トーラムとサーディスの一日 5
最終的にトーラムらのパーティーはそれからさらに2本の【擬態魔林】らしき木を見つけ、全てに赤い印を付けて黄色い警告煙を上げ、街へと引き返すことにした。
最初に見つけた(?)大惨事現場にいただろう【擬態魔林】は倒されていたので報酬が出るかは怪しいが、それでも全てが本当に【擬態魔林】ならば一人につき金貨6枚のぼろ儲けである。
心なしか、獣人たちの足取りは軽い。緊張感もとっくの昔になくなっていた。
しかしその帰り道、【擬態魔林】の範囲を出たあとで事は起きた。
トーラムとサーディスの目の前には現在、蝙蝠のような翼のはえた狼型の魔獣が立ちふさがっている。体が大きく見えるのは背中に翼があるせいで、実際の体長は2メートルくらいかなとトーラムはあたりをつける。
茶色い毛並みに、黒い翼膜。トカゲのような鱗の並んだ太くて長い尾が特徴的だった。
鋭い牙の並んだ口からは長い青い舌が垂れ下がり、既に何かを食い破ったあとなのかその周りには赤い血がべっとりとついていた。
“傭兵ギルドに完了報告するまでが仕事”
そんな傭兵の基本さえ金貨6枚に浮かれていた獣人たちは忘れていたようで、4人は唐突に現れた死の冷たい空気に震え上がってしまっている。
対してトーラムとサーディスは森を歩きながらもちゃんと魔獣の接近に気づいていたし、獣人たちが気づかない間にすでに戦闘態勢に入っていた。
そこがランクBとCの決定的な差であり、ランクBを目指しているというこの若い獣人たちも見習わなければならないところなのだが、今は悠長にそんな説教を垂れ流している場合でもないので、トーラムは魔素クリスタルを割りつつ後ろで固まっている獣人に落ち着いて指示をする。
「霊獣化で戦えそうなやつは合わせるからやってみてもいいぞー。」
しかし4人が頷くことはない。それどころか返事さえ返ってこない。
サーディスは呆れつつも、どこか慣れたように続けた。
「戦えないなら4人でお互いの身を守りつつ、周囲に他の魔獣がいないか気を配っててくれ。逃げる必要は、まあ、今のところはないな。」
それだけ言って、魔獣に視線を戻す。
魔獣は、グルルと唸りながらじっと6人を見据えている。
トーラムは魔獣をざっと見て、魔獣にしては危険性は低いとも考えていた。
この魔獣は、いきなり襲いかかってこないところから見ても、満腹ではないにしろある程度腹が満たされているのだろう。
こちらが6人もいるのに不意打ちもせずのっそり目の前に現れたということは、何かしら余裕があるということだ。
よほど自分の見た目に自信があって堂々とした登場で怖がらせて戦意を喪失させたいのか、それとも、ついさっき同じような傭兵のパーティーを餌にして自信がついたばかりなのか……前者であることを祈るばかりである。
まあ、魔獣から見ても、トーラムとサーディスの後ろで震えている4人の獣人は戦える状態ではないのだろう。魔獣はトーラムとサーディスに狙いを定めたようだった。
トーラムとサーディスを殺せば、あとは逃げ惑う獣人を追いかける楽しい狩りになるとでも思っているのだろうか?
いや、それは考えすぎか。魔獣の巣から追い出されるような魔獣に、そこまでの知能はたぶんない。
そもそも背中の翼は広げればゆうに5メートルを超えそうな大きさだ。この森の中では周囲の木のせいで満足に広げられず、逆に動きの邪魔になるのではないだろうか。
この森は鬱蒼とはしていないが、魔獣が飛び回れるほどのスペースはない。バランスを取るのには便利かもしれないが、それにしても森が得意な地形でないことは確かだろう。
つまりトーラムとサーディスにとってこの魔獣は“普通に倒せそうな相手”であり、油断はしないが恐怖の対象になることもない。もちろん遭遇したのが平たい土地で同じ魔獣が数匹の群れになっていれば話は別だが。
