トーラムとサーディスの一日 4
「ランクBになればこんなのは日常茶飯事……とまではまあ言わないが、討伐対象の魔獣が別の獣や魔獣と戦ってるなんてのはそこまで珍しいことじゃない。場合によっては一旦様子を見るために引くこともあるが、そのまま2匹ともを相手することになるのが普通だ。
だからもしお前たちがランクBの傭兵を目指してるのなら、どんな魔獣なのかもわからないのに戦闘の痕跡だけでびびってたら話にならないぞ。
それに、もしここの【擬態魔林】が生き残っていたとしてもそいつは動かないんだから、新たな魔獣が現れてそいつがとてつもなくやばかったとしても俺ら2人で何とかお前らが逃げる時間くらいは稼げるさ。」
4人が惨状に呆然としている間に、どこから魔獣が現れてもいいようにトーラムとサーディスは剣を抜き魔素クリスタルをすぐに割れるよう準備していた。
しかし、トーラムは腰に刺した二本のうちの一本しか抜いていないし、サーディスも同じく手に持っているのは剣が一本だった。
強者の余裕なのか何なのか、獣人たちはなぜランクBの2人がこんなに落ち着いていられるのか、わけがわからない。
見るからに森はぐちゃぐちゃに荒れていて、どんな魔獣がここで暴れたのか、どうすればここまで酷くなるのか想像するのも恐ろしい。
しかしどこかしらゆるい雰囲気を崩さない2人に、獣人たちも次第に落ち着きを取り戻しつつあった。
「安心しろとは言わないが、最低限、自分が受けた仕事はこなしてくれ。【擬態魔林】を見つけたら金貨2枚だぞ、2枚。ほれ、頑張れ。」
「は、はい!」
落ち着くのに少し時間はかかったが、4人は霊獣化を発動して、それぞれ周囲の気配を探り始めた。
もちろん全て初めてのことであり、どうやればいいかなんて全くわからない。
しかしこのままトーラムとサーディスにおんぶにだっこで帰るわけにはいかなかった。
それにトーラムとサーディスは人であり、【擬態魔林】を見つけるのは自分たちにしかできないのだ。
試行錯誤しながら周囲の無事そうな木を見回し始めた獣人4人に安堵のため息を漏らしつつ、サーディスは土のめくれ上がった地面に視線を落とした。
相当太い根が動き回ったのか、地面は歩くのに多少苦労するくらいの凹凸が出来ている。
地中を移動するタイプの魔獣という可能性も少なからずあるが、それにしては地面は浅いところしか荒れていないし、何よりこんな木々の根が深くまで伸びている森にそういう魔獣はあまり出てこないものだ。
ここで“何”が戦ったのかは分からないが、少なくとも片方は【擬態魔林】だろう。擬態木は相手がこんなに暴れる必要がないほど、言ってしまえば、弱い。
擬態木は傭兵に見つからなくとも、他の魔獣にも何も考えず手を出して手痛い反撃を食らって自滅することも多いのだ。
ふと荒れた地面の中に小さな足跡のようなくぼみをいくつか見つけて、トーラムは隣のサーディスに何とも言えない顔で視線を送った。
トーラムの視線に気づいたサーディスがその足元に視線を落として、獣人の4人の集中を妨げないよう気をつけつつ出来得る限りこっそりと、しかし盛大にため息をはいた。
「リネッタ、だよなあ。」
「あいつ深くまで入りすぎだろ……」
頭を抱えて呻きたくなる気持ちをぐっと抑え、愚痴るように囁くだけで済ませる。
「普通に考えれば、戦闘が終わったあとにここに来たんだろうなってなるんだが……」
「この足跡っつーか、もう踏み込みだよなこれ。普通に歩いただけじゃあここまで足跡が深くは沈まねーよなあ。」
「……襲われた、のか?」
「考えたくはないが、あり得る話ではあるな。」
「だが、足跡が結構あるってことは、不意打ちは免れたか。……いや、ここにいたのは【擬態魔林】じゃない可能性もある、のか……?」
「【擬態魔林】“も”いたんじゃないか?」
「三つ巴?やめろよ……」
「まあ、土がだいぶ乾いてるしリネッタも魔獣ももうここらにはいないだろ。【擬態魔林】はどうだか知らんが。」
