リネッタの一日 1
その存在にはずいぶん前から気づいていた。
それこそリネッタの意識が回復してふた月ほどが経ち、シルビアが自由に森に出ることができるようになったあたりから“それ”がそこにいることを知っていた。
しかしその時の“それ”は土の下でじっとしているだけで完全に無害であり、シルビアが近くを通っても全く反応しなかったのでシルビアも私も放置していたのだ。
それが今日たまたま近くを通った時に変化を感じたので、なんとなく近づいてみたのだ。
空間把握の魔法(狭)にひっかかったのは以前感じていた小さな魔獣の気配と同じものではあった。しかし、それをとりまく環境が全く違うものになっていた。
その魔獣はいつの間にか近くに生えていた木の一本を掌握し、枝や根を自在に動かして獣を襲うようになっていたのだ。
元々そこに生えていた木を操っているので、見た目や触った感触は本来そこにあった木のままだ。
ただし実際には内部が魔獣に掌握され、魔核に汚染された木はすでに自然のものではなくなってしまっていた。手触りは同じでも、その枝や根は普通の木ではあり得ないような動きができるようになっていた。
それは、魔獣の肉が魔核に汚染されるのと同じ現象であるように思えた。
しかも木を操っている魔獣とは別に、木そのものにも新たに小さな魔核が出現していた。その魔獣は自らの魔核で木を汚染することによって、新たな魔獣を作りあげていたのだ。
シルビアには、魔獣化してしまった木の魔核の位置はすぐに分かる。しかし空間把握の魔法を使わなければ、木を操っている本体を見つけるのには時間がかかるだろう。
それほど最初からそこにいた魔獣は小さく、弱々しかった。
擬態を得意とする魔獣の中でも、木に寄生して魔獣化させてから操るというのは珍しいタイプと言える。
しかも自身が危険だと悟るとすぐに逃げるのだ。魔獣に逃げられた木にはすでに新たな魔核があり、その木は以降、当たり前のように木の魔獣として襲い掛かってきた何かしらを迎撃するようになる。
そして逃げた魔獣のほうは、木の魔獣が敵を迎撃している間にこっそりと手近な別の木の根に潜り隠れてやり過ごそうとする。
無害だった時間があったことを考えると、木を掌握するのに多少なりとも時間がかかるのかもしれない。他の木に隠れた魔獣はじっとして動かず、私が立ち去るのを待っているようだった。
まあ、そうは問屋が卸さないわけで、私からバトンタッチされて戦っていたシルビアが次々と魔獣の隠れる木を見つけてはかち割り、引っこ抜き、木っ端微塵にして小さな魔獣が慌てて別の木に隠れるというのをしばらく繰り返していたが、最後は飽きたシルビアが逃げる魔獣をプチっと踏み潰して不毛な追いかけっこは終了した。
しかし、この小さな魔獣はこの周辺にまとまって複数いることを私もシルビアも知っている。
つまり、今倒したように凶暴化(?)している個体が他にもいるかもしれない、ということだ。
そしてそれは的中していて、案の定、周辺の擬態した魔獣も枝や根を使い獣を襲っていた。しかも獣の体液を吸ったあとはその死体を遠くへ放り投げるとかいう工作までしていた。
魔核の小ささのわりに、なかなか知能の高い魔獣もいたものである。
……と私が考えていると、シルビアから意外な言葉が飛び出た。
(オヤ。メイれい。)
「親?」
(こ、タベる。オヤ、つよイナル。)
シルビア曰く、こういう極小の核しか持たない小さな魔獣は知能を持たず、何かしらの意思に従って動いている場合が多いらしい。しかも群れ単位で動いていることを考えると、その可能性がかなり高くなってくるらしい。
つまり木に寄生して操り、獣などを狩ってある程度力を貯めたら親の住処に戻って、親の餌になっているのだろうとのことだった。