獣人らは逃さなくても大丈夫そうだ、むしろ一緒に戦って経験を積ませるべきではないだろうかと、トーラムはサーディスと同じ結論を出した。
「おいおいよく見てみろよ。顔は怖いし翼も生えてるが、大きさはでかめの骨角猪くらいしかないだろ。
そりゃ魔獣なんだから骨角猪よりも遥かに強いし噛まれたらそれなりに腕がちぎれるかもだけど、相手は背中に邪魔にしかならない翼を背負ってるし、森の中ならお前らのほうがやや有利だぞ? そんなビビってないで周囲の見張りくらいはしてくれよー。」
サーディスが魔獣を観察している間、トーラムはそう言って獣人たちに発破をかけていた。
「それなりに腕がちぎれるってなんだよそれ。」
話を聞いていたサーディスが呆れた声でそう言うと、トーラムは「さあな。」と答えた。
雰囲気は真面目なのに、話している内容はどこまでも緊張感のない2人である。
魔獣はそんなトーラムとサーディスのやり取りを黙って見ていた。
言葉を理解しているわけではない。自分を怖がらないトーラムとサーディスに少し困惑しているのだ。
この狼の魔獣はトーラムの想像通り、魔獣の巣から逃げ出してきた魔獣のうちの一体だった。
森の奥深くにある魔獣の巣と呼ばれる地帯には、魔獣だけで生態系ができあがっているといってもいいほど魔獣が多く生息している。
この魔獣も、森の浅い場所まで出てきては討伐される他の魔獣と同じく、大きな魔獣からどうにかこうにか逃げ延びている間に魔獣の巣から出てしまったのだった。
魔獣の巣から離れると、そこは天国だった。
自分より弱い相手しかいないのだ。魔獣は運良く自らの脅威になるような獣に出遭うことなく森を徘徊し、たらふく野生の獣を食い散らかして自信をつけた。相手が魔獣でなければ自分は最強であると考えたのだ。
魔獣の巣で生まれ魔獣の巣で育った魔獣は、当然ながら人や獣人もちょっと毛色の違った餌としか認識していない。
しかし、他の獣が自分を見て逃げていったり決死の覚悟で戦いを挑んで死んでいったりしていたのに、後ろで震えている4匹は別として、この目の前に立ちはだかっている2匹の二本足の獣はまったく自分を怖がっていない。
それはまるで魔獣の巣で自分を餌にしている大きな魔獣のように、不気味に感じられた。
その2匹の餌の気配が変わる。
相手が戦う気になった、ということだろう。
2匹は角や爪とは違う見たこともない真っすぐの薄い牙のようなものをこちらに向けて悠然と構えている。
もしかしたらこの2匹はこの森の中でも強者の部類に入るのかもしれない。この2匹を食い殺して、後ろで震えている4匹も残さず腹に収めて、自分もこの森の強者になってやる。
魔獣はそう覚悟を決め、威嚇のために翼をやや低い位置で広げて牙を剥いて唸った。
「っと、くるぞ!」
そうトーラムが短く叫んだ直後、魔獣がサーディスに襲いかかった。
サーディスは魔法陣が発動した淡い黄色い光を帯びた剣を構え、応戦する。
魔法陣で耐久力と切れ味のはね上がった剣はたやすく魔獣の爪を受け流し、すれ違いざまに間近に迫ってくる硬い鱗に覆われた強靭な尾の一撃を剣のひと振りで半ばから切り落とす。
ギャンッ
と、たまらず魔獣が鳴いた。
尾の切断面から、びしゃりと橙色の血が飛び散る。
爪を弾かれて反射的に尾を振った魔獣には、なぜ尾が切れたのかが分からない。相手には角も爪もなかったはずだ。
もしやあの手に持っていたすぐに折れそうな長い牙のような何かが?と魔獣が後方のサーディスに注意を向けるのと、トーラムがサーディスとは反対側から赤く光の尾を引く剣で魔獣の翼の根本を切り裂きその片方を落としたのは同時であった。
魔獣が再び叫び声を上げ、大地を転げ回る。
下草や周囲の木が橙色に染まっていく。
こいつら、強い!