「血も干からびた死体も見当たらないが……リネッタが無事だといいんだが……。」
「これだけ荒れてるとどうにもな。もう少し歩いてみて、別の【擬態魔林】を探してみるか。リネッタも。」
コソコソとそんな会話をしてから、2人は必死に周囲に視線を向けている獣人の4人に声をかけた。
「どうだ?もしここで別の魔獣と【擬態魔林】が戦ってたとしても、土の乾きからして【擬態魔林】と戦っていた魔獣か何かはもう移動してると俺らは踏んでるんだが。」
獣人の傭兵らは顔を見合わせ、何かを話し合ったあと頷き合っている。
「……はい、僕達も何も感じませんでした。」
獣人を代表して、セブルスがトーラムとサーディスの方を向いてそう言った。
「んじゃ、もうちょっと歩くか。ここに【擬態魔林】がいたのは確実だろうが、この惨状だともう倒されたあとだろう。こんだけ荒れてるなら俺らが色々するより専門家に任せたほうがいいだろ。目印だけ置いて移動するぞ。」
「ここから気張ってくれよ、この無数にある木のうちのどれかが【擬態魔林】かもしれないんだからな。」
「はい!」
「頑張ります!」
「よし。」
覚悟を決めたような顔で4人が頷いたので、トーラムとサーディスは少しほっとしながら頷きを返した。
「まあ、赤でいいか。」
トーラムは傭兵ギルドで予め渡されていた獣皮紙に描かれた魔法陣の上で5級の魔素クリスタルを割り、それを手近な木の枝に麻ひもでくくりつけた。
それは、赤い煙を発するだけの魔法陣だった。
マウンズ小国では森に多くの狩人や傭兵たちが入って様々な仕事をしているが、森を切り開いて街道が作られていることもあり、魔獣が出没するような森の近くにも普通に一般人がいる。
そんなマウンズ小国の国民や旅商人ならば誰もが知っている警告が、この“赤い煙”だ。
赤い煙は、手強い獣や魔獣がいるかもしれないので気をつけろという周囲への警告だ。
これを見たランクの低い傭兵たちや魔獣は専門外の狩人などは煙から街の方へと遠ざかり、近くで仕事をしているランクの高い傭兵も普段より警戒度を上げるので、被害が減るというわけだ。
トーラムはこの煙の周辺に【擬態魔林】と戦っていた魔獣がうろついているかもしれないという意味合いで赤い煙を上げたが、現在、魔獣の討伐に向かっているのはトーラムとサーディスのパーティーだけであり、これは傭兵ギルドに調査を依頼するための煙でもあった。
まだ明るい時間帯なので、街を囲む塀からは赤い煙がよく見えることだろう。
ここに【擬態魔林】がいたことは確かで、もしそれと戦った何かしらが魔獣であれば改めて討伐隊を組まなければならなくなる。【擬態魔林】の相手をしたのがリネッタだった場合は――まあ、リネッタの無事を祈るだけである。
傭兵ギルドの職員も当然小さな足跡に気づくだろうが、彼らは無駄に詮索したりはしないので、よっぽどのことがない限りはリネッタに声がかかることはないだろう、たぶん。
魔法陣からもくもくと独特の赤茶けた煙が上がりはじめたのを確認し、トーラムは「よし、じゃあ行くか。」と気合を入れ直した。
【擬態魔林】は一匹だけではないのだ。そして、別の魔獣がいる可能性もある。
魔獣が現れた場合、獣人らと協力して戦うのか、はたまた獣人らを全力で逃さなければならないのかを瞬時に判断し指示しなければ無駄な混乱を招く。
ここはもう森の奥であり、魔獣でなくとも大巻き蛇の成体ような巨大な相手が現れる場合もあるのだ。気は抜けない。
トーラムを先頭にしてサーディスはパーティーの後方を歩き、一行は周辺の数キロを探すことにした。
そしてほどなくして、【擬態魔林】らしき木を見つけたのである。
最初に声を上げたのは赤茶色のうさぎ耳の獣人、テイラーだった。
「あっ……」
声を上げ、急にぴたりと足を止める。
あたりを見回しながら後ろを歩いていたセブルスがその背中にぶつかりそうになり、慌てて足を止めた。
「どうした?」