魔獣は、魔獣を食べることで成長する。
最初は小さな魔核しかなくそこら辺のウサギにさえ気づかない間に踏み潰されてしまいそうな魔獣でも、力を蓄えることはできるし弱いからこそ獣を襲ってある程度成長することもできる。
獣を襲って成長した小さな魔獣は、次第に強い獣や魔獣を襲うこともできるようになる。そうやって魔核がある程度育った子飼いの魔獣は親元に戻り、無抵抗で親に喰われる。
それを繰り返すことで、親と呼ばれる魔獣は力を強めていく。
シルビアだからこそ知っている魔獣の生態のひとつなのだろう。
「てことは、親を倒さないと増え続けるってこと?」
(タべル、ウム、おなジ。)
「なるほど。うーん……」
シルビアいわく、子飼いの魔獣は育ったぶんから親に喰われるため一定数以上は増えないそうだ。
たぶん森の奥の方にあるという魔獣の巣の中にでも親は隠れているのだろう。魔獣はそこから出てくるのだと、以前トーラムやサーディスに聞いたことがあった。
ああ、面倒くさくなってきた。
「まあ、私が何とかする問題でもないし。」
私はそう結論を出して、その魔獣については放置することにした。木の魔獣は移動できないので、近づかなければ襲ってこないのだし。場所さえわかっていればこれまで通り(私には)無害だ。
小さな魔獣は移動して木の魔獣を増やすかもしれないが、他の木に取りついている間に木の魔獣のほうは傭兵にでも見つかって適宜討伐されるだろう。
つまりあの魔獣は、一応はこの森と共存関係にあるということだ。もちろん人々にも被害はあるだろうが、被害が拡大すれば国や傭兵ギルドが討伐隊を組むなりなんなりして対処する問題で、そこに私の出る幕はない。
そう、今日、森の奥に来たのには別の目的があるのだ。
一昨日、傭兵ギルドの報酬窓口で、なかなか獲れないが美味しいお肉がこの森の中腹に生息しているという情報を手に入れたのだ。
なのでずっと魔獣なんかをかまっているわけにはいかないのである。
美味しいお肉の名は、“噛みつきもぐら”。
土中に巣を作る鳥や兎などの小動物を主食にする、肉食の大型のもぐららしい。
兎の巣穴かと思って不用意に噛みつきもぐらの掘った穴に手を突っ込んでしまうと指を噛みちぎられてしまうくらいには、そのもぐらは凶暴だという。
しかしその味は癖があるものの煮込めばホロホロと口の中で解け、脂はこってりとしていてスープを絶品にするというのだ。
肉食であるため肉は臭いが、そこはマウンズの森に山ほどある香草の出番だ。きっとプロの手でうまく調理されるのだろう。
そのもぐらは私がたまに納品する一角兎をも食べるのだが、サイズ的には一角兎と同じ10キロ前後だそうだ。大きいものだと15キロはあるらしいが、小さく若いものほど肉が柔らかく美味しいらしい。
10キロの一角兎だと、内臓を除いた可食部は多くても3キロほど。つまり、同じか少し小さいくらいの噛みつきもぐらを捕まえればいいだろう。
そんな算段をしながら噛みつきもぐらを探して森の中を歩くが、これがなかなか見つからない。
地中に意識を向けることに慣れていないのもあるし、そもそも空間把握の魔法は大気の魔素と自らの魔素を馴染ませて使う魔法なのでそこまで地下を把握することができないのである。
空間把握の魔法(狭)の場合、足元から真下になら数メートルは把握できるが、そこから半径10メートルほどのすり鉢状の範囲しか分からない。地上は500メートル先まで分かっても、地下はそんなもんなのである。
と、私の空間把握の魔法(狭)に、初めて感じる何かがひっかかった。地下ではなく、地上だ。
大きさ的には大きめの一角兎だが、二本の細い足で立っている。あれは――鳥だろうか?