逃げなければと魔獣は思ったが、尾を切られたためか翼が片方ないからか体のバランスが取りづらく、森の中を走って逃げるのは難しいと早々に諦める。つまり、生き延びるためには最低でもこの2匹のうちの1匹だけでもいいから殺さなければならない。
魔獣は血走った目でトーラムを睨み、ありったけ魔素を込めて“吠えた”。
「っとと。」
ビリビリと大地と木々が震え、その圧でトーラムが少しよろめいた。
その隙きを逃すまいと魔獣がトーラムへと飛びかかろうとした瞬間、「2人まとめてしないと意味ないだろそれ。」というゆるいツッコミとともに、サーディスの剣が魔獣の後脚の片方を斬り落とす。
ギャゥン
飛びかかる勢いのままバランスを崩した魔獣が前につんのめってごろごろと転がった。
そうして転がった先には、すでに体勢を立て直したトーラムが待ち構えている。
「おつかれさん、っと。」
トーラムはそうつぶやきながら、ずばっと魔獣の首を切り落とした。
魔獣との遭遇戦は、そんなふうにあっけなく終わったのだった。
「思った以上に弱かったなあ。人を相手にすんのが初めてだったか?」
「かもしれんな。まあ、ラッキーだったってことで。」
ピンからキリまであるものの、魔獣は知恵を持っている。
知恵というのは、学習能力であったり、予測能力であったり、道具を使うことを覚えたりと様々だが、生まれたての魔獣や魔獣の巣から出たばかりで人との戦闘経験が全くない魔獣の知恵は、総じて低い。
逆に何度も人と戦っているような魔獣は戦うごとに知恵をつけていくため、特に一度でも負けを経験して生き延びた魔獣はずる賢くなっていく。
今回の魔獣は怪我などはしていなかったのに、どう見ても動きが悪かった。
戦闘経験自体が少なかったのかもしれない。
これならば野生の勘だけで襲い掛かってくる熊や大巻き蛇のほうがよっぽど強かったかもしれない、とサーディスは思った。
下手に知恵があるせいでうまくいかなくなるというのは、人でもよくあることだ。
基本的に、知恵がついて強くなった魔獣ほど今回のようにすっぱり体の一部を切り落とさせてはくれない。
当然、切り落とされないように注意しながら攻撃を繰り出してくるし、当たり前のようにフェイントを織り交ぜてくるし、剣の届かない遠距離から攻撃を仕掛けてくることもある。
知恵を付けた強力な魔獣は洞察力も高く、分が悪いと思えば問答無用で逃げ出すことも厭わないものもいる。
今回の狼の魔獣はそんな魔獣たちと比べるまでもないほど、明らかに弱かった。
トーラムが息絶えた魔獣の胸を割き、慎重に魔核を取り出す。
魔核は魔獣を倒したら何よりもまず先に取り出さなければならないものだ。
なぜならば、魔核がなくならない限り手足がなくなろうが頭がなくなろうが魔獣が動き始めることがあるからだ。どうにかするとアンデット化して、知恵がなくなる代わりに痛みも感じなくなりひたすら暴れたりもするらしい。
魔獣の体内から取り出された魔核は、濁った青い色をしていた。それを適当な石の上に置き、剣の柄を使い、砕く。
「よし。で、そこの4人、これ解体するのを手伝ってほしいんだが。」
と、サーディスが声をかけて、ようやく獣人4人は我に返ったようにぱちぱちと目を瞬かせた。
4人は恐怖も忘れ、トーラムとサーディスの戦いを夢中になって見ていた。
時間にすれば、ほんの数分のできごとだ。
トーラムが爪の攻撃を防いで、そのあとの尾の攻撃は剣で切り落とした。
魔獣がトーラムに気を取られているうちに、サーディスが反対側から片方の翼を切り落とした。
魔獣がトーラムに吠えた隙にサーディスが魔獣の後ろ脚を切り飛ばし、最後はトーラムが首を落とした。
それだけだ。それだけで、あの恐ろしい魔獣は倒された。
――もし、自分がサーディスやトーラムの立場だったらどうだっただろうか。
獣人たちは考える。
最初の爪の攻撃は、たぶん自分たちでも避けることはできるだろう。普通の狼よりは早いが目がついていかないほどではなかったし、単純な攻撃だった。
しかし、続く尾の攻撃はどうだろうか。見た目が狼であるのだから尾も狼に準じているのだろうと、自分は思い込んではいなかったか。自分は、あの尾の一撃に対処することができただろうか。
……そんなふうに相方が戦っているとき、自分は隙を突いてどこを狙うだろうか。
自分たちは獣人なので魔獣相手に剣を持つことはないが、もし翼を狙うにしてもサーディスのようにあえて片方だけを切り落とすような判断ができるだろうか。
尻尾の半分と翼が片方なくなった魔獣は体のバランスがとれず、体重移動もうまくいかないように見えた。
わざとなのかうっかりなのかトーラムがバランスを崩した時、落ち着いて後ろ脚を切り飛ばしたのもサーディスだ。
自分なら咄嗟のことに慌てて相方を庇うために動いてしまうだろう。
しかし、サーディスのあのタイミングは完璧だった。あれは相手を信じていなければできない動きだ。
そしてそれら全てが、洗練された動きによるものだった。
魔獣に残された切り口には、一切の迷いがない。
ひとつひとつのタイミングが絶妙で、その行動がその時の一番正しい動きなのだろうと思わせる戦いだった。