そう聞いたのは後方のサーディスだった。
油断なく剣を手に周囲を見回す……が、先頭のトーラムにも後方のサーディスにも特に何も感じるものはない。
しかし、獣人の面々は違った。
「あれあれ!あれじゃないか!?」
「……あ、あれか。」
「うわ、何だあれ、木だけど木じゃない?」
「これ気持ち悪いな……」
次々と同じ木に視線を向けはじめる。
それは何の変哲もない、他の木と全く変わらないように見えるごくごく普通の“木”だった。
「見つけたっぽいな?」
「俺らにはさっぱりわからねーけど……」
その木を見ても、2人は他の木と何が違うのかさっぱりわからない。どう見てもこの森によく生えている、建材に使われることが多い普通の木だ。
周囲に死体はなく土が盛り上がった形跡もない。もしこれが本当に【擬態魔林】ならば、まず間違いなくトーラムやサーディスは気づかず通り過ぎるだろう。
「あ、あの木です。俺たちも、気をつけてないと気づかないくらい、なんですが……違和感というか……」
側頭部から短い角を生やしたサイルズが怪しい木を指差しつつ口を開くと、「そうそう。」と、他3人が同意する。
「違和感、としか表しようがないよな。」
「確かに感じが普通の木とは全然違うけど、でも、見た目は本当にただの木なんだよなあ。」
「すごいね、これ……。」
「まあ、4人が4人ともそう言うなら間違いはないだろ。よし、一本目ゲットってこと、だよな?」
「金貨2枚おめっとさん、だな?」
どこかしら疑問形のトーラムとサーディスの言葉だったか、獣人の4人は「やったあ!」と声を上げて喜んだ。
その喜びように、もしかしたら魔獣が周囲をうろついているかもしれないなんて考えはあっという間に頭の隅に追いやられてしまったのだろうかと、サーディスはやや不安になった。
「さて、じゃあ目印つけるか。外れるなよー。」
そう言いながらトーラムが複数の石がついた鮮やかな赤い紐を構えて、「よっ!」と放り投げる。
赤い紐は【擬態魔林】だろう木の枝に引っかかり、重りの石がくるくると回って自然には解けそうにないほどに枝に絡んだ。
これも傭兵ギルドから支給されたもので、この木が【擬態魔林】ですよ!という印である。副マスいわく、マウンズの十年禍のときだけに使われる特別な目印だそうだ。
擬態系魔獣は、基本的に獲物以外を襲うことはない。
獲物というのは、人であったり、獣であったり、魔獣であったり、とにかく擬態系魔獣にとって餌となるものだ。
ここで注目すべきは、襲う相手が“餌と認識したもの”であり、“動くもの全て”ではないところである。
素早く移動するタイプの擬態系魔獣の場合は避けることもあるが、木に擬態している擬態木はこういった“餌ではない動くもの”を避けることはない。その場から動かない【擬態魔林】もそうなのだろう。
もし動くもの全てを襲っていたら、自らの枝に止まった小鳥や風になびく周囲の木々の枝にまで襲いかかってしまうことになるのだから。
そういった習性を利用したのが、この赤い目印である。
ちなみに、もう一方のパーティーには橙の目印が用意されていた。
そして、トーラムはもう一度警告煙の上がる獣皮紙を近くの木の枝にくくりつけた。
次は黄色の煙だ。
他にも煙の色は何種類かあるが、一般的には色の付いた煙は全て“危険”を示すものばかりなので、誰かが近寄ってくることはまずない。
そしてこの“黄の煙”は傭兵ギルドとの申し合わせで、“【擬態魔林】がいた”ということを知らせる役目もあった。
“確実にマウンズの十年禍が発生している”ということをいち早く知らせたのだ。すぐに傭兵ギルドは動き、立ち入り規制なども滞りなく行われるだろう。
この魔法陣による煙はゆうに半日は出続けるので、もう【擬態魔林】を見失うこともない。
トーラムたちは報酬に浮足立つ獣人たちをなだめつつ、今しがた赤い印をつけた木の周辺を中心に、次の【擬態魔林】を探し始めることにした。