飛ぶ気配はないが、走って移動するタイプの鳥にしては生息域が森の奥すぎる気もする。このあたりには肉食獣も多いし、地下にも肉食のもぐらがいる。迷い込んだにしては隠れているわけでもなく、地面の何かをついばんでいるようだった。
私は一角兎以降、初めて見かける小動物はできるだけ狩って傭兵ギルドに納品していた。もちろん、美味しいお肉を探すためである。
当然その中には全く役に立たない二束三文なやつもいれば、実は毒を持っていて毒袋のみ高値で買い取りしてもらえたものなど、完全に食べるのには不向きなものもいたが、なかなか美味しいものもいた。
ちなみに一角兎のシチューだが、肉の味はあまり好みではなかったもののトーラムとサーディスの好物らしいので毎回肉だけは持ち帰るようにはしている。
初めて見る、まるまるとした黄色い鳥。
鳥系は羽をむしるのが恐ろしく面倒なのだが、美味しい確率が高い。これはもう噛みつきもぐらを諦めてあいつを狩るしかない。きっとこの出会いは運命だ。
噛みつきもぐら探しに飽きていた私は、早速隠遁の魔法でその黄色い鳥に近づいて、さくっと気絶の魔法で気絶させたのだった。
いつも使っている小川はここから少し遠いが、まだ日は高いので早足で向かえば血抜きするくらいの時間はあるはずだ。羽は……まあ面倒くさいし、多少時間はかかってもギルドに全任せすることにしよう。手も痛くなるし、精神的にも疲れるし、面倒くさいし、うん。
気絶した黄色い鳥はまるまるとしていたが、思いの外軽かった。羽毛でもっこもこなのだろう。
朝から無駄に魔獣と戦い、その後は噛みつきもぐらをさがしてずっとウロウロしていたので、この後薬草を摘まなければならないことを考えるとこの鳥を冷やしている間に薬草を摘まなければならないだろう。
他の野生動物に持っていかれる可能性があるので召喚獣に見張りでもさせておけばいいか。
小川に着いた私はさっさと鳥の首を深く切りつけ、小川の深いところに浸けた。
しかしそこで問題が起こった。
鳥が流されてしまわないように石にくくりつけている最中に、知らない傭兵のパーティーが近づいてきたのだ。
ここの河原は見晴らしがよく、私の空間把握の魔法(狭)の最大範囲である500メートルくらいなら余裕で目視できる。遠くから私を見つけて、近寄ってきたのだろう。
「……お前、最近うわさの。」
大柄な人のおっさんの第一声がそれだった。
私は、マウンズではフード付きのローブを羽織っていない。シルビアから私に戻った時に頭が混色に戻ったのだが、誰もが特にそれを気にするふうでもなく普通に接してくれるからだ。
とはいえ、“最近うわさの”とは一体どんなうわさなのか。
まあ、10才で傭兵になったのだから多少話題になってもしょうがないのかもしれないが。
私はそんなことを考えながら、「こんにちは。あの、何か……」と先頭に立っていたその人のおっさんに視線を向けた。
「ああ、いや。」
と、人のおっさんが言葉を濁す。
その間に後ろを見てみると、きょとんとした顔の若い獣人の男女が4人と、おっさんよりかは多少若い人の男が立っていた。人が2人と獣人が4人、十中八九、何かを討伐しに行く最中の傭兵のパーティーだろう。すでに昼を回っているので、これから討伐するにしては少し遅い気もするが。
「遠目に子どもが見えたから注意しに来たんだが……子どもは子どもでも、ちゃんとした傭兵として仕事をしている子どもだったんで安心したところだ。」
おっさんは肩をすくめる。
ああ、まあ、たしかに森の中腹あたりの川で子どもが遊んでいたら、普通は驚くか。
私はなるほどと納得し、言葉を返した。
「……はい。薬草を摘みに来たのですが、見たことのない鳥がいたので捕まえたところです。」
私の言葉にもう一人の人の傭兵が小川を見やり……「おお!」と声を上げた。
「逃足鶏じゃないか!」
「何っ!?」
私に話しかけてきた人のおっさんも目を丸くして、小川で血抜き中の黄色い鳥に目をやった。
「おお、本当に黄色いんだな……。」
「絵を見たことはあったが……まさか実物を見れるとは。」
なぜか人の2人はどこかしら感動に近いものを感じているようだった。そんなに珍しい鳥なのだろうか?
後ろの若い獣人たちはよくわからないらしく、きょとんとしたままだ。
「珍しいんですか?」
「珍しいも何も、俺は長年マウンズで仕事をしているが、調理されてない実物を見たのは初めてだな。
なんせこいつは俺たちランクBの傭兵さえ入るのを躊躇うくらい森の奥でしか獲れない上に、魔獣からすら走って逃げるって話だからな。」
ほうほう、“料理されてない実物”ということは食べられることは確かだろう。しかもこの驚きようは、この黄色い鳥がかなり美味しいということだろうか?