もちろん長年一緒に戦ってきた2人の相性の良さもあるかもしれないが、ランクC傭兵である獣人の4人にとってはランクBが途方もなく遠くに感じられた瞬間になったのだった。
「本当に、ランクB、だったんだ……。」
などとうっかりセブルスがつぶやいてしまい獣人たちは真っ青になったのだが、トーラムとサーディスは聞こえないふりをして解体を続けた。
実はトーラムとサーディスがギルドからの指名依頼でランクCのお守りをすることは、そこまで珍しいことではなかった。そしてそこら辺の説明を一切されなかった相手がトーラムとサーディスのランクも自分たちと同じCだと思い込んで、ただ一緒に仕事をしているのだと思われていることも多かった。
だから2人にとってそれは本当に慣れっこであり、今さら目くじらを立てるようなことでもなかったのだった。もちろん血の気が多い傭兵ならば怒鳴られてもおかしくないくらいの失言である。
解体している魔獣だが、毛皮の状態が良かったので時間はかかるがその場で皮を剥ぐことになった。代わりに切り落とした中途半端な長さの尾は捨てる。
切り取った頭は牙を抜くのが面倒くさいのでそのまま持って帰るとして、他にほしいのは爪くらいだった。残りは獣人たちが穴を掘って埋め、他の獣や魔獣を呼び寄せないよう気をつける。
あとは、傭兵ギルドに報告して、仕事は完了である。
日が傾いたあたりにトーラムとサーディス、そして獣人の2人が傭兵ギルドに入ると、中はいつもより慌ただしい雰囲気に包まれていた。
獣人のうちここにいない2人は、魔獣の頭やら何やらを持って隣の建物の買い取り窓口に向かわせていた。
「おかえりなさい、お疲れ様でした!」
そう言って出迎えてくれたのは、朝、指名受付に座っていた受付嬢だ。
「すでに見つけてくださった中の2体が【擬態魔林】だと確定したと連絡が入ってますよ!残りの1体も【擬態魔林】だろうという話です。やりましたね!
そうそう、もう1パーティーも最初の赤煙を見て森へ出て、2体見つけたようですよ。」
“マウンズの十年禍”と確定したからなのか、受付嬢が傭兵ギルドのロビーでも【擬態魔林】の名を出した。
「ほ、本当ですか……!?」
実際に動いているところを見たわけではないので、自分たちが見つけた木が本当に【擬態魔林】だったのか不安だったのだろう。獣人の2人の表情がぱっと明るくなった。
「トーラムさんとサーディスさんもお疲れ様でした。」
「おう。」
「そういや、リネッタは帰ってるか?」
「リネッタちゃんですか?少し前に、薬草とエ、ああ、えっと、お肉を持って帰ってきましたよ。」
「エ?……ああ、いや、そうか、帰ってるならいいんだ。」
「詳しい現地調査が終わり次第、報酬が支払われます。明日の昼過ぎには受け取れると思いますよ。そのあとすぐに、【擬態魔林】の討伐隊に入ってもらうことになりそうですけど。」
「あ、最初の赤い煙のとこのは、まだ伝わってないか。」
「調査が入れば分かると思うんだが、一番最初に見つけた【擬態魔林】がいただろう場所はかなり荒れていてな、【擬態魔林】はもう倒された後だったんだ。その戦闘痕がどう見ても別の魔獣と戦った感じでな。」
「さっきパーティーメンバーさんたちが持ち込んだ魔獣とは別件ということですか?」
「ああ。」
「それはまだ聞いてませんね。【擬態魔林】確定の煙しか私どもには連絡が来ていないので……」
「まあ、もし魔獣が現れたとかで緊急連絡があったら宿にいるから夜でも声かけてくれよ。酒は……少なめにしとくから。」
「ふふ、わかりました、ありがとうございます。」
最後は軽い冗談もまぜつつにこやかにギルド職員との会話が終わり、トーラムは思わぬお金が手に入って興奮気味の獣人2人に顔を向けた。
「んじゃ、これで解散だな。別に一緒に報酬を受取る必要なんてないんだし、明日以降、各々が都合のいい時間に取りにくりゃいいだろ。」
「はい!勉強になりました!ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
「おう。」
「じゃーなー。」
獣人らに手をふり、2人はその足で宿へと帰った。
2人が何より気にかけていたのはリネッタのことであり、そのリネッタが無事に帰ってきたのだからトーラムとサーディスも一安心であった。
あの小さな足跡が本当は誰のものかなんて分からないが――それが例え本当にリネッタの足跡であったとしても、怪我もなく無事に帰ってきたのならなんでもいいのである。
ちょっと話を聞いてみたい気もしたが、聞くのが怖い気もする。
これが、自分たちがまだランクFやEの頃だったら、もしかしたらリネッタの飛び抜けた能力が嫉妬の対象だったかもしれない。
しかしどちらかと言えばトーラムとサーディスにとってリネッタ(とシルビア)は娘のような位置に収まってしまっていて、リネッタがどれほど強くても2人にはただのおてんばさんとしか感じなくなっていた。
そんなおてんば娘のリネッタがなぜ森の奥にいたのか。
このとき2人はその理由なんてまったく考えていなかった。
次回更新から、通常通り土曜日更新に戻ります。




