきなどの下っ端から始めさせられるかもしれないが、それでもいいとまで考えれるようになっていた。

 肉を持ってきてくれていた少女には悪いがこの宿には他の料理人もいるのだし、肉を料理するのが俺でなくてもいいだろう。


 夜にはまた、逃足鶏(エスケープチキン)の料理をこっそりと出す予定だ。

 香草と内臓の炒め物で、これは俺のオリジナルだが少女を喜ばせる自信作でもある。ただし食べられる内臓というのは肉よりもかなり量が少なかったため少女と保護者2人のぶんしかできず、残りは料理人と下っ端で食べてしまうことにした。


 内臓というものは基本的に捨てるのだが、逃足鶏(エスケープチキン)は何を食っているか知らないが内臓ですら旨かった。

 いつも内臓を抜いた肉を持って返ってくるのに、逃足鶏(エスケープチキン)だけは内臓がしっかり残っていた理由は間違いなくそれであり、傭兵ギルドの解体窓口の誰かが手回ししたに違いなかった。

 (後から直接本人に聞いたのだが、犯人は薬草買い取り窓口の名物おばちゃんで、いつの間に来店したのかちゃっかりスープを食べていたのには驚いたが。)


 さて、次はどの店で働こうか。


 昼過ぎ、俺はいつものスープの追加分を煮ながら考える。

 まだ、宿場町のあの店に帰るのは早い。少なくともあと数年はいろいろな店を点々としたい。


 考えてみれば、このギルドの直営食堂には長く居すぎた気もする。

 しかしそのおかげで逃足鶏(エスケープチキン)なんていう高級食材を調理する機会をもらえたのだから、それはそれでよかったのかもしれない。


 欲を言えば、次は狩人たちがよく食べに行くという安い食堂で働きたい。

 そして宿場町に帰る直前あたりには、一回くらいは高級店での修行も経験しておきたい。

 夢は広がるばかりだった。


 この傭兵ギルドの直営食堂には、いろいろな意味で本当にお世話になった。

 感謝しながら、次の仕事を探そう。

 俺はそう決心して、昼の空いた時間の昼食の時間に足早に傭兵ギルドへと向かったのだった。

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