私は“ランクBの傭兵さえ入るのを躊躇うくらい森の奥でしか獲れない”という言葉は聞かなかったことにして、「そうなんですか。」としれっと答えた。
「バーナー先輩、逃足鶏ってなんですか?」
と、獣人の一人が人のおっさんに聞く。おっさんの名前はバーナーというらしい。先輩ということは、この若い獣人たちはランクが低いのだろうか。
「マウンズの珍味中の珍味だな。肉がえらく固くて焼いただけじゃあ噛み切れないし食えたもんじゃないんだが、煮込むと程よく噛みごたえが出てなあ。
干し肉にしてから湯で煮戻しただけでスープが絶品になるんだ。しかもどれほど煮ても煮崩れることもなく、噛めば噛むほどに旨い。」
「へえー!」
「美味しそうですね!」
バーナーの言葉に、獣人たちが歓声を上げる。しかし、すぐにもう一人の人の男が、「まあ、そのぶん高いけどな!」と水を差した。
「三大珍味鳥ってのがあってな。有名どころでいえば赤羽鳥くらいは知ってるだろ?
んで、残りの2つが、青鉤鳥とこの逃足鶏だ。」
「赤羽鳥は知ってます。僕、ラウド国出身なので、お祭りの時に食べたことがあります。あんなに旨い鳥が他にもいたんですね、しかもこの森に。」
「いることにはいるんだ。だが、さっきも言ったように森の奥にしかいない上に足も早いから捕まえようなんて思うなよ。お前らみたいなひよっこじゃあ、見つける前に魔獣の餌になる。こいつらが生息している地域には、俺たちでも危険な魔獣が徘徊してたりするからな。」
「……じゃあ誰が捕まえるんですか?」
「旨い肉を狩る専門の“美食家”っつーパーティーがあるんだよ。ランクは全員Bで、相当の手練ばかりらしい。指名するには相当の金もいるし予約は年単位で詰まってる、まあ、言わば貴族様御用達の傭兵だな。」
「へえー!初めて聞きました!」
三大珍味鳥!?なんという甘美な響きだろうか。
私は会話を聞き流しながら、心の奥の大事な記憶を入れる引き出しに青鉤鳥という名を刻み込んだ。
「んで、その森の奥にしかいない逃足鶏を、どうやって捕まえたんだ?」
と、獣人の一人が首を傾げた。傭兵らの視線が逃足鶏から私に集まる。
うん、まあ、話の流れからそうなることは予想できたけど。
どうやってっていっても、こっそり近づいて気絶させただけである。
「えっと。」
と私が困った顔をすると、すぐにバーナーという傭兵から助け舟が出された。
「やめとけやめとけ。こいつは一角兎も無傷で納品する凄腕の狩人らしいぞ。それ以外の納品でもかなり上品質なものを納品してると聞くし、そりゃあ俺だって気にはなるが、そういうのを聞くのは野暮だ。」
その言葉に獣人一同が驚いたように「えっ?」「は!?」「偶然じゃ?」などと口々に声を上げた。
「狩りの技術は、凄腕の狩人ほど話したがらないものさ。」
もうひとりの人の傭兵も、バーナーに同意するように続けた。
獣人たちは納得いかない顔だったが、先輩にそう言われてしまえば食い下がれないのだろう。しぶしぶ口を閉じたようだった。
人の傭兵2人が私のことを知っていたようで助かった。
説明しろといわれても、安らぎの干し花と同じで説明のしようがないのである。
私は見た目が獣人なのだから、びりっとする魔法陣で気絶されたことにもできないのだ。
しかし、なぜかこの傭兵らの中での私の立ち位置は“狩人”らしい。
まあ、ギルドの仕事がないので納品ばっかりしているのだ。確かに傭兵というよりは、今の私は狩人に近いかもしれない。
「あの遠くに見える赤い煙や黄色い煙には近づくなよ。」
「はい。」
「んじゃ、気をつけて帰れよー。」
バーナーは私が子どもではあるがランクを持った傭兵だと知って納得したらしい。
もう一人の人の傭兵と話し、遠くに見える煙について注意した後、4人の獣人の後輩を連れて森の中へと消えていった。
森の中から上る色付きの煙は、その近くで魔獣の目撃があったりしたときに使う緊急の警戒煙だと聞いたので、誰かがそこで魔獣と戦っているのかもしれない。
もしかしたら例の木の魔獣かもしれないが、私にはもう関係ない話である。
そう考え、残りの時間を薬草を摘むことに費やし、私は街へと帰った。